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35:皿洗いは割と得意だったり

 どうやらヘイデンは、ティーゲルがファリエをたらし込んだ上に、弁当作りまで強制していると思い込んでいるらしい。実際にはたらし込むよりも遥か手前の戦線で奮闘中なので、とんでもない誤解である。

 このままでは彼に刺されかねない気もしたので、ティーゲルは両手を上げて敵意がないことを示しつつ、早口でまくしたてた。

「違うんだ、ヘイデン君! ファリエ嬢に不埒なことは誓って何もしていないし、もちろん無理やり弁当を作らせているわけでもないんだ! 俺の食生活があまりにも不甲斐ないため、見かねたファリエ嬢が弁当を作ってくれただけで――」


 速足でこちらへ接近したヘイデンが、途中で手早くシリルへ稟議書を提出しつつ、ティーゲルの机の前に立った。そして両手でバン、と一つ机を叩く。存外勢いが強い。


 対物とはいえ、暴力による反撃は予想外だ。ティーゲルは猫目を丸くして、弁解の途中で固まった。シリルも稟議書を受け取った体勢のまま、しげしげと興味深そうに二人を見ている。

 ヘイデンはいつになく不穏な表情を浮かべ、眼前のティーゲルをねめつけた。


「たしかにファリエちゃんは、隊長がお昼ご飯を食べてないって、とっても心配してました。僕たちにもそのことを、相談してくれてましたし」

「そうなのか?」

 ティーゲルにとっては初耳の事実だ。ファリエに随分と不安を与えていたらしい、と申し訳なさも覚える。

 だが彼のキョトン顔から、ティーゲルが知らばっくれてやがる、と感じたらしい。ヘイデンは再度机を叩いた。

「でも、ですね! だからと言ってファリエちゃんが、お弁当まで作るのはおかしいんです!」

 ティーゲルの馬鹿笑いと大差ない声量である。執務室は一応防音対策も行われているし、現在は扉も密閉されている。この叫びが外に漏れていないことを祈るばかりだ。


「いや、しかし、これはファリエ嬢の善意で――」

「だってファリエちゃん、見た感じ以上に人見知りで、野生動物並みに警戒心も強いんですよ!」

 両手で押しとどめるような仕草をしつつ彼の説得を試みるが、更に増した火力であっさり迎撃された。

 独力での食生活改善は到底無理だと判断したティーゲルが、ダメ元でファリエへ弁当をお願いしたら作ってもらえただけなんだ、と説明したかっただけなのに。


 ぽかん、と口もまん丸に開いて固まるティーゲルへ、ヘイデンがなおも追撃する。

「僕もアルマちゃんも、ファリエちゃんから手作りマフィンを貰えるまで半年以上かかったんですからね!」

「なんと! そうだったのか?」


 人見知りのファリエだが、この二人には存外早く懐いていた印象があったので意外だった。

 身近な二人へのもてなし事情がそれだとしたら、

(もしやファリエ嬢が夕食を作ってくれたのは……かなり脈ありと考えていいのか?)

などとつい甘い観測をしてしまったところで、ヘイデンに思い切り胸倉を掴まれる。そのまま細い腕で、目いっぱい揺さぶられた。

 細腕とはいえ、ヘイデンも一応は自警団団員。三半規管が弱いと一発で嘔吐しちゃいそうな勢いだった。


「『そうだったのか?』ってなんなんですか! ちょっと得意げになっちゃって、んもーっ! 僕なんて初めてお菓子貰えた時、感動してずっと飾ってたら……カビが生えちゃったんですからね! 青カビですよ、青カビ! 泣く泣く廃棄ですよ! なのにこんなにすぐ、お弁当作ってもらえるなんて……ズルいです! ファリエちゃんに何したんですかー! ワイロですか! パワハラですか!」

 鼻がくっつきかねない程の至近距離で、こう怒鳴られた。よく見ればヘイデンは涙目である。

 補佐官就任一ヶ月目での弁当プレゼントという事実が、よほど悔しいらしい。だったら腐らせる前に、さっさとマフィンを食べればよかったのに。


「ず、ずるいと、言われても……」

 喉が詰まるのと、揺さぶりが気遣いゼロのため、つい言葉も途切れ途切れになる。

 完全なる私怨で怒り狂うヘイデンをどうなだめるべきか、と思案していたが、

「ヘイデンさん、どうか落ち着いてください。ステイ、ステイですよ」

ここでシリルが助け舟を出してくれた。今朝は予想外のオンパレードである。


 シリルは温度のない表情と声のままだが、仕草だけは丁寧に、ヘイデンの背中を軽く撫でて彼をなだめた。ヘイデンの手からにわかに力が抜けたところを察知し、素早く彼とティーゲルを引き離す。

 次いでシリルは冷ややかさの増した視線を、ティーゲルに定めた。


「さて隊長。私からも一つ、よろしいでしょうか?」

「な、何だろうか……」

 つい後ずさって、ファリエの特製弁当を再度抱きかかえながら、警戒心丸出しで続きを促す。


 シリルはヘイデンをなだめていた両手を自身の後ろに回して姿勢も正し、真正面から及び腰のティーゲルを見据えた。

「先ほどは完全なる野次馬根性でそちらの、後生大事に抱えていらっしゃる包みについて伺いました。ですが次の質問には、正直かつ正確にお答えください――まさか隊長は、補佐官をご自身の小間使いか何かと、勘違いされていらっしゃるのではありませんか?」

「そんなわけないだろう! 誤解だし、補佐官を私的にこき使うはずがない!」

 どうやら、ナンパ男の次はとんでもない暴君だと疑われているらしい、と察した。ティーゲルは青ざめ、声もひっくり返した。背中もひんやり汗ばむ感触があったので、冷や汗もかいているようだ。


 シリルが目を細め、顔色の悪くなった上司をじっとりと観察する。

「身に覚えがないにしては、随分と表情もお顔の色も冴えないようですが。なんだか青緑色でいらっしゃいますよ」

 わざとらしく頬に手を添え、ため息までついていた。

「さすがに緑成分はない、と思うんだが……」

 ティーゲルは言い淀んだ。

 俺はカエルかと続けたかったのだが、あくまでシリルもヘイデンも不信感丸出しのため、そこは自粛した。言えば余計に怒られそうである。


 三人がお互いに出方を窺った末に、束の間黙りこくった時だった。

「おはよう、ございます」

 いつも通りの、どことなく気恥ずかしそうな声で挨拶をしながら、ファリエが入室してきたのだ。彼女はティーゲルの机周りに寄り集まってにらみ合う、剣呑な様子の男三人に気付いてギョッとなる。通勤用のトートバッグを抱きしめ、小さく飛び上がった。


「あ、あの、どうしたん、ですか? 喧嘩……でしょうか? あの、えっと、どうか穏便に……」

 おどおどと、両手を中途半端に上げてどうにか三人をなだめようとする彼女へ、一番に詰め寄ったのはヘイデンだった。

「ねえ、ファリエちゃん! お願い、一つ教えて!」

 それでも彼女の肩を不用意に掴まない辺り、なんとも彼らしい。ただあまり見ない彼の剣幕であるため、ファリエは露骨にたじろいでいたが。


「あ、はい、なんでしょう……?」

「ファリエちゃん、隊長にこき使われてるの?」

「え?」

「だってお弁当まで作らされて……そんなの、補佐官の仕事じゃないんだよ?」

 何か勘違いされているらしい、とこの一言でファリエも察した。眼前で涙目のヘイデンをなだめるべく、彼女の方から彼の肩をやんわりと押しとどめた。


「そんな、こき使われてるなんて、ないですから! むしろわたしの方が、いつもお皿洗いとか手伝ってもらってますし」

「お皿洗いィッ!?」

 完全なる逆効果のフォローに、ヘイデンは背中を反らせて裏返った声を上げた。よく見れば、白目もむいている。

 そのままめまいも起こしたらしく、彼はへなへなとその場に座り込んだ。


「ヘイデンさんっ? どうしたんです? 具合悪いんですか?」

 ファリエは己の失言に全く気づいておらず、急に叫んで急にへたり込んだ彼の前で大慌てだった。

 一方のティーゲルは、ヘイデンの白目の理由もよくよく理解しているので、つい顔を右手で覆ってうなだれてしまう。


 が、その隙を突いたシリルが、彼の背後を取った。そのまま暗殺でもしそうな顔のまま、そっとティーゲルに耳打ちする。

「隊長、お皿洗いとはどういう事でしょうか?」

「うっ」

「彼女の口ぶりから察するに、どうやら日常的にお手伝いされていらっしゃるようですね?」

「うう……」

「はて、職場でお皿洗いをする習慣など、ございませんが。どちらで洗っていらっしゃるのでしょうか?」

「うううううううぅぅ」


 怖い、シリルのいたぶるような追及が怖い。思わず亡霊のような、湿っぽいうめきを発してしまう。

 一体自分が、何をしたというのか。

(いや、結構やらかしてるな……惚れた相手とはいえ部下の家に勝手に入り浸って、夕食をごちそうになってる。最近は、週二回ペースで厄介になってる有様だ。ついでに弁当も世話になってる。はたから見ればだいぶおかしいな、うん)

 なにせファリエと付き合うどころか、まだ告白すらしていない。

 思い切り、自業自得であった。うなだれたまま、ティーゲルはかすかにうなずいた。


「……分かった、全部白状するから。もうちょっと離れてはくれないか。さっきから君の鼻息が首に当たって……正直、ちょっと気持ち悪いんだ」

 が、シリルが更に距離を詰める気配がする。空気伝いに、背中になんとなく彼の体温を感じて、余計に気味悪さが増した。

「それは心外ですね。私は恥じらいもなく、部下に甘えくさっていらっしゃるらしい貴方の方が気持ち悪いと思っておりますが」

 そう断言して、シリルは荒々しい鼻息を吐き出す。これはもう、絶対わざとであろう。

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