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36:心配性のチャンピオン

 執務室にあるシリルの机の前に立ちながら、ファリエはとんでもない居心地の悪さを覚えていた。

 なにせ机越しに、怖い顔のシリルがこちらを向いて座っており、その隣には真っ青のヘイデンもいる。そして自分の真横には、タイル張りの床上で正座をさせられているティーゲルが。


 つい先ほどまで、ティーゲル主体となって弁当を渡すまでの経緯を説明していた。

 彼の不摂生過ぎる食生活へ大いに同情した、清らかで心優しき乙女ことファリエが、格別の慈悲で以って手ずから夕食を作ってあげ、そして今日は弁当まで作ってくれたのだ――と、妙に自分が神格化されている気がする、なんともむずがゆい内容だった。


 心配していたのは事実であるものの、現在も夕食を週二回程度作っている理由は慈悲ではない。ティーゲルは味見役にぴったりなので、食べさせ甲斐があるという単純明快な理由なのだ。

 例えば彼の好みの味付けだった場合、食べた瞬間に分かりやすく表情が輝いて、逆にそうでもない場合は露骨に物静かになって猫を被るのだ。本人は上手く誤魔化せてると信じているようなので、余計に面白い。

 またティーゲルとの会話が楽しいのも理由の一つなので、ファリエとしてもかなり旨みのある食卓と言えよう。もちろんティーゲルからは、食材費も半ば強引に渡されているのだ。Win-Winの関係である。


 ――以上のことも自分で伝えようとしたのだが、先ほどティーゲルから何も言わなくていい、と視線で釘を刺されており、そして現在はシリルの形相が怖いため声が出せない。己の至らなさに、ついファリエの視線は足元に落ちる。


 正座するティーゲルから一通りの経緯を聴き終えたシリルは、悪魔のような形相のまま長々とため息を吐いた。いつも冷ややかな灰色の目は、ティーゲルを怒っているようにも蔑んでいるようにも見える。

「入団二年目の、それも女性団員の自宅へ図々しくも上がり込んだ挙句、夕食や昼食までお世話になって――貴方はプロのヒモですか。年長者として、そして上司としての誇りはお持ちでいらっしゃらないと?」

 淡々とした口調が、余計に腹の底の不快感を浮き彫りにしている。


「本当にすまない。たしかに俺は、浅はかだった」

 こういう場合、下手に言い訳をしない方がいいとティーゲルは判断したようだ。なので手短かつ素直に、己のやらかしを懺悔している。


 可愛い妹が男の車に乗って朝帰りして来た (しかも男との別れ際に、キスもしている)現場に出くわしたかのようだったヘイデンも、ここでようやく立ち直る。首を二度ほど振って自身を鼓舞し、ファリエをキリリと見据える。

「ファリエちゃんも、そんなむやみやたらに男の人をお家にあげたらダメでしょ! 何されるか、分からないんだからね!」

「で、でも、隊長は全然、そんな人じゃないですっ。いつも一緒にご飯食べて、あとお喋りしてるだけ、ですし……」


 ファリエはティーゲルからも同じようなお説教を受けた気がする、と薄っすら考えながらアワアワと両手を振って弁明した。

(わたしってそんな、怪しい人も家に入れちゃうような頼りない子に見えるのかな?)

 そのことにほんの少し、気落ちしてしまう。


 だが彼女の言葉が、かえってヘイデンの闘志――あるいは心配性に火を点けたようだ。やや強引にシリルを机の隅に追いやって、彼の机をバンバンと平手で叩く。真横のシリルが思い切りしかめっ面なのに、お構いなしの蛮行だ。

「そりゃ仕事中は真っ当でしっかりした人だけどね、裏ではファリエちゃんにエッチな目を向けてるかもしれないんだよ! 男なんてその程度の生き物なの! ロクでもないの! 今まで安全だったからって、これからも安全だとは限らないんだからね!」

 身に覚えしかない主張であるため、ついティーゲルの背中が丸まった。その背中から、羞恥心や居たたまれなさが薄っすらと放出されている。


 ティーゲルにほんのり好意を抱きつつも、いや、抱いているからこそ思い切り信頼していたファリエは、彼のお説教で全身が真っ赤に茹だる。

 しかし今日のファリエは、ここで折れなかった。小さな手を握りこぶしに変えて、更に彼へ反論する。

「これからも、あ、安全かは、わたしも分からない、ですけど……でも、わたしには、隊長がほんとに無理してるんだってことが、分かるんです! なのにそ、そんな、放っておくなんて、出来ません!」

「ファリエちゃん……それってどういうこと? 詳しく教えて、ね?」


 大きな青い目に涙の膜を張っても抗議する姿に、ヘイデンの怒りもたちまち沈静化。

 どうやらまだ事情があるらしい、と察してくれたようだ。いつもの優しい空気を取り戻して、穏やかに彼女へ続きを促す。

 すん、と鼻を一つすすったファリエは、たどたどしく続けた。


 自分たち吸血鬼は、血の味で健康状態や食生活などの詳しい情報を読み取ることが出来る、と。そのためティーゲルの自傷行為のような不摂生が心配で心配で、これ以上知らんぷりし続けるのが何より辛いということも打ち明ける。

 この際「気味悪がられるかもしれない」という懸念は、捨て置くことにした。


 本人の自己評価とは真逆に、結果としてどこを切っても慈愛しか出てこない彼女の告白に、小汚い命題エロを焦点にしていた男連中の視線が揃って下降していった。己の醜さに打ちのめされているらしい。


 途中でポロポロと涙もこぼし、しゃくりあげながらもファリエは最も不安な、とある未来予想も口にする。

「だ、だって、ある日、隊長が出勤してなくて……みっ、みんなでおかしいなって、心配して……でも連絡なくて、そのままちょっと、様子見して……二日後ぐらい、に、副隊長が隊長のお宅、見に行って、そしたら、お風呂場で、死んでるのを見つけて……って、そんな最期がっ、来ちゃいそうだったんです……うぅっ」

 不摂生からの突然の孤独死という、夢も希望もへったくれもない結末であったため、聴衆が揃って酸っぱい顔となった。


「なんか、なさそうでありそうな未来だし、ファリエちゃんの想像って結構生々しいんだね……」

 ヘイデンも彼女の言葉から、より細かい絵面を想像してしまったらしい。顔色がまた悪くなっているうえ、眼鏡も斜めに傾いている。

 勝手に死体の発見者役を宛がわれたシリルも、その隣で露骨に眉をひそめていた。

「私もさすがに、直属の上司のご遺体を発見する羽目になるのは、真っ平御免なのですが……いえ、確かに隊長が無断欠勤となった場合、ご様子を伺う役目は私になるのでしょうけれども」


 しかし第一発見者役など、まだいい方である。

 入浴中に突然死するに違いないと思われているティーゲルに至っては、背中が丸まり過ぎており、首を痛めているのではと心配になる体勢だ。顔色も土気色で、本当に今すぐにでも絶命してしまいそうでもある。

「……俺は、そんな風に思われていたのか……」

 彼女の手作り料理を素直に喜んでいたので、裏ではそんな悲壮感があった事実に打ちのめされているらしい。


 ただ泣きじゃくりながらのこの、悲観主義を極めた彼女の告白のおかげで、シリルとヘイデンの疑惑の目も和らいだのは事実だ。

「どうやら彼女は丸ごとの善意によって、ご飯の世話をしてやっているだけらしい。自分たちが無理やり止めたところで、余計にファリエの不安をあおる結果になるだろう」

と、酸っぱい顔のまま二人は内心でそう、結論付けた。


 ティーゲルについては完全に彼女へ甘えまくり、ポンコツ化していることもまた、事実であるだろうが。少なくともファリエは、無理強いされて食事を作っているわけではないし、彼に嫌な感情も抱いていないようだ。突然死予備軍として、底なしに不安視はしているけれども。

 ならば後は二人で、よろしくやればいい話である。どちらも己の行動に、責任を持てる年齢かつ人柄である。

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