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42:こういう店の方が美味しいから

 ファリエたちの暮らすニーマ市には、市街地から南下した一帯に魔道具の工房がひしめく旧鉱山地区が存在する。そこで作られた魔道具が国内外に出荷され、ニーマ市の財政を支えているのだ。

 ファリエは旧鉱山地区へ巡回に行った際、いつも一軒の食堂が気になっていた。小ぢんまりとしたそこはお世辞にも綺麗な外観ではないのに、常に行列が発生しているのだ。それにいい匂いも漂わせているので、いつか行ってみたかった。


 ただ前述のとおり、年若い女性が並ぶには多少勇気を要する店構えなのだ。おまけに行列も大半が、工房勤務と思われる屈強な職人たちである。日傘を差したファリエは、絶対に浮くだろう。

 ファリエはティーゲルへ、そこへの同伴をお願いしたのだ。一人なら緊張するが、隣に知り合いがいれば行列にも耐えられそうである。


 ただお願いをしてからしばらくして、折角なのだから可愛いカフェや小洒落たレストランを所望すればよかったかもしれない、と後悔したのも事実である。

 キラキラした空間で過ごしたい欲求と、地元民から人気の食堂で美味しいものを食べたい欲求が拮抗した結果、結局は後者が勝ったのだった。


 そして第三部隊の休日である今日、二人はくだんの食堂へ向かっていた。

 わざわざ車まで出してくれたティーゲルはファリエの斜め前に立って先導しながら、少し困惑気味の表情で振り返った。

 食堂まで、あとわずかの距離である。ティーゲルは道の先にある小汚い店を指さしていた。

「本当に、あの食堂で昼飯を食うだけでいいのか? ファリエ嬢、気を使ってないか?」

「いえ、そんなことないです。一人だったり女の子同士だと、並ぶのに勇気が要っちゃったので……でも、ずっと気になってたお店なんですっ」

 日傘の柄を握りしめ、ファリエは本心で来たかったのだ、と力説する。情けない表情だったティーゲルも小さく笑った。


「そうか。ならば同伴者として、役に立てて幸いだ」

 こう言ってしみじみうなずく彼は麻の白いシャツにサスペンダー付きの、ストライプ柄の青いズボンという出で立ちだった。普段の出退勤時はスーツで、勤務中は黒い制服姿のため、私服姿はかなり新鮮でありちょっとした目の保養でもある。体格がいいので、何を着ていても様になるのは羨ましいぐらいだ。


 なお彼から赤が似合う、と散々言い聞かせられたファリエは唯々諾々いいだくだくと赤いギンガムチェック柄のペンシルスカートをアイボリーのブラウスに合わせたのだが、ティーゲルからはこれといって目立つ反応はなかった。

 二度目の無反応ではあったが、彼は待ち合わせの際にニコニコしていたので悪印象ではないのだろう。それならいいか、と今回はファリエも早々に納得する。


 世間一般的なお昼時より早くに到着したというのに、食堂の入口にはすでに行列が出来上がっていた。二人は素直に最後尾へ並ぶ。

 そこから十五分ほど待って店内に入ることが出来た。案外早い。

 吸血鬼であるファリエのため、窓から離れたテーブル席へ案内してくれた中年女性の店員が、あら、と声を上げてティーゲルを見た。


「お兄さん、お久しぶりね! 元気してたの?」

 気安い口調に気分を害した様子もなく、着座したティーゲルも笑顔で応じる。

「うむ、少し仕事が立て込んでいたんだ」

「お祭りも近いもんねぇ……今日は美味しいもの食べて、元気付けてってね」

「ああ、ありがとう」

 女性は最後まで朗らかに笑い、ファリエにも手を振って席を離れて行った。


 条件反射で彼女に手を振り返したファリエは、こてんと首をかしげた。

「隊長、ここに来られたことがあるんですか?」

「あー、うむ……隊長職に就く前は、割と。うまいし安いし、ボリュームも多いから気に入ってるんだ。最近は、なかなか時間が作れなかったんだが……」


 ささやかな隠し事がバレてしまったティーゲルは、ばつが悪そうに太い眉を下げている。

「君が楽しみにしてくれていたから、そのことを言い出せなかった。隠すようになってしまい、すまなかった」

 そして素直に謝った。妙な気遣いに、ファリエは微笑む。

「美味しいって分かって、安心しましたし楽しみです」

「いや、しかし俺の味覚があてになるかは……」

「隊長の好きなご飯、なんとなく分かってるので。なのでわたし、隊長の味覚も信用してます」

 なにせ好みの料理を出せば、露骨に喜ぶ御仁である。このことは胸を張って言えた。


 いつになく自信満々な彼女の表情を見下ろして、ティーゲルははにかんだ。

「それもそうだった。最近の俺は、君の手料理で育ててもらっているからな」

 おどけた言い方にファリエも笑う。

「隊長が育ち盛りで、嬉しいです。なのでおすすめ、教えてください」

 紙のメニュー表を両手で支え、ティーゲルへ向かって広げた。彼も腕を組み、一つうなる。


「ふむ。ここは肉料理が人気なのだが……たしかファリエ嬢は、ニンニクが駄目だったな?」

「そうですね。すぐにお腹を下しちゃいます」

「ちなみに生姜は問題ないだろうか?」

「あ、はいっ。平気ですし、好きですね」

 こくこくとうなずけば、ティーゲルはジンジャーポークを提案してくれた。職人向けなので味は濃いが、同時に生姜も効いているので後味は軽いのだという。素直にその提案に従った。


 先ほどとは別の若い男性店員に注文を取ってもらった後、しばらく二人で雑談をして過ごす。今までも夕食時にはこうして二人で会話をしているので、ファリエもすっかり緊張せずに受け答えできるようになっていた。


 外観はくたびれた食堂で、内装も実際に古ぼけてはいるものの、清掃は行き届いているようだ。細かな傷が入ったテーブルも丁寧に磨き上げられており、つるりと光沢がある。揃いの木製の椅子も、座面には可愛らしいキルト生地のクッションが置かれていて、お尻も痛くない。


 そうこうしている内に、二人をテーブルまで案内してくれた中年女性が、ファリエの注文したジンジャーポークとティーゲルの注文したチキンフライを運んで来た。給仕は長いらしく、足取りは豪快な大股なのにテーブルに皿を乗せる仕草はとても静かで丁寧だ。

「はいよ、お待たせしましたー」

 気安い調子でそう言った女性は、最初にファリエへ目くばせし、次いでティーゲルを見下ろしてにんまりと笑う。


「そういやお兄さんが女の子連れて来るの、これが初めてだね。この可愛いお嬢さん、あんたの恋人なの?」

 前触れなく投下された爆弾に、ファリエは思わずむせた。

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