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43:隊長は情緒が足りない

 にやにや笑いでファリエとの関係性を問われたティーゲルは、当初猫目を丸くしてぽかん、と顔馴染みの女性店員を見上げていた。

 が、すぐに表情を苦笑いに変える。

「ふむ、そうだな。そうなってくれるといいんだが」

 そして、なんとも曖昧であるものの、女性店員の好奇心を満足させる回答をした。思わず店員も笑う。


「あっはっは、そうだったんだね! 首突っ込んじゃってごめんね? まあ、あんた色男だしさ、頑張んなね!」

 大口を開けて豪快かつ気持ちよく笑った女性は、笑い方同様に豪快な張り手をティーゲルの背中に食らわせて発破をかけた。そして上機嫌そうに大股で厨房へと戻っていく。


 ファリエはこの間、真っ赤になって目を白黒させることしか出来なかった。今まで兄や友人の恋愛事情を外野から観戦することはあれど、自分が当事者になったのは初なのだ。

 おまけにティーゲルの言葉には、かなり含みもある。ファリエ自身も彼との関係性には「あわよくば」というほのかな願望はあったが、改めてこうも宣言されると、非常に落ち着かない。


 面白いぐらいに動揺している彼女を真正面から眺め、ティーゲルは小さく笑いつつ手のひらで白い皿の上のジンジャーポークを示した。

「さあ、冷めない内にいただこう」

「あっ、えっ、は、はい」

 今なおへどもどしている彼女を警戒させない程度に顔を寄せ、ティーゲルが小声で告げる。

「ああ言っておいた方が、深追いされずに済むんだ。妙なことを言って困らせてしまい、すまなかった」

「そうでした、か……いえ、なら、大丈夫、です」

 単なる社交辞令もとい、その場しのぎの方便であったらしい。塩を盛られた葉野菜のように、ファリエは露骨にしょぼくれた。背中を丸めてうなだれる。


 いつまで経ってもごまかしが下手な彼女を、ティーゲルはじっと見つめていた。テーブルに肘をつき、あごを手のひらに乗せているのだが、指で隠れた口元はよくよく観察すると嬉しそうに緩んでいる。

「ちなみに、なんだが。もしもさっきの発言が、七割方本気と言ったら怒るだろうか?」

「なっ、えっ……」

 ファリエの顔が跳ね上げられた。たれ目を見開き、無意味に口を開閉させる彼女はしかし、すぐにティーゲルがほんのり笑っていることに気付く。またからかわれたらしい、と察した。


「もう、そういうのいいです。からかわないで下さいっ」

「すまない」

 ファリエが子どものようにむくれると、ティーゲルの笑みも深くなった。腕を組んで背筋を伸ばし、彼は首をかしげる。

 途端に笑みが消えたので、ファリエもぎくりと背中をそらした。

「それで、君は俺が本気だと怒るんだろうか?」


 彼の挑むような声からも、七割どころか九割九分ほど本気だと分かった。その気迫に飲まれるように、ファリエものけぞるような体勢のままごくり、と一つ唾を飲む。

「お、怒りは……しない、ですけど……」

「けど? 怖かったりはしないか?」

 距離を詰めるように、のけぞられた分ティーゲルが身を乗り出す。完全に捕食者の目だ。ファリエは更に困惑し、両手の指を不安げに絡み合わせる。

「えっと……別に、ない、と思います……」

「ならよかった!」


 頼りなさげな声ではあるが言質を取ったティーゲルは、一転して笑顔で椅子に座り直した。再度距離が生まれたので、ファリエもわずかに安堵する。

 しかしティーゲルは気の緩んだ彼女を見逃さずに、すかさずとどめを刺した。

「ではこちらも、そのつもりで善処していこう。よろしく頼む!」

「えっ?」

 吐息のようなかそけき声で問い返した直後、ファリエは目を見開いて小さく肩を跳ねさせる。


「ひょっとしてわたし、これから隊長に、くくっ、口説かれるんですかっ?」

 真っ赤な顔で声と全身を震わせる彼女の様子に、ティーゲルはこらえきれずに大声で笑った。幸い店内は騒がしく、彼の大声でも周囲からさほど注目されることもなかった。

「これからというか、今まさに口説いてる最中だな!」

「ひぁ……」

 ファリエの情けない鳴き声に、ティーゲルはもう一度笑う。しかし目は、真剣なままだ。


「ファリエ嬢にとっては不本意かもしれないが。俺は君に対して、恋愛的な好意を持っている。だから、可能であれば恋人になりたい。なので君に合わせつつ、ゆっくり口説いていければと考えているし、その間に俺との交際も検討してもらいたい」

 突然の愛の告白である。

 おじさんがたむろする食堂の片隅で打ち明ける話ではないだろう、とファリエは薄っすら思った。だが彼は仕事でも、好機があればすかさず狙うタイプである。知り合いから話を振られた今、ここぞとばかりに胸の内を明かすのは実に彼らしかった。


 ただそれを、告白という一大イベント未経験者のファリエが冷静に拝聴できるかは、また別の問題だ。彼女は何由来の汗かも分からぬ代物を額に浮かせ、思い切り動揺していた。

「えと、あの、わたし……」

 ティーゲルのことは嫌いではないし、むしろ好きになっちゃっている最中だ。鋭い目で射貫かれている現状すら、嬉しいぐらいなのだ。


 ただファリエはこういった出来事に不慣れなので、どれほどの深度の「好き」なのかは自分でも分からない。

 頼りがいのある年上への憧れ程度なのか、それとも恋人としてキスやそれ以上の行為を欲する程度なのか――そしてこの場合、彼にどう答えるのが正解なのか。

 彼女の動揺は、ティーゲルにも正しく伝わっているらしい。すぐに注釈が入った。

「ただ君がこの告白をやっぱり迷惑だと思うなら、仕事以外で君に接触することは二度としない。もちろん食事をごちそうになることも金輪際諦めよう」


 困りっぱなしのファリエへ優しく笑いかけ、ティーゲルはすぐに逃げ道を提示してくれたのだ。ほんのりと、寂しげな笑顔ではあるが。

 のけぞりっぱなしのファリエは、そのまま少しの間考える。


 たしかに自分が彼と今すぐ恋人関係になりたいのか、ファリエ自身にも分からない。

 一方でティーゲルはきっと、無理強いはしない優しい人のはずである。これまでの仕事上での付き合いでも、夕食時のささいな会話でも、そのことは十分に分かっている。今だってこうして、ファリエに負担のない選択肢も用意してくれている。

(……それなら、大丈夫だよね。きっと)


 この結論に脳内で一つうなずき、ファリエも椅子に座り直して背中をまっすぐ伸ばした。次いで少々ぎこちないものの、ティーゲルを見上げてはにかむ。

「迷惑、じゃないと、思います……あと、わたし、お付き合いとかは、まだよく分からないけど、隊長とご飯食べるのも、お話しするのも、いつも楽しいですから」

「そうか、よかった」

「なので偉そうだけど……お互いに、こっ、恋人、になってもいいよねって、確認も兼ねて、一緒に遊ぶのも……その、このまま、続けたいなぁって」

「うん、ありがとう」

 それだけ呟き、ティーゲルの肩から力が抜けた。彼は彼で緊張していたらしい。ほっとした顔が、面倒な書類仕事から解放された時のような幼いものだったので、ファリエの笑みも濃くなる。


 くすくすと笑った彼女へ、ティーゲルは照れくさそうに肩をすくめ、

「そろそろ食べようか。温かいうちに食べた方がうまいし」

そう提案する。

「あっ、そうでしたね」

 ファリエもあわあわとカトラリーに手を伸ばし、ようやく昼食が始まった。


 ティーゲルのお勧めの通り、ジンジャーポークはソースにすりおろしたリンゴやタマネギもたっぷり使われており、値段に反して手の込んだ品だった。とても美味しかったはずだ。

 はず、というのは彼との日常会話に何度もどぎまぎしてしまい、味があやふやになったためである。

 ただそれは、不快感のない緊張でもあった。

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