目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

※44:本当にコーヒー豆使ってるの?

 照れくささに翻弄されつつも、楽しい昼食だった。もちろんファリエの場合、後で疑似血液を摂取する必要はあるけれども。

 半分以上味が分からないままだったジンジャーポークと、付け合わせのパンも食べ終えて、ファリエもようやく内なる昂ぶりが落ち着いてきたと思っていた。


 が、ファリエはまだまだ初めての自分の恋路に、頭が占拠されているらしい。食後のコーヒーを一口飲んだが、口当たりがなんとも奇妙なのだ。まるで泥のように感じた。

(緊張で舌がお馬鹿になって……ひょっとして、風邪引いちゃったのかな?)


 コーヒーカップを持ったまま小首をかしげる彼女を、同じくコーヒーを楽しむティーゲルが見つめている。彼の表情は困ったような笑みだった。

「ここのコーヒー、まずいだろう」

「ぅえっ?」

 ファリエは薄っすら考えていたことを言い当てられ、珍妙な声を漏らしてしまった。


 驚愕一色の彼女に、ティーゲルは広い肩をすくめる。

「ここの店主が、料理にしか興味がないと豪語しているんだ。だからコーヒー豆は恐ろしく安値のものを使って、ついでに淹れ方もでたらめらしい」

「あ、えっと、そう、ですね……たしかに、ちょっと個性的な味、かなとは思って……」

 フォローをするべきか、素直に彼の言葉に同意するべきなのかが分からず。ファリエは目を泳がせ、体も傾けてへどもどと言った。露骨に困っている彼女の様子にティーゲルと、彼と顔馴染みらしきあの女性店員が大笑いする。


「まずい、と素直に言って問題ないぞ?」

「そうそう! ウチの旦那が厨房仕切ってるんだけど、コーヒーだけは思い切り手抜きしてんのよ。自分が嫌いだからってさ!」

 泥水のようなとんでもないコーヒーが生まれた理由も、なかなかロクでもなかった。

「それなら、紅茶とかに変えてみたら、いいんじゃないでしょうか……?」

 おずおずとファリエが提案するが、女性店員は豪快な笑いを止めて低くうなった。


「そうよねぇ、私も言ってみたことあるんだけど……あの人、ココアと牛乳以外、嫌いなんだわ」

「わぁ」

 予想外に可愛らしい趣味だ。ファリエもつい、愛らしい感嘆で応じてしまった。

「こんな年齢層高い、しかも男ばっかの食堂で、食後に甘いココア出すわけにもいかないでしょう?」

「そうですね……」

 女性ばかりの食堂でも、食後の選択肢がココア一択なのは厳しいかもしれない。幼児向けなら、問題はなさそうだが。


 女性店員は、苦笑を浮かべるほかないファリエの背中を、皮膚のぶ厚い手で一つ叩いた。ティーゲルへ発破をかけた時よりも、ずっと優しい一発である。

「ま、そんなわけだから。無理に飲まなくていいよ! 完っ全に物好き向けのコーヒーだから!」

 もういっそ、食後の飲み物の提供を止めればいいのでは――とも言いかけたが、ふとファリエが周囲に視線を巡らせると、三割ほどは「まずい」と呟きながらも飲んでいた。たしかに物好きは存在するようだ。


 残念ながら残りの七割であるファリエは、女性店員の気遣いに思い切り甘えることにした。なお同席のティーゲルも七割側であるらしく、早々にカップを手放して飲むことを放棄している。砂糖やミルクを投入して、飲もうと試みた痕跡だけはあった。人の好い彼らしい。


 ティーゲルはファリエと目が合うと、テーブルに両肘を載せて身を乗り出した。

「というわけで、口直しも兼ねてどこかでお茶をしないか?」

「えっ? でも、ここにお付き合いしてもらって、車まで出してもらってるので……」

 嬉しいけれど想定外の申し出に、ファリエは困惑した。もう飲むつもりもないのに、ついついコーヒーにスプーンを突っ込んで、無意味にかき混ぜる。


 あくまでもファリエは、ここでの昼食の付き添いだけをしてもらうつもりだった。せっかくの彼の休日を、自分が何時間も拘束するのは大変申し訳ないと思っていたのだ。

 へにょりと眉を垂れさせて、申し訳なさ全開となったファリエに、ティーゲルはにこりと微笑み返す。


「だがせっかくなら俺も、うまいコーヒーで昼を締めたいし、もちろん君にも楽しく終わってほしい」

「で、でも、わたしは隊長にゆっくり休んでほしくて……」

「俺は君ともう少し一緒に過ごしたいんだが、迷惑だろうか?」

 この殺し文句と、縋るような表情はまずい。今のファリエにとっては殺傷力が高すぎる。ここが自宅であれば、両手で顔を覆って奇声を発しながら床をのたうち回ったことだろう。


 しかしここは公共の場であり、なおかつ他人の目もあることで、ファリエもギリギリ理性が働いた。のたうち回りたい衝動をぐっとこらえて、両手で顔を覆って天を仰ぐだけに留める。

「……迷惑、じゃないです」

 ずるい男のずるい罠に引っかかってしまった気もするが、指の間からちらりと見えた喜色満面を前にすると、このまま騙されてもいいんじゃないかと思えた。重症だ。


「ありがとう、ファリエ嬢!」

 にっかりと笑うティーゲルの顔は、相変わらず幼い。ファリエが最初にこの表情を見たのは、果たしていつだったか――空きっ腹に悩む彼女が、たまたま彼の書類仕事を手伝った時だろうか。

 あの時はティーゲルの精神状態も随分とひっ迫していたため、自分を取り繕う余裕がなかったはずだ。


 だが今は、目の下のクマもだいぶ薄くなっており、肌艶もいい。またボサボサだった赤毛も、きちんと結われていることが多くなった。まだ美容室には足が向かないようだが、現在の彼には自分を取り繕う余裕があるように見える。


 ということは、ファリエの前では自分をさらけ出しても問題ないと判断しての、この屈託ない笑顔なのかもしれない――そう考えることが出来た。心を許されている可能性に、ファリエも白い頬をまたほんのり赤くする。


「えっと、それじゃあ、どこに行きますか?」

 泣き落としであっさり陥落してしまったファリエは、胸の内にほっこりとした嬉しさを灯しつつ、次の行き先を考えることにした。

「ふむ。一応、いくつか心当たりはあるんだが……」

 腕を組んだティーゲルは、口角をわずかに下げる。


「自分から提案しておいてすまないが、実はあまり、女性が好みそうなカフェを利用しないもので。どうしても、見栄えより量や値段を重視というか……いや、もちろん、うまいのはうまいんだ、うん! 味は保証する!」

 慌てて釈明しているところを申し訳ないが、ティーゲルが小洒落たカフェを利用しているとは到底思えない。路地裏にあるちょっと古ぼけた、ご高齢のマスターが趣味半分で運営しているカフェ辺りがよく似合う。


 女性への扱いに案外不手際の多い様子がまた、ファリエの母性本能めいたものをくすぐった。彼女もつい微笑んでしまう。

 ふにゃりと笑うファリエと目が合い、ティーゲルも気恥ずかしそうにはにかんだ。

「一緒に考えましょうか、お店。隊長のおすすめは、どこなんですか?」

「ああ、うん、そうだな――」


 二人でしばらく、次の行き先の候補を絞り込んでから食堂を出た。

 今回はティーゲルお勧めの、少々偏屈な老爺ろうやが趣味で営んでいるコーヒー専門店へ行くことにした。完全に、ファリエの予想通りの店だったので、また笑ってしまった。その店にはキジ白柄の可愛らしい看板猫もいたので、楽しさも倍増である。


 こうして初めて二人で過ごす休日は、とても穏やかさに満ち溢れたものだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?