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46:実は見られていた二人

 ティーゲルと結局夕方近くまで時間を共有した翌朝、職場に出勤したファリエは気持ちがどことなくフワフワしていた。浮かれているというよりも、昨日の出来事は夢ではなかろうか、という楽しさへの疑心から来るフワフワである。

 そんな落ち着きのなさで更衣室に向かうと、アルマに出くわした。彼女も先ほどここに着いたばかりのようで、第一ボタンしか外さずにシャツを脱ごうとしているところだった。案の定、首のところで引っかかっている。


「アルマさん、せめて第二ボタンも外しましょうよ。その方が絶対早脱ぎできますし」

 ファリエは彼女の隣にある自分のロッカーまで駆け寄り、鞄を置いて脱衣を手伝った。なお、ボタン外しを面倒くさがったアルマがこうやって引っかかるのは、今日が初めてではない。むしろ恒例行事だ。

 なのでファリエの反応も、呆れ一色である。


「ごめんなぁ。ちょっと痩せたから、イケるかなーって思ってん」

 夏物なので少し目の粗い布地越しに、アルマのくぐもった声がした。この辺りに口があるようだ。

「たぶん骨と皮になるか、赤ちゃんぐらいまで縮まないと無理ですよ」

 なにせ今のアルマが着ているのは、首の詰まったスタンドカラーである。無謀にもほどがある。


 ファリエがアルマのシャツのボタンをどうにか外してやり、彼女は無事脱衣に成功した。ファリエもそれを見届け、自分のワンピースのクルミボタンへ手を伸ばす。

 アルマは無理しかない脱衣によってボサボサになった長髪へ手櫛を入れながら、横目でファリエを見る。ふ、と薄い唇も緩んだ。

「せや、ファリエ。ちょっと聞いてほしいんよ」

「はい? どうしました?」


 アルマから相談事や愚痴を持ち込まれるのは日常茶飯事だ。ファリエは脱いだワンピースを、ロッカーの中のハンガーにかけながら気安い返事を返す。

 ありがとうな、と返してアルマは続けた。

「あたしさ、工房で働いとる友だちがおるんよ」

 ニーマ市において工房とは、すなわち魔道具の工房のことである。

「たしか、同郷の幼なじみさんでしたよね」

 ファリエも以前に聞き覚えがあったので、制服のブラウスに腕を通しながら微笑んだ。アルマはその幼なじみと偶然こちらで再会して、今も時折飲みに行っているはずだ。


(その人の誕生日プレゼントの相談、とかかな)

 アルマの「聞いてほしいこと」をそう予想しながら、ファリエは次の言葉を待つ。

「せやせや、ソイツ。昨日さ、ソイツと飲みに行ったんよ」

「あら、いいですね!」

 笑顔で相槌を打てば、アルマの紫色の瞳も弧を描いた。だが、どこか悪戯っぽくもある。

 含みのある視線に、ファリエが薄っすらと疑問符を抱いている内に、アルマは更に続けた。

「ほんでそん時にソイツから聞いてんけど、昼飯食べに食堂行った時に、吸血鬼の女の子がおってんて。珍しいやろ?」


 びくん、とファリエの全身が斜めに跳ねる。同時にアルマの笑みが深くなった。

「あ、そう、なんです、ね」

 含み笑いと話の流れから、彼女が何を言わんとしているのかが察せられた。ファリエはスカートのウエストからブラウスがベロンとはみ出したまま更衣室を抜け出そうとするも、背後からアルマに抱き着かれる。そのまま圧し掛かられた。


「……アルマさん、重いです」

 相手がアルマと言えども女性なので、言うべきか迷ったが。ファリエより上背も筋肉量もあるため、素直に重いと苦情を入れる。

 しかしアルマはどこ吹く風だ。飄々と続けた。


「その女の子な、銀髪のおかっぱでむちゃくちゃ可愛かったから、つい見ちゃっててんて。目の保養やわぁ言うてたよ。よかったやん」

「いえ、わたし、全然知ら――」

「で、よう見たら男連れで。しかもその男、前はちょくちょく食堂に来とった、赤毛で体格のいい兄ちゃんやってんて。髪色目立つし顔もそこそこいいから、覚えとったらしいわ」

「あの……」

「なんかお兄ちゃん、女の子のこと口説いてたって言うてたんよ」

「……」


 一部始終、アルマの幼なじみに見られていたらしい。ファリエは知られざる新事実とアルマの全体重によって、深くうなだれた。ロッカーのドアにたまらず縋りつく。

 おんぶを強請ねだるようにファリエへもたれていたアルマが、片眉を持ち上げて小さく息を吐いた。

「なあファリエ。自分、隊長に騙されたり、ええようにもてあそばれたり……弱み握られたりとか、してへんよな?」

 とんでもない誤解が生まれていた。ファリエはここに来てようやく、自分の職場の仲間たちが揃いも揃って過保護気味であると気付く。


 気付いたところでもう遅いので、慌てて振り返り、大きく首を振った。

「ちっ、違います! そんなのしてないです!」

「でもさ、割と小汚い食堂らしいやん? 大事な女の子相手に、そんなトコで口説く?」

「それは……あの、」


 おそらく昨日、ティーゲルは口説くつもりなどなかったのだろう。ファリエの歩調に合わせたいとは念を押すように言われたので、女性店員のからかいがきっかけの、突発的な口説きだったに違いない。

 ただ、いくら口説きの機会が生まれたからと言って、たしかにあの小汚い――いや、年季の入った食堂で、しかも周囲にむさ苦しい男性客がひしめく状況で口説くのは、たしかに夢も希望もない。しかし一方で、彼が本気であることもファリエは確信できたので

「だ、だって隊長、そういう人ですから!」

色々と言い訳は取っ払い、ありのままの事実だけを言うことにした。


 一切フォローのない、事実を濃縮還元したようなファリエの反論に、アルマも一瞬ぽかん、と口を開けて固まる。

「……もうちょっと、言いようなかったん?」

 そしてダメ出しが入った。小さくうなって、ファリエは涙目になる。頬も熱い。

「でもっ……事実、隊長の性格が、あれだったから、ああなったわけでして……」

「まあ、せやな。ほんま情緒ないもんなぁ、ウチのリーダー。水族館行ったら、どの魚が食えるかどうか気にするタイプやんな」

 指示語だらけの言い分に、アルマもおぶさり攻撃を止めて苦笑した。


 着替えを再開したアルマは、ジャケットを羽織りながら最後の質問を投げかけた。

「ほんでファリエは、隊長のことどう思ってるん? 友だちもその辺、盗み見してても分からへんかったらしくてさ」

 アルマは悪戯っぽさと一緒に、ファリエを案じる温かみもある笑顔を浮かべていた。

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