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48:クマ団長が言うことには

 着替え直後にささやかなひと悶着が勃発したが、その後の第三部隊の朝礼は滞りなく行われた。朝礼が終わるとすぐに、ファリエはティーゲルと共に会議へと赴いた。

 秋祭りの警備計画についての最終打ち合わせが、本日行われるのだ。


 会議室へ向かう道すがら、ファリエは自分の少し前を歩くティーゲルを見上げた。頭一つ分ほど大きい彼の背中は相変わらず広く、厚い筋肉に覆われて頑健そうだ。その肩の上では結われた赤毛が、歩みに合わせて上下に弾んでいる。

 ふと、ここ数か月の記憶を掘り返すと、彼の髪は肩にかかる程度の長さにずっと保たれているような気がした。ひょっとして既に、美容室をご利用済みなのだろうか。


(長いのも似合ってるから、たしかにこのままでも素――じゃなくて)

 ファリエはうっかり思考が脱線しかけた、慌てて軌道修正を行う。出来る限り表情を引き締めて、彼に声をかけた。

「あの、隊長……さっきはごめんなさい。隊長は全然悪くないん、ですが……その、ちょっとカッとなっちゃって……」

 が、凛々しいのは顔だけで、出てきた声はひどく頼りないものだった。朝礼直後の廊下は人気も少なく、しんとしている。おかげで普段なら雑音にかき消えてしまうであろう、ファリエの弱々しい謝罪もよく響いた。


 ティーゲルの足が止まり、ファリエの方を振り返った。怒っているような気がしたため、彼の顔は見れない。

 うなだれる彼女の尖った耳に、ふはっと小さく噴き出す音が届いた。

「ファリエ嬢でも、不良少年のようになることがあるんだな!」

 快活かつデカい声に、驚き混じりで顔を跳ね上げた。ティーゲルは楽しそうに笑っている。吸血鬼にとっては蛮行であるが、今すぐ中庭へと飛び出して、爽やかな朝日が降り注ぐ中で拝みたくなる笑顔だった。


 どこか陶然とした表情のファリエを不思議そうに見つめつつ、腕を組んだティーゲルは首をわずかにかしげた。

「ちなみに、どうしてカッとなったんだろうか? アルマ嬢と何か喧嘩でもしたのか?」

「えっと……」

 ここで

「そうなんです。ちょっとした喧嘩が起きまして。でも、もう仲直りしましたから」

と、無難オブ無難な回答をするのが最適解である、とファリエも頭では分かっている。

 分かっているのだが、彼女は小心者なのだ。嘘を付けばたちまち申し訳なさを覚え、その後も相手と顔を合わせるたびに、胃が痛くなるような小心者なのだ。


 よって、自分に好意を向けてくれる相手をごまかすなんてもってのほか、と心が拒否した。正直にぶちまける。

「……実は昨日の食堂に、アルマさんのお友達も、いたらしくて……その方経由で、アルマさんにも色々訊かれちゃい、ました……」

 ティーゲルは無言だ。しかし彼の喉の奥らしき部位から、うぐぅと奇妙な鳴き声がした。ウシガエルでも住み着いているのだろうか。

 ファリエは両手の指をこねこねしつつ、彼の筋肉が引きつった顔をじっと見守った。

 ややあって、ティーゲルの眉がへにょりと下がる。同時に背中も丸めて、長い長いため息を吐き出した。


「……ファリエ嬢、すまなかった」

「あ、いえ……」

「どうか、気が済むまで好きなだけ殴ってくれ」

「むっ、無理です!」

 突然の暴力要請に、ファリエは真っ青になって首を振る。アルマもティーゲル本人も、どうして彼を殴らせようとしてくるのか。


「だってわたし、怒ってませんもの! さっきのも、恥ずかしくてつい、八つ当たりしちゃっただけですし!」

「八つ当たりではないだろう! 正当な抗議のための暴力に違いない!」

 何故か被害者当人に擁護された。全く腑に落ちない。


 ファリエが納得できずに眉を寄せると、ティーゲルがこちらへ身を乗り出して来た。同時に腰も落として、自分の頬を指さす。

「さあ、したたかに殴ってくれ!」

「いっ、いやです!」

 両手で彼の肩を押し、思いとどまらせようとするのだが、結果として更に圧が増しただけだった。この男、態度だけでなく体幹も強い。

 それでもなおファリエが首を振り、彼への制裁を拒んでいると

「そうだな、素手では君の手を痛めてしまうかもしれないな。よし、ではこれを使ってくれ」

ロクでもないことを閃いたらしいティーゲルが、ノートと一緒に持っていた万年筆のフタを外して彼女に差し出す。嫌な予感しかしない。


「これを思う存分、突き立ててくれ! 急所以外なら、どこでも構わない!」

「やだぁ!」

 予感が的中してしまったファリエは上ずった声で、子どものような泣き言を発した。同時に大きな両目から涙も、豪快に流れ出る。何が楽しくて、好きな人の顔にペンを刺さなければいけないのか。

 まさか泣かれるとは思っていなかったらしく、ティーゲルはギョッとして後ずさった。

「あ、ファリエ嬢……そんなに嫌なのか?」

「嫌に決まってます!」

 ファリエは尻尾を踏まれた猫のように、甲高い声でぴしゃりと返す。


「ホロウェイ君……そういう特殊なプレイを職場で、しかも部下に求めるのはどうかと思うよ」

 ここでファリエの背後から、ティーゲルのファミリーネームを呼ぶ声がした。渋い中年男性の声である。慌てて二人で声のした方向を見ると、クマそっくりの風貌の男性が立っていた。ひげを蓄えたこの男性は、ニーマ市自警団の団長だ。

 ファリエはあわあわと、制服の袖で涙をぬぐった。そして半歩、廊下の隅へと下がる。一方のティーゲルは前へと歩み出て、まだ目元の赤いファリエを隠すように立った。


「特殊なプレイではなく、俺が不始末をしでかしたので、ファリエ嬢に体罰を願い出ていただけです」

「うん、そういうの、世間では特殊なプレイに含むと思うよ……傷害事件を取り締まってる僕らが、体罰を推奨しちゃ駄目でしょ」

 黙っていればいかつい団長だが、その性根はクマよりも小動物寄りだ。今も情けない顔になって豊かなひげを撫でている。シリルによく泣かされているのも、仕方がないだろう。

 しかし言っていることはとても真っ当なので、下唇を噛んだティーゲルはうなだれた。


「……俺が浅はかでした、すみません」

「うん、分かればいいよ。ところで――」

 団長は人目を窺うように、ぐるりと周囲を見た。瞬間、ファリエは再び嫌な予感を覚える。

 たしかティーゲルに、あの美味しいコロッケの存在を教えたのは彼のはずだ。

 昨日の食堂についても同様に、団長が紹介した可能性はあるのではないだろうか。

(もしかして昨日の……団長も見てたの?)


 ファリエは血の気が引いていくのを感じた。手指も冷たくなる。

 幸いにして、目の前のティーゲルは団長に視線を向けており、その団長も彼が遮蔽物になっているのでファリエの顔色を窺えない立ち位置にいた。

 なので団長はひげを撫でながら、のんびりした口調で続ける。

「後で正式に発表する予定だったんだけど、ここで会ったのも何かの縁だろうし。先に言うね」

「はぁ……」

 訝しげなティーゲルの声に構わず、団長はグッとサムズアップする。

「ティーゲル・ホロウェイ君。君には秋祭りの当日、カーシュ議員警護班の班長になってもらうよ。一緒にファリエ・シュタイア君、君も魔術師として警護班に参加してもらいたいんだ」


 ティーゲルについては、前々から団長直々に打診が入っていた。忙しいのを理由にティーゲルは再三断っていた――そしてシリルも面白がって、団長が来るたびに鞭や警棒で追い返そうとしていた――が、ファリエの参加に関しては初耳だ。

 ファリエはさっきまでの不安も忘れて、目と口をぽかんと開く。おそらくティーゲルも同様の心境らしく、呼吸も忘れてにわかに固まっていた。


「……俺はともかく。ファリエ嬢のことは、初めて伺ったのですが」

 ようやくふり絞られた彼の声は、割と不機嫌そうである。実際、思い切り眉を寄せていわゆる怖い顔になっていた。小鳥のような精神の持ち主である団長は、ついびくつく。


「ごめん、言い忘れてたかもしれない。でもこれは、議員たっての希望でね」

「何故議員が、ファリエ嬢を? 彼女の顔見知りや、親戚か何かですか?」

 あいにくファリエには、カーシュというファミリーネームに心当たりがない。咄嗟に首をぶんぶん振ると、それに気付いたティーゲルが振り返る。彼は怖い顔を緩め、眉を垂れさせてファリエを見つめた。

「……ファリエ嬢本人は、カーシュ議員を知らないようですが」

「ごめんごめん、今度は語弊があったね。議員もシュタイア君とは顔見知りじゃないけど、彼女が吸血鬼だと聞いてね、ぜひ会いたいと希望されてるんだ」


 ティーゲルが「ファリエ嬢は見世物じゃない」と激怒する前に、額に汗を浮かべた団長が早口で弁明した。

「もちろん! 好奇心じゃなくて、正当な理由があっての希望だからね!」

 どうやらカーシュ議員も物珍しさから、ファリエを求めているわけではないらしい。


 人間社会は吸血鬼にとって、居心地がいいわけではない。なにせ日光問題や、食糧問題が常に付きまとって来る。

 そしてニーマ市の所属する州において、吸血鬼の住人の数は大都会と比べてずっと少ないのだ。

 優秀な魔術師が多い吸血鬼にとっても住みよい街づくりを目指すべく、ファリエの意見を聞きたいというのが議員の主張らしい。


「議員側も、わざわざシュタイア君と記念撮影したり対談したり、宣伝に使うつもりはない、と約束してくれている。それに娘さんがシュタイア君と同世代らしくて、知らない土地で頑張る女の子を激励したい、とも言ってくれていて……」

「そこまで言われて断れば、俺はただの気の利かない上司ではないですか」

 裏がある可能性は大だが、表面上は善意一色である。ティーゲルもげんなりした声でうめいた。


 次いで彼は、もう一度ファリエへ振り返る。先ほどよりも情けない表情に、ファリエはついキュンとした。

「……というわけ、なんだが」

「はい。お役に立てるなら、頑張ります」

 朝から続いていた遺恨をきれいさっぱり流して、ファリエは笑顔でうなずいた。本人の快諾に、団長も文字通り諸手を上げて喝采を上げる。ついでに巨体で、ピョンと飛び跳ねた。


「ありがとう、シュタイア君! 詳しい話はまた、会議の時にお伝えしよう!」

「はい、よろしくお願いします」

 ファリエはティーゲルの陰から身を乗り出し、彼へ向かってもこくりとうなずく。

 物わかりのいい部下にホクホク笑顔の団長は、そうだ、と分厚い手を一つ打った。


「そうそう、ホロウェイ君。あと、もう一つあったんだ。こっちは本当に、ささいな話なんだけどね」

「はい、なんでしょう」

「プロポーズする時はさすがに、もっとお高めで雰囲気のいいレストランを選んだ方がいいと思うよ」

 団長はのほほんと微笑んでいるが、ティーゲルは思い切りむせた。背中を折って咳き込む彼の背中をあわあわさすりつつ、ファリエの脳裏に浮かんだのは諦念、である。

(やっぱりあのお店、団長がおすすめしてくれたんだ……)


 不意打ちによる動揺で、気管が馬鹿になったのか。未だ咳き込んでいるティーゲルが、その合間に

「やっぱり、気が済むまで殴ってくれ……」

と、か細い声でファリエに懇願してきた。

 さすがに今回は一発ぐらい殴るべきかもしれないと、ファリエもしばし真剣に考え込んだ。

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