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50:隊長の本気

 二人で祭りを見て回らないか――そうティーゲルにこっそり提案されたファリエは、目をまん丸にして固まっていた。

 割と予想通りの反応であるため、ティーゲルはつい笑ってしまう。

(俺も分かりやすい性分だと言われるが、この子には負けるだろうな)

 もちろんこの腹芸の下手っぴぶりは、ファリエの魅力の一つでもある。言い換えれば素直ということなのだ。


「カーシュ議員は一日目だけ参加の予定だし、俺たちも二日目は休みだ。どうだろうか?」

 ぽかんとしたままのファリエに続けてそう尋ねれば、ようやく衝撃から立ち直ったらしい。とんがり耳まで真っ赤にしつつも、小さくうなずいてくれた。

 内心ではティーゲルも緊張しっぱなしだったので、ホッと表情が緩んだ。

「よかった。それでは詳細はまた、追って決めよう」

「は、はい」


 か細い声でそれだけ返し、でも最後にふわりと微笑んでくれたファリエは、出来る限りの速足で給湯室に向かった。

 鉄壁の鈍くささの持ち主なので、転ばないといいのだけれど――と、ティーゲルが考えていると案の定と言うべきか、彼女はバランスを崩しかけていた。

(ファリエ嬢、こういう期待には応えなくていいんだぞ!)

 幸い、ファリエがティーセットをぶちまける直前で、アルマが彼女を支えた。

 その後、ファリエとティーセットが無傷のまま廊下へ出たのを見届け、ティーゲルは執務室の扉を再度閉じた。それに合わせ、後ろからわざとらしいため息が。


 ティーゲルが振り返ると、いつの間にか自席に戻っていたシリルが普段以上に不景気な面構えで彼を見ていた。

「女性を口説くのは、業務外でやっていただけませんか? さしもの私も、多大なる居心地の悪さを覚えました」

 小声でやり取りしたものの、どうやらばっちり聞こえていたらしい。まずい。

 今度はティーゲルが居心地の悪さを覚え、つい背中を丸める。


「すまない、聞こえていないと思っていた」

 素直に謝って素直に言い訳すると、再度ため息をつかれた。さきほどよりもわざとらしさの減った、シンプルに呆れ果てた様子のため息である。これはこれで気まずい。

「貴方の地声は、他の方より大きくていらっしゃるので。密談も筒抜けになりがち、と覚えられるとよろしいかと」

 新事実にティーゲルはぐ、と喉の奥を鳴らす。

「それは、知らなかった……ただ、まだギリギリ休憩時間だから、許してくれ」


 このことを団長に告げ口でもされたら、また「だから口説く時は、もっと雰囲気作りから頑張らないと駄目だろう?」と、こっぱずかしい忠告を受けかねない。

(仕方がないんだ! 照れるファリエ嬢が可愛かったから、つい誘ってしまったんだ!)

 勢い任せにデートのお誘いをしたのは事実なので、この主張は胸の内で絶叫するだけに留めた。


 露骨に顔色と、そして旗色の悪さを晒しているティーゲルを、シリルは細めた目で凝視していたのだが、やがて視線を自分の手元にある書類へ戻す。そして再度ため息をついた。今度は小さく、短いものだ。

「全く。腹芸は下手でいらっしゃるのに、案外弁が立たれるのですね。忌々しい」

「……忌々しいって言ったのか、今?」

 最後に思い切り聞き捨てならない一言を吐かれた気がしたので、ティーゲルは柄にもなく突っ込んでしまったが、華麗に無視された。

「隊長には是非とも、ファリエさんの半分程度の道徳心や倫理観程度はお持ちいただきたいものです」

「人のことを、見境のないナンパ野郎みたいに言わなくてもいいだろう」


 シリルの丁寧な口調の割に思い切り毒舌な点は、今に始まったことではない。けちょんけちょんにこき下ろされたものの、ティーゲルも軽く口をすぼめて抗議するに留めた。

 拗ねたティーゲルも自席に戻ると、向かいの席からなおも疑惑の目を向けられる。

「ちなみにですが。実際のところ、ファリエさんの事は本気であると考えてもよろしいのでしょうか? それとも体だけがお目当てで、キリのいい所でヤリ捨てなさるご予定ですか?」

「やっぱり君、俺のことを見境のないナンパ野郎だと決めつけてるだろう」

「どちらかと言えば、見境がなくだらしない下半身をお持ちの、とにかく女好きのナンパ野郎ではないか、と愚考しておりますね」

 もっと酷かった。ティーゲルも思わず両手を机に突いて、うつむいたまま長いため息をこぼす。


「そんなわけあるか……ファリエ嬢のことは、当然本気に決まってるだろ」

「ほう。それは何よりです」

 てっきりまた小言や嫌味を言われるかと思ったのに、シリルはあっさり引き下がった。ティーゲルが思わず顔を跳ね上げて彼を見ると、いつも通りの腹の内が読めない涼しい顔だった。

「当団は、職場恋愛を禁止しておりません。よって以前にも申し上げました通り、業務が円滑に進むのであれば、私はお二人の仲を他所よそへ告げ口したりする予定もございません。もちろん隊長が下半身任せの火遊びを目的としていらっしゃるならば、その限りではありませんが」


 実のところシリルが言いふらさなくても、ティーゲルの軽挙によって既にアルマと団長にはモロバレである。ただ、これは言わない方がいいだろう。

 シリルはこれで愛妻家で子煩悩なため、絶対に

「女性に対して、なんという粗雑な口説きを繰り出しているのです」

といった小言と嫌味が飛んでくるに違いない。


 なのでティーゲルは余計なことは言わず、素直に彼へ礼を言った。

「気遣ってもらって、感謝する。もちろんファリエ嬢の気持ちも考えながら、仕事が円滑に進むよう注意していく」

「ええ、そうしていただけると幸いです」

「しかし君は、案外柔軟なんだな。こういったことは絶対に嫌がると思っていたのに」

「おや、心外ですね」

 言葉に反して、シリルの表情は淡白なままだ。


「ファリエ嬢のうっかり吸血事案から現在に至るまで、私の職場環境は非常に良好な状態を維持しております。現状がこのまま続く限り、私はお二人のイエスマンで在り続ける所存ですよ。原動力が色恋沙汰であろうとも、業務効率の改善という目的が達成出来ているのであれば問題ありませんので」

 この回答は、実にシリルらしいものだ。なるほどな、と呟いたティーゲルはふと手元に目を落とした。

 未決済の書類が、机の隅にまとめられている。最近は会議続きだったため、まあまあな量が溜まっていた。


「イエスマンなら、この書類の決裁を代わりに――」

「嫌です、無理です、断固ノーです」

 即答での三連続拒否に、たまらずティーゲルは大笑いしてしまった。そしてそんな大笑いの大きさによって

「声量が常軌を逸していらっしゃいます。後ろ髪に、マンドレイクが寄生なさってるのではありませんか?」

と、また嫌味を賜る羽目となる。

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