若手の男性団員以外からも、愛玩動物や孫の立ち位置で愛でられているファリエだが、本人だけはそのことに全く気付いていなかったりする。
「自警団の皆さんは優しくて、素敵な方が多いのね」
などとのんきに考え、無邪気に周囲の優しさをありがたがっているのだ。
よってファリエは今も、自分が周りから案外つぶさに観察されていることなど、一切気付いていない。
ティーゲルからのお誘いによって頬が赤いまま、デレデレと微笑んでいる様もばっちり見られているのだが、本人は
(あ、いけない。またニヤけちゃって……誰も見てないよね、うん)
と、極めて楽観的に安堵していた。実際にはふにゃふにゃ笑顔にほっこりする面々が、周囲に何人もいるのだが。
ニヤニヤ顔で給湯室へ向かい、手慣れた動作でティーセットを洗う。給湯室の流しの隣には、使い終わった食器類を乾かすための水切りかごも用意されている。白いカップやお皿たちを、そこに行儀よく並べた。
そして再び第三部隊のオフィスに戻って来る時になってようやく、ファリエは顔の締まりを取り戻す。
(だめだめ。だらしない顔で部屋に戻ったら、変な子だと思われちゃう。ただでさえ、鈍くさい子って思われてるのに)
軽く息を吸って、出来るだけ凛々しくなるよう眉も寄せ、背筋を伸ばして扉を開いた。
「……え?」
しかしすぐさま、キリリと引き締めた顔が緩んだ。ほとんど吐息のような疑問符だけを発して、ぽかんと間抜け面になる。
なにせ室内の半数以上が机につっぷしており、中には嗚咽混じりの者もいるのだ。これはただ事ではない。
まさか彼らの嘆きの原因が自分だとは思わず、ファリエは自席に座っているアルマへ近づいた。
「あの、アルマさん……皆さん何か、あったんですか?」
来月のシフト表とにらめっこしていたアルマは、顔を上げるとほんのり笑って肩をすくめた。
「気にせんでええよ。当てる気もないのに、なんとなーく万馬券だけ
「万馬、券?」
職場で耳にするとは思えなかった単語のため、ファリエはすぐに理解できなかった。
アルマの斜め向かいに座るヘイデンが、一口サイズのチョコを口に放り込んでから呆け面の彼女へ笑いかける。
「そう、万馬券。競馬のね。だからこれは、ただの自業自得なんだよ」
「あらまあ、ギャンブルでしたか……」
享楽的な性分の者が多い吸血鬼には、ギャンブルや酒で身を持ち崩すようなお馬鹿さんも多い。吸血鬼にしては実直で生真面目な両親の下で育ったファリエは、そういう事情もあって賭け事全般にいい印象を持っていなかった。つい眉をひそめてしまう。
うっかり冷ややかな表情になったファリエを、先ほどまで嘆きまくっていた隠れファンたちがこぞってうっとり見上げた。中には拝む者もいる。
彼女の怒り顔は貴重なので、思いがけない敗北に打ちひしがれていた心に染み入るのだ。
しかしファリエにそんな事情は一切見えないため、ギョッとのけぞった。
「え? え? あの、皆さんほんとに大丈夫、ですか……?」
アルマは、不安以上に恐怖が先走っている彼女にクッキーを握らせた後、ポンと肩も叩いてやった。
「ほんまに心配せんでええよ。大金なくなってもうて、それで凹んで頭おかしなってるだけやから」
「はぁ……でも、皆さん、顔色も悪いので……気分転換に、あの、窓でも開けます? 今日はお天気みたいですし、わたしも日焼け止め塗ってますし」
ファリエは嘆きの軍勢の背後にある、窓を指さした。そこは中庭に面しており、遮光フィルムさえなければ眺めも抜群なのだ。
「あー、かまへん、かまへん。ほっとき」
「えっ……放っておいて、いいんですか……?」
アルマはぶんぶんと首を全力で振り、ファリエの小さな気遣いを固辞した。一方のファリエは、そんな態度で余計に困惑している。
二人を見守りつつチョコを楽しみつつ、報告書作成をしていた器用なヘイデンが、ここでふわりと笑ってファリエに声をかけた。
「ねえ、ファリエちゃん。ちょっと訊いてもいい?」
「あ、はい、なんでしょう」
視線をヘイデンに移し、ファリエは大きくうなずいた。
「ファリエちゃんはさ、好きな女の子のことをずーっと観察しながら、告白せずに付きまとう男の人のことって、どう思う?」
意図不明な突然の質問に、ファリエは小難しい顔で沈黙した。
しばらくして。アルマに貰ったクッキーをじっと見つめて、ファリエはためらいがちに答える。
「えっと……あの、ごめんなさい。わたしはちょっと、気持ち悪いと、思っちゃいます……」
「だよねぇ。僕もそう思うよ」
「ちなみに今のって、ヘイデンさん……の、お友達のお話ですか?」
ヘイデンも同意したので、彼自身の話ではないらしいと推測しつつ、ファリエはおっかなびっくり尋ねる。
「うーん。そうだね、そんなところだね」
頬杖をつき、ヘイデンは曖昧に微笑んだ。当たらずとも遠からじであったらしい、とファリエはぼんやり判断する。
それならばと、ファリエはこの場の最年少にもかかわらず老婆心をエンジン全開にした。やや前のめりになって、ヘイデンへ訴える。
「あの、ヘイデンさんのお友達の方に、ぜひ、伝えてあげてくださいっ。きちんと気持ちを伝えないと、気味悪がられてかえって嫌われちゃいますって」
真摯な警告に、ついついヘイデンは噴き出しそうになりながらも、どうにか笑いをこらえた。
「……うん。ありがとう、ファリエちゃん。そいつに必ず伝えるよ」
優しく礼を言われ、ホッとしたようにファリエも微笑んだ。
自分に向けられた、彼女曰く「ちょっと、気持ち悪い」好意にまるで気付いていない様子がおかしいため、ヘイデンの悪戯心がついうずいた。
「ファリエちゃんは真面目で元気で背の高い、赤毛のお兄さんが好みだもんね」
「ギュエッ」
爬虫類めいた珍妙な悲鳴が、ファリエの喉奥から漏れ出た。
列挙された特徴が、どう考えても特定の人物を指している。
(どうしてヘイデンさんが、知ってるの? さっきの……訊かれちゃったの?)
嫌な予感に、気の小さいファリエの脳内はもはや真っ白だ。気の利いた言い訳やごまかしも、何一つ思い浮かばない。
「あっ、えっ、それは……」
「違うの?」
真っ赤な顔で面白いぐらい目が泳いでいる様子を見つめ、ヘイデンは楽しそうに追撃。ファリエは額と背中に、ぶわりと汗が湧き出るのを感じた。
「もっ、黙秘……という、ことで……あの……」
「そっか、それじゃあ仕方ないね。早く弁護士見つけてね?」
ムフフと笑うヘイデンに流され、ファリエは涙目で弱々しくうなずく。
「……はい……いえっ、わたし、悪いことはしてませんから!」
しかしすぐに焦って訂正を入れる様子がまた可愛らしく、ヘイデンはのんきに笑った。
「それもそうだね。上手くいったら、こっそり教えてね?」
「う……はい……」
渋々ながら再度うなずけば、ヘイデンは満足げだ。にんまりと笑みを深くしている。兄代わりとしては、言質が取れたので納得したらしい。
こんなやり取りの周辺では、二人の一問一答が恋心や良心にぶっ刺さり、甚大なるダメージを負う連中が多々いた。
勝手にこじらせて勝手に落ち込む面々を白けた顔で観察している代表として、アルマは鼻でヘッと笑う。
そして「アホらし」と、声には出さず、唇だけを動かして呟いた。彼女のボヤキに気付いた、少し離れた席に座る事務員二人も、揃って呆れ顔でうなずいている。