ファリエが補佐官に就任した直後、ティーゲルへの吸血は三・四日に一回程度の頻度で行われていた。ティーゲル本人は毎日の吸血を切望していたものの、「それでは本当に命が危ないので」とファリエが涙目で拒否し、シリルも言葉責めで以って彼を制止してくれた結果、前述の頻度に落ち着いたのだ。
しかしそれも、今は昔。
人の好さが天井知らずなファリエのおかげで、ティーゲルの食生活は劇的に改善した。これに連動して彼の睡眠の質もまた、少しずつ平穏さを取り戻していたのだ。
ファリエとシリル、そしてファリエの仲介もあって積極的に手助けしてくれるようになった事務員コンビの力添えもあり、事務仕事にあまり追いつめられなくなったのも無論、大きな要因だろう。
よって秋祭りの前夜でもある現在、ファリエはティーゲルから久しぶりの吸血を所望されたため、初心に立ち返って大いに照れていた。
真っ赤な顔でへっぴり腰になっている彼女に、ティーゲルは口元を震わせている。ファリエの気分を害して吸血を断られないよう、大口を開けて笑うのは我慢しているようだ。
「ファリエ嬢、その及び腰は今更じゃないか?」
「だって、あの、ブランク、あるもので……元々ずっと、ほんとに恥ずかしかったんですっ。照れても仕方ないんですっ」
ファリエはもにょもにょと言い訳を重ねた末、涙目で開き直ることを選んだ。ややうつむいたティーゲルが、咳き込むようにして笑っている。
ファリエも彼が相手だと、最近ではだいぶ気安い態度を取れるようになっていた。そのため今も、空咳で笑いをごまかそうとするティーゲルを半眼でにらむ。
「笑い疲れたら、ぐっすり眠れると思うので。今日はもう吸血しなくてもいいですよね?」
「いや、それは困る!」
にらみつつ吸血をなしにしようと企んだが、あっさり拒否されてしまった。
「本土の議員様のお世話をしなければならないんだ、何が何でも熟睡したい……というわけで、がっつり頼む! なんだったら、半殺しにしてくれても構わない!」
熱意みなぎる懇願と同時に、ガバリとシャツの襟もはだけられた。ファリエは咄嗟に視線を斜め後ろに飛ばし、甲高い声で反論する。
「しっ、しません! かえってカーシュ議員に迷惑かけちゃうんじゃ……早く服、もっ、戻して、くださぃ……」
語尾のかすれた弱々しい声に、胸元がほぼ丸出しになっていることに気付いたティーゲルが
「勢い余った、すまない」
若干照れくさそうにうつむいて、上三つ目までのボタンを留め直した。が、勢いよくシャツをはだけさせたものだから、途中でボタンの弾き飛んでいる箇所もあった。やはり前世はドラゴンなのだろうか。
そっぽを向いているファリエは、視界の端っこでティーゲルがもそもそと動いているらしい様子を捉える。
「……もう、そっち向いて、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ」
顔を半分だけ戻して横目に見、彼が露出スタイルを止めたことを薄っすら確認して、ようやく向き直る。
「……いつも通り、ちょっぴりだけなら吸いますので。もう、シャツ破かないで下さいね?」
白蝶貝のボタンが取れたり、あるいは取れかかっているのを見つけ、ファリエは苦笑まじりにそう釘を刺した。ティーゲルもボタン穴だけが残った箇所を指でなぞり、ばつが悪そうにはにかむ。
「うむ、すまなかった。気を付けよう」
「隊長って……あの、ボタン付けは……」
ためらいつつも、気になったので尋ねてみると。ティーゲルの背中が露骨に丸まった。おまけに両手で顔を覆っている。小さくうめき声も聞こえるので、ボタン付けが下手あるいは出来ないのに軽率な行動をしてしまった、と今更悔いているようだ。
まるでお手本のような「後悔先に立たず」っぷりに、ファリエの表情が更にほころぶ。
「お仕事終わったら、シャツ貸してください。帰ったら付けておきますので」
「まっこと、申し訳ない!」
顔を覆っていた両手を膝に乗せ、深々と頭を下げられた。豪快かつキレのいい謝罪で、先ほど笑われたことへの小さなむかっ腹も、あっという間に消え去ってしまう。
結果として残るのは、気恥ずかしさだけだった。一度深呼吸をして、ファリエは気合を入れ直す。
「えっと、それじゃあ、ちょっとだけ……いただきます」
「うむ、召し上が――あ、すまない。ちょっとだけ待ってほしい」
改めて襟元を広げかけ、ティーゲルは片手を突き出した。食料である彼からの待ったが入るのは初なので、ファリエも目を丸くする。
「どうしました? やっぱり止めます?」
期待のあまり口調が弾んだものになったが、返されたのは生真面目な顔だった。
「いや、止めない。ただトッピングを用意していたんだ」
「トッピング……?」
ファリエが首をかしげていると、ティーゲルは机の引き出しからいくつかの小瓶を取り出した。それぞれ、ハチミツやジャム、あるいはチョコレートソースのようである。
ずらりと小瓶を机に並べ、ティーゲルは自分の首筋を指さした。
「よければ気分転換に、塗ってくれ! オススメはこの、リンゴジャムとハチミツだ!」
「塗りません!」
どうだ、と言わんばかりに自信たっぷりな笑顔へ、ファリエは真っ赤になって拒否を叩きつける。ティーゲルがなおもハチミツを勧めようとしたので、その前に肩へ両手を置いて、ぱくりと首筋に噛みついた。
こんなに押しの強い性格なのに、ティーゲルは恋愛面においてファリエの歩調に合わせてくれている。だから彼女に好意を告げた後も、私的な付き合いは今まで通り、ご飯をごちそうになるぐらいだ。休日の外出も、まだ二回しか行っていない。もちろん手つなぎや、キスもまだだ。
にもかかわらず抱き着いて噛みついてくれとお願いされると、ファリエはただただ困るのだ。恋心を自覚した状態での密着は――ご褒美でもあり拷問でもある。
一方のティーゲルは純然たるご褒美だと思っているらしく、いつもは噛みつく瞬間に痛そうな吐息をこぼしていたのに、今日は鼻歌混じりだ。
ファリエはそれが腹立たしくて、ゆっくり血を飲みつつ、彼の肩から両手を下ろしてわき腹に添わせた。ぴくり、とティーゲルの体が一度跳ねたが、制止はされなかった。
それをいいことに彼の腹の皮をつまんで、力任せにねじり上げる。
「ファリエ嬢、それは痛い。かなり痛いっ」
痛くて当然だろう。痛がらせるためにひねっているのだから、と言う代わりにファリエは彼の首を一つ舐めた。