照れくささや羞恥心、いけないことをしているような背徳感はあったが。勢い任せのティーゲルに
後味も劇的に進化した彼の血も (不本意ながら)味わったことで、ご機嫌な笑顔になって首筋から顔を離した。ついでに、両わき腹への制裁も終了する。
「はい、ごちそう様でし――きゃっ」
体ごと一歩後ろに下がろうとしたのだが、その前にティーゲルの腕がファリエの腹部に回されたのだ。
(わたしも、お腹つねられちゃうの?)
我ながらつまみやすい、ぷにぷにで腹筋無分割なお腹である。そこをティーゲルの人外筋力でつねられたら、悶絶必至だ。ファリエは咄嗟に青ざめて、両手で彼の肩を押そうとした。
が、それよりも早く彼の腕に引き寄せられ、そのまま太ももに乗せられてしまった。足も腕同様に筋肉質で太いため、安定感がある。これは人体のふりをした丸太だろうか。いや、やはり体温が高いので、丸太のふりをした人体で間違いないのだろう――わき腹つねりの制裁が下される、と思ったら何故か丸太もとい足に乗せられたため、ファリエの頭は半ばパニックだった。
「あ、えっ、これ……あの?」
制裁と呼ぶには甘ったるいスキンシップだ。ファリエは彼の意図が分からず、体を縮こませて恐々と顔色を窺った。触れ合う体温に、ついつい頬も熱くなる。
不機嫌または悪巧みフェイスを浮かべているかと思いきや、ティーゲルはにこにこと嬉しげだ。ご機嫌フェイスのまま、疑問符を浮かべるファリエの顔を覗き返す。
「ファリエ嬢」
「ひゃっ、ひゃい!」
至近距離で名前を呼ばれ、ファリエは飛び跳ねそうになった。がっしり両腕で固定されているので、実際に出来たのは肩をびくつかせる程度だが。
「明日の警護は、お互い頑張ろう」
とんでもない密着具合から発せられたのは、そんな業務連絡めいた激励だった。
(わざわざそんなこと言うのに、こんなご褒美を……? 体勢と台詞の、温度差がひどすぎる)
ちぐはぐさに、ファリエは困り顔になった。とはいえ、明日の警護に励まなければいけないのは事実なので。ティーゲルの態度に困惑しながらも、お義理程度にうなずいた。
「えっと、はい、がんばります……?」
最後が疑問形になったのは、許してほしい。
彼女の困りっぷりに小さく噴き出して、ティーゲルの笑みはますます濃くなった。
「もちろん、明後日も楽しみにしている。見て回りたい出店があれば、ぜひ教えてくれ」
「は、はいっ!」
こちらは全力で楽しみだと言えた。ファリエは表情に明るさを取り戻し、今度は素直にうなずく。
が、ここで会話が途切れたため、とうとう彼女は音を上げた。
「あの……ところで、どうしてお膝に?」
「ふむ? ああ、うん――なんとなく」
「はぁ」
歯切れの悪い回答だったため、ファリエも生返事になった。なんとなく、胡散臭いものを見る目になってしまう。
だが、おかげで彼女の心情は正しく伝わったらしい。ティーゲルは一度苦笑いを浮かべると、彼女の肩口に額を押し付けた。
「あと少し、人肌が恋しくなった」
「……まだそんなに、寒くない、と思います……けど」
「気温というより、精神的な寒さだな」
ファリエの気恥ずかしさは頂点に達しているが、ティーゲルの声はたしかにどこか湿っぽい。無理やり逃げ出すのも忍びなく、縮こまったまま膝に乗った状態で首をかしげる。
「あの、なにか、嫌なことがあるんですか?」
「まあ、明日の警護だな。柄にもなく、俺で務まるのかという不安があるんだ」
珍しく自嘲気味の声だ。どうやら先ほどの激励は、自分へ向けたものでもあったらしい。
ファリエとて議員様の警護など、緊張しかない。しかしティーゲルはそんな警護班の指揮官まで命じられているのだ。そのプレッシャーは途方もないだろう。
普段は周囲の人間の庇護欲をくすぐりまくっているファリエだったが、不意に己の母性が奮い立ってしまう。自分を膝に乗せて気落ちしているティーゲルに、キュンとしたのだ。おずおずと、自分を囲う彼の腕に手を乗せる。
本当は抱きしめ返したかったが、そこは羞恥心に止められたのだ。
「あの……よければもうちょっと……お膝、乗ってましょうか? ぬいぐるみ代わりぐらいなら、出来ると……思うので」
ふはっとティーゲルの笑う気配がした。ファリエの肩に頭を預けたままなので、顔は見えない。
「ファリエ嬢がぬいぐるみか、それは困るな」
「あ、ぬいぐるみなのに、重すぎますよね」
「重さは全く問題ないんだが、ぬいぐるみ相手にどぎまぎしていたら変態だろう?」
もう部下から変態疑惑をかけられてますよ、とは言わずに留めた。
「……隊長がお膝に乗せて来たのに、照れてるんですね」
代わりにもう一つ気になったことを突けば、また笑う気配がする。
「うむ、多少は」
「多少でしたか」
「それより甘えたい欲が勝って、こうして暴挙に出てしまった。全く申し訳ない」
謝りつつファリエを解放する素振りがないため、彼女もふにゃりと笑った。
「わたしも明日のこと、やっぱり緊張してます。なのでくっついてると、安心できるの分かります」
「それはよかった」
安堵の吐息と一緒に、気の抜けた声が聞こえた。ファリエを固定している両腕が、更にぎゅっと彼女を抱きしめた。
「……駄目だ。眠くなってきた」
が、そのままちょっと舌の回りも緩くなった声がしたので、ファリエはギョッと目を剥く。
「隊長! それはほんとに駄目です! 帰りましょう、お家!」
「でもここ、仮眠室ある、し」
「議員と会うんですよ! ちゃんと帰ってお風呂も入って、お着替えして、綺麗な姿で会いましょう!」
ファリエはティーゲルの腕や胸板をバンバンバンと、三三七拍子のリズムで叩いて睡魔の妨害を図った。
しかしおねむな彼から解放されたのは、それから十五分後のことであった。