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55:議員とはじめまして

 翌日の朝、州議会議員であるカーシュ女史は拳闘祭もとい秋祭りの開催よりもずいぶん早くにニーマ市を訪れた。

 ファリエもカーシュ議員の姿は、新聞の写真で見かけたことがあった。しかし実際に会った彼女は想像よりも細身かつ小柄で、おそらくファリエよりも背が低いだろう。

 にもかかわらず、ファリエなどとは比べるべくもない圧倒的存在感があった。


(オーラって言うのかな。やっぱり政治家さんって、すごい)

 警護班の最後尾にこっそり立ち、議員と挨拶する団長たちを眺めながらぼんやりと考えた。

 その議員の顔が、突如こちらへ向けられたのでファリエはすくみ上がった。一人だけ日傘を差しているのでたしかに悪目立ちするだろうが、視線を独り占めしてしまうと落ち着かない。

 どうしよう、とキョトキョト辺りを見渡して焦っている内に、カーシュ議員はパンプスのヒールをリズミカルに打ち鳴らして歩み寄って来た。ファリエはすくみ上がったまま、硬直した。既に青いたれ目は、極限まで潤み切っている。


 しかしカーシュ議員は、存外人好きのする笑顔だった。首元に巻いたお洒落なスカーフを一度撫でてから、笑みを濃くする。

「貴方がシュタイアさんですね? お噂はかねがね伺っております」

「きょっ、恐縮、ですっ」

 ファリエが見事にひっくり返った声でへどもど頭を下げれば、議員は口元に右手を当てて

「やあね、そんなに緊張なさらないで下さいな。色々、お話もお聞きしたいもの」

そんなことを言いながら、左手でファリエの二の腕を軽くぱしぱし叩いてきた。州議会議員というより、買い物中に出くわす近所のご婦人のような気安さだ。


 予想外なフレンドリーさにファリエは呆け面となる。呆気に取られる彼女の二の腕を、カーシュ議員は最後に一つ撫でた。

「私事なのですが、貴方とそう年が変わらない娘が一人おりまして。今年で十八歳です。ですので親元を離れて、故郷からも遠く離れて、しかも他種族のコミュニティで頑張る女の子のお話なんて伺ったら、とても気になってしまいまして」

 カーシュ議員は言葉通り、優しい母親の表情になっている。社交辞令ばかりではないらしい。ファリエも自分の母を思い出し、いつもの笑顔に戻った。

「ありがとう、ございます。あの、わたしでよければ、なんでもお尋ねください」

「まあ、ありがとうございます」


 どこか心配そうに二人の邂逅を見守っていた、周囲の団員や議員秘書たちも、ほっと胸をなでおろした。

 平和な出だしとなった議員の秋祭り見学は、その後も和やかに進んだ。権力者や金満家には容赦ないと評判のカーシュ議員だが、団員たちにはとても協力的だった。自分の右腕であろう秘書たちにも偉ぶらず、丁寧な姿勢を維持している。一般住民から人気を誇っているのもうなずける。


 一度自警団本部で、カーシュ議員側と最終打ち合わせを行った。その後は複数台の車に分かれ、まずは秋祭りの異名の由来でもある拳闘大会の会場へと向かった。

 例年通り、港には特設ステージが設置されている。カーシュ議員はその特設ステージで行われる、拳闘大会の開会式に出席予定なのだ。


 ファリエとティーゲルは、カーシュ議員と同じ車に相乗りしていた。助手席にティーゲルが座って、後部座席にファリエとカーシュ議員が乗った。もちろん車体には全面、ファリエによって防御用の障壁魔術が施されている。対戦車用の攻撃魔術でも、一発程度なら耐えられるだろう。

 なお運転は、議員が新人時代からの付き合いだという古参の秘書が担当した。


 議員の車を見かけ、歩道を歩く市民や観光客がにわかにはしゃいでいた。

 窓の向こうの彼らに手を振り返すカーシュ議員は、あ、と小さな声を上げた。

「シュタイアさんは吸血鬼でしょう? 窓の近くに座っていて大丈夫なのですか?」

「団の公用車は、窓ガラスに遮光フィルムが貼ってあるので、大丈夫です。このフィルムで、紫外線は防げますので」

 緊張で喉が渇いているため、小さくつばを飲み込んでから、ファリエはたどたどしくならないよう気を付けながら説明する。打合せの合間にも何度か質問されていたので、少し気持ちに余裕はあった。


 助手席から周囲を警戒しているティーゲルが、束の間後部座席側に優しい視線を送って言い添える。

「彼女を雇用する際に、俺たちも出来る限りの配慮はしておりました。ただファリエ嬢の懐が広いので、むしろ至らなさを許してもらう場合の方が多いのですが」

「差し当たって異種族間交流は、シュタイアさんのお陰で大きな問題もないのですね?」

 含み笑いの議員の声に、ティーゲルは前へ向き直ってうなずく。


「はい。ファリエ嬢は優秀な魔術師でもあるので、いつも俺たちを助けてくれています」

「あら、頼もしいのですね」

 得意げな声と嬉しそうな声、両方にファリエは全力で首を振った。そんな大層なものではありませぬ、と無言でアピールする。

 薄っすら汗ばんで困る彼女にまた、カーシュ議員は笑った。

「シュタイアさんは奥ゆかしい方ですのね」

「いえっ、わたし、ほんとに大したものじゃ……」

「こんな立派な障壁を張って、大したものじゃないもないだろう?」

 狭い車内なので声量は遠慮しつつ、ティーゲルも笑って異を唱える。


 あら、とカーシュ議員は頬に手を添えた。

「そんなにすごい魔術なのかしら? あいにく私は、魔術の才がありませんので」

「俺もありませんが、警護班のもう一人の魔術師が舌を巻いていたので確かでしょう」

「あらあら。ますます頼もしいです」

 議員は軽やかに拍手をして、子どものような声ではしゃいでいる。


(いえ、わたしも偉い方の警護なんて初めてだから、張り切って頑張っただけなんです! それはもう、精一杯!)

 内心ではこう思っているが、気の小さいファリエはうつむいたまま

「い、いえ……」

と、そんな瀕死の声で相槌を打つしか出来なかった。

 実のところ、たしかに吸血鬼でもここまで御大層な障壁を張り巡らせ、維持するのはなかなかどうして骨が折れる。なのでファリエも恐縮しつつ、感嘆されたことが素直に嬉しかった。


 見えない障壁に思いをはせているのだろう。車内の天井や足元をしげしげ眺めていたカーシュ議員だったが、途中で再度窓の外へ目を向けて遠くを指した。

「あら、あの車が二日目のパレードに使われるのでしょうか?」

 助手席のティーゲルも、その言葉で議員の視線の先に気付いたらしい。

「はい。あのフロート車ですね」

 二人が見ているのは、人が乗り込めそうな大きな台車と、それとつながった車だった。台車には屋根が設けられ、転落防止用の柵もぐるりと張り巡らされている。

 柵も胸のあたりまでの高さしかなく、パレードで拳闘大会の優勝者をお披露目するのに丁度よさそうだ。


 フロート車を横目に見て、ティーゲルは続けた。

「当日の夜は魔石灯でフロート車を飾り付けて、市内を回る予定です」

 ここで議員が、悩まし気にため息。

「パレードまで見たかったわ……残念です。もちろん決勝戦の、殴り合いもこの目で見届けたいものです」

 そういえば彼女は本日だけの参加だったか、とファリエはぼんやり思い出した。拳闘大会の決勝戦は、明日開かれる予定となっている。


 議員の無念そうな声に、ティーゲルはくつくつ笑った。

「案外血の気が多いんですね」

「議会も拳闘大会と、似たようなところですので。もっとも私たちは、言葉で殴り合いますが」

 お上品な笑顔で物騒なことを言う議員に、ファリエは目を丸くする。


「議員って、大変なんですね……」

「ええ、案外大変です。ですので貴方がたの苦労も、わずかですがお察ししますわ」

「恐縮、ですっ」

 あわあわと頭を下げつつ、ファリエは誓った。

(次の選挙、絶対行こう)

 議会が言葉の殴り合い大会会場なら、出来るだけ精神的に屈強な人物に投票すべきだろう。たとえばカーシュ議員のような。

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