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63:妙にこなれた謝罪ポーズ

 口紅を塗って、ついでに髪も慌ただしく梳かし、ファリエは玄関へ向かった。

 ドアを開けた先に立っていたのは、やはりティーゲルだった。しかし休日に彼と会うと、普段であれば動きやすいラフな服装ばかりなのだが、今日は何故かがっつりスーツだった。しかも出勤時に着ているものより値の張りそうな、いわゆる正装である。誰かの結婚式に向かう途中なのだろうか――彼は顔もよければ体格にも恵まれているので、恐ろしく似合っている。


 ファリエはぽかん、と口を半開きにしてティーゲルをしげしげ眺め――途中で彼の持っている紙箱に気付く。先ほどの伝声器での会話から中身はケーキと考えられるも、サイズが大きい。ケーキが四・五個ほど入っていそうである。ファリエはおずおずと、ケーキ入りらしき白い箱を指さす。

「あの……大きいですね、箱……」

 服装も気になったが、とりあえず先にこちらを訊くことにした。ティーゲルは緊張した面持ちでアホ面のファリエを見つめていたものの、そう問われて少しだけ表情をほころばせる。


「うむ。店員さんからブドウのタルト以外もいくつか勧められたので、ついでに買ってみた。よければ食べてみてくれ」

「は、はぁ……恐縮、です」

 ぺこりと頭を下げたファリエを、ティーゲルは遠慮がちに覗き込んだ。

「少しだけ上がっても、構わないだろうか? 決して長居はしないと約束するから」

「え? あ、はい、もちろんです」

 たしかに、このまま立ち話というのも無礼である。ファリエは廊下まで下がって、ティーゲルに中へ入るよう身振りで示した。


 が、彼はドアを閉めるとそのまま玄関に膝をつき、ケーキ入りの箱を廊下の端に置き、そのまま深々と土下座をかましたのだ。大柄な彼が小さな玄関に座り込むと、圧迫感がすさまじい。それに小洒落たスーツの膝が汚れるのでは、と気が気でない。

「あの、隊長……何してるんです?」

「ファリエ嬢、すまなかった!」

 予想外の土下座にファリエが困惑していると、腹の底から放たれた大音声で謝られた。恐らく外にも響き渡っているはずなので、今が夜でなくて本当によかった。


 ティーゲルは見事な土下座のまま、続けた。

「シリル殿にも、隊の皆にも叱られた。部下の唇を了承も得ず、それも人目のある場で奪うなんて何事だと! 君はまだ意識もあったのだから、よくよく考えずとも疑似血液や俺の血を直飲みしてもらう選択肢があったというのに、本当に浅はかだった! 君の尊厳を傷つけてしまい、誠に申し訳ない!」

「じ、直飲み……」

 ファリエは「隊長の手は、公園の蛇口じゃないんですから」と続けて言おうとしたが、彼の左手に巻かれている包帯に気付いた。今朝取り替えたのか、真新しい。

 途端、彼が自身の手のひらにナイフを突き立てた光景を思い出し、胸が痛んだ。


 ティーゲルは傷口が痛んでいるはずなのに、両手を床にべたりと付けたまま、額も遠慮なくこすりつけている。追加でまた怪我をしそうだったので、ファリエは慌ててしゃがみこんだ。そして両手を広げて、彼をなだめる。

「いっ、いえ、わたしも昨日はパニックになって、ひどいこと言っちゃったんですけど……あの、今はもちろん、隊長が助けようとしてくれただけだって、分かってますから。わたしも、血まみれでしたし、きっと酷い顔だったと思いますし、あの……隊長が焦っちゃっても仕方ない、と思います」

「そうだとしても! 俺に無理やりキスされて、君が不愉快な思いをしたのは事実だ! もう俺の顔など見たくもないだろうが……ただ、せめて君に一度、謝罪だけはしたかったんだ」

 最後は絞り出すような情けない声だった。ファリエもしゃがみ込んだまま、口を引き結ぶ。


 だがそれは、困惑していたためでも、彼の言葉通り嫌悪感が爆発したためでもない。実はこの異様な状況も忘れて、彼のお門違いな主張に束の間ムッとしていたのだ。

 彼女は昨日、あの場でキスされたことに焦り・怒りはしたものの、その相手に関しては一切不満はなかったのだ。

 だから小さな苛立ち任せに、つい声を荒げた。


「違います! 隊長が嫌だったわけじゃありません! 初めてなのに血の味しかしなくて、しかも周りに人がいっぱいいたから、それが恥ずかしかっただけです!」

 ティーゲルが恐々と、顔だけわずかに持ち上げた。琥珀色の目も、どこか怯えている。

「そうだったのか? しかし、俺が君の……その、ファーストキスを無理やり奪った事実への怒りも、さすがにあるのでは……?」

「ないです、怒ってません! だって二人っきりの時に、してほしいってずっと……思ってた、し……」

 勢い任せに本音をほぼ全部ぶちまけたところで、さすがにぶちまけ過ぎたという後悔が追いついた。ファリエの顔と言わず全身が、ぶわりと赤くなった。


 ファリエはたまらず斜め下へ顔を向けてしまったが、視界の隅でびっくりしたような顔のティーゲルが固まっていた。ファリエは斜め方向へ顔をそむけたまま、彼に立ってもらうよう促す。

「……そ、そんなわけで、もう怒ってませんし……わたしも隊長に、嫌いとかばかとか言ってごめんなさい……なので、謝っていただかなくて、だ、大丈夫、です」

 膝に乗せた両手をピコピコと上下に動かし、そう締めくくった。


 しばらくの間、無言が続いた。ファリエは背中をゆっくりと伝う汗の感覚にすら、収まりの悪さを覚えつつも、じっと彼の動きを待った。

 ややあってティーゲルが上半身を起こした。どうやら土下座を止めてくれるらしい、と内心でホッとしたのも束の間、彼はそのまま片膝立ちの体勢に移った。どうして執拗に立とうとしないのか。


(……立ち眩みでもしてるのかな……またご飯、手抜きしちゃったの?)

 そんなくだらない想像をしている余裕も、ティーゲルに左手を取られるまでしか保てなかった。

 ファリエは優しく手を握られる感触にびっくりして、斜め下で固定していた顔を正面に戻す。自分を凝視するティーゲルと、視線がかち合った。

 彼の頬も赤らんでおり、真剣な猫目も熱を帯びている。ファリエはそのまま、顔を再度そむけることが出来なくなった。


 こくり、と彼女が小さく息を飲むと、ほんの少しだけティーゲルの手に力が込められた。彼の皮膚が厚くて大きな手も、風邪でも引いているのではと邪推してしまうぐらいに熱い。

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