片膝をついたティーゲルに手を握られ、熱っぽく見つめられているという状況によって、ファリエの顔はますます赤くなった。
だってこれではまるで、騎士様に愛を乞われるお姫様の図式である。畏れ多いにもほどがあるだろう。
ファリエは照れと混乱と嬉しさで、潤んだ青い瞳をせわしなく動かす。そんな彼女の些細な変化も見逃さないとばかりに、ティーゲルが強い眼差しを向けていた。そして彼女の手を、一度だけ強く握る。
「ファリエ嬢」
「ひゃっ、ひゃい!」
静かな声で呼ばれ、ファリエは座り込んだまま飛び跳ねた。土壇場で見せる足腰の強さにティーゲルは一度笑って、すぐに表情を引き締めた。
「もしもまだ、俺への情を残してくれているのなら。この場で改めて、告白してもいいだろうか?」
「あの……それ、もう、告白、してるようなものだと……思う、んですが」
ファリエが頼りない声で揚げ足を取ると、ティーゲルが広い肩をすくめる。
「それもそうだな。だがもう一度、きちんと君に伝えたい」
真摯な声に促されるようにして、ファリエは小さくだがうなずいた。ティーゲルがそれを見つめ、口元をかすかに緩めた。そして自分の着ているジャケットのポケットへ、左手を伸ばす。
彼が中から取り出したのは、小さな麻の布袋だった。ティーゲルは跪いた姿勢のまま、ファリエへ恭しく布袋を差し出した。
「えっと、これは……開けても、いいですか?」
ファリエが尋ねながら首を傾けると、ティーゲルはほのかな笑みのままうなずいた。そのうなずきと視線に促され、ファリエは小袋の口を結んでいたピンクの紐をほどく。中から出てきたのは、月のチャームと赤い魔石が付いたイヤーカフだった。ファリエがあの屋台で、一目惚れした品である。
(ティーゲルさん、買ってくれてたんだ)
ぽかん、と手の平のイヤーカフを見つめるファリエへ、ティーゲルが告げた。
「ファリエ嬢。君のことが好きだ。どうか俺の恋人になっては、もらえないだろうか?」
まどろっこしい駆け引きなど皆無な、直球な言葉が実に彼らしい。
そしてファリエは彼の、こういった子供っぽくて単純なところを好きになったのだ。真っ赤な顔をほころばせて、小さな声だが「はい」と答える。
「わたしも、隊長の恋人になりたい、です……えっと、隊長のこと、好きです」
彼女が続けてそう言ったや否や、ティーゲルの顔がぱぁっと明るくなった。先ほどまでとの落差にファリエが面食らっている内に、ティーゲルは両手を広げて彼女を強く抱きしめた。
不意打ちのスキンシップにファリエの胸がときめいたのは、残念ながらわずか数秒ほどだった。ティーゲルが嬉しさ任せの全力で、彼女を思い切り締め上げだしたのだ。
ぶぇ、とファリエは不格好にうめいた。次いで迫る、「出来立てほやほやの彼氏に殺される」という危機感。
「隊長っ、くるし……死、んじゃっ」
「あああああっ! すまない!」
瀕死の声で訴えられたティーゲルは、青ざめて絶叫した。こちらも全力の叫び声だったので、ファリエは耳にも大打撃を受けた。
ファリエが耳鳴りに襲われている内に、ティーゲルは両腕の力を大慌てで緩めた。彼の腕の中で、ファリエは胸板に体を預けながら、細く長い吐息をこぼした。
いつか目撃した手錠のように、胴体をねじ切られなくて本当によかった――と心の底から安堵する。
(やっぱりティーゲルさん、前世はドラゴンじゃないかな……ポテンシャルを甘く見積もっちゃってたかも――あ)
そして自分が握りしめたままだった、月のイヤーカフの存在を思い出した。目を細め、恐々と手を広げる。幸い、馬鹿力の抱擁でもイヤーカフは壊れていないようだ。
ファリエはもう一度ほうっと息をこぼして、出来るだけ怖い顔を作ってティーゲルをにらんだ。
「隊長は力持ちなんですから、ちゃんと加減してください」
「すまなかった。あまりの嬉しさで、つい我を忘れていた」
ティーゲルは自分の腕の中でぷんすか怒るファリエに、眉を下げてしおらしく謝る。次いで彼女が、後生大事に掲げ持っているイヤーカフへ視線を落とす。
「お詫びも兼ねているのに、さほど高いものではない――どころか観光客向けの、安価なプレゼントで申し訳ない。ただ俺は女性の服装に詳しくなく、その旨をカーシュ議員に相談したところ『大人しくこれを買っておいた方がいい』とのアドバイスがあったんだ」
ぽつりと彼が打ち明けた事実に、ファリエは青ざめて震えた。
「ぎっ、議員に恋愛相談しないでくださいっ」
人懐っこい性格にも、程があるだろう。ファリエも議員から恋愛指南は受けたが、それはあくまで雑談の延長線上で偶然賜ったものだ。わざわざ恋バナはしていない。
今ならシリルが、ティーゲルにサディスティックなお小言を日々ぶん投げている気持ちも少しだけ、分かるかもしれない。
ファリエは上司兼、新たに恋人の関係性も始めた相手を、畏怖と呆れがないまぜになった目で見上げた。しかし当人はキョトン顔である。
「議員はむしろ楽しそうに、馴れ初めや経緯を尋ねて来たが。やはり公私混同すべきではなかっただろうか?」
「あ……もう色々、筒抜け、なんですね……楽しそうなら、よかったです……ほんと……」
どうやらファリエが家で惰眠を貪っている間に、二人の関係性は周囲に拡散されまくっているようだ。ならもういいよ、とつい投げやりになる。
少々やさぐれ気味の笑顔になった彼女へ、一瞬不思議そうな視線を注いだティーゲルだったが。すぐに笑顔へ戻る。
「ところでそのイヤーカフだが、付けてみてもらってもいいだろうか?」
「あ、はい、いいですよ」
ファリエも快諾して、彼から少し体を離して廊下に座り直した。自前のイヤーカフもいくつかあるので、装着には慣れていた。鏡がなくてもすぐに付け終える。
ただ鏡がないため、似合っているのかは一切分からなかった。ファリエは耳のそばで揺れる月のチャームを落ち着きなくいじり、目の前のティーゲルをおっかなびっくり見上げた。
すると真顔で微動だにせずこちらを見下ろす視線と、かち合った。予想外の凝視に、ファリエは細い肩を一度跳ねさせる。
「えっと……変、じゃないですか?」
頼りない声で問われているのに、ティーゲルは真顔のままだ。その沈黙が怖くてファリエの視線が落ちかけたところで、彼もようやく我に返る。
「まじまじと見てしまってすまない。好きな女性が、自分の贈った物で着飾ってくれるのはいいな、と改めて思ってしまった。よく似合っている、綺麗だ」
「きょ、恐縮……です……」
ストレートに何でも言ってくれるのも、考えものである。それを真っすぐな目で、すらすらと当たり前のように語るのだから、余計にたちが悪い。
ファリエは視線だけでなく、肩も落として背中を丸めた。真っ赤な顔も両手で覆い隠す。
しかしこの反応で、勘違いさせてしまったらしい。ティーゲルが慌てたように、廊下側へと身を乗り出してファリエに詰め寄った。
「違うぞ、お世辞ではない! 真鍮の濃い金色が、白い肌によく似合っているし、耳も赤くなってただただ可愛いんだ! それに耳はイチゴみたいで、食べちゃいたいぐらいだ!」
「おっ、美味しくないです! イ、イチゴじゃなくて人肉っ、わたし人肉です!」
ファリエはお尻で数歩後ずさってから両手を突き出し、断固拒否した。男女の機微に疎い彼女は額面通り、無慈悲に耳を噛みちぎられる絵図を想像をしてしまったのだ。
ただ相手はティーゲルなので、文字通りの意味で食べたいのかもしれないが。
「そっ、それより! ケーキ食べましょう、ケーキ! こっちの方が、美味しいです!」
「あ――うむ、そうだった」
とんがり耳を手で隠すファリエの進言に、彼女の怯えっぷりに内心で笑いをこらえていたティーゲルもケーキのことを思い出した。廊下の隅で置きっぱなしにされていた箱は、どことなく哀れっぽい。ティーゲルもこれだけ買っておいて、よく忘れられたものだ。
「店主から、ケーキは暑さに弱いと口酸っぱく言われていたのだが……まだ食えるだろうか」
「大丈夫だと思いますよ? だって廊下はひんやりしてますし、隊長もすぐに来てくれましたから」
くすりと笑ったファリエがそう答え、彼の右手を取りながら身を起こした。ティーゲルも素直に立ち上がる。
ティーゲルは土下座した時に汚れたズボンの表面を、左手で払おうとした。だがその前に、ファリエが左手も優しく握る。そして彼の手の平を上に向けさせた。
ファリエはそこへ自分の手を重ね合わせ、治癒魔術の術式を素早く構築した。
包帯の内側から、ほのかな青い光がこぼれ出る。
「はい、これで怪我も治ったと思います」
ファリエの言葉に猫目を見開いたティーゲルが、慣れた手つきで包帯を取り外した。手の平に走っていた傷は塞がり、後にはうっすらと赤い線だけが残っている。
ティーゲルは視線を、ほんの少しだけ得意げなファリエへ戻す。ふ、とはにかんだ。
「ありがとう、ファリエ嬢」
「いいえ。わたしこそ、昨日はありがとうございました」
ファリエもふにゃりと笑って、そう返した。昨日から言いそびれていた礼を言えたことに、小さな達成感を覚える。