紅茶は、ティーゲルが準備してくれることになった。先日職場でシリルの淹れた紅茶を飲んだ際、未体験の美味しさに感動して、わざわざ彼に淹れ方を教わったのだという。
ティーゲルが湯を沸かしたりティーポットを温めている間に、ファリエはテーブルを拭いて取り皿やフォークを準備する。彼が持って来てくれた白箱も開けると、中には予想通りケーキが四つ入っていた。ブドウのタルトが二つと、梨のタルト、そしていちじくのケーキだ。相変わらずの数の合わなさだったので、ファリエはつい笑った。
そして流しの前に立ち、そわそわと落ち着かない様子の大きな背中へ声をかけた。ティーゲルは紅茶の蒸らし時間を測る、青い砂時計とにらめっこ中なのだ。
「あの、隊長」
「む? どうした?」
ティーゲルは上半身だけ、ファリエの方へ向けた。ファリエは彼へ体ごと向け、両手の指をこねこねと絡めて謝罪する。
「わたし……ほんとは今日、一緒にお祭りに行く約束を破ろうとしてたんです。昨日あんなひどいことを言っちゃったから、えっと……どんな顔して隊長に会えばいいのか、全然、分からなくて……ごめんなさい」
琥珀色の目を数度瞬いた後、ティーゲルは歯を見せて笑った。
「なんだ、そんなことか! 実のところ俺も君に合わせる顔がなくて、どうすればいいのか悩んでいたんだ。だが――」
「だが?」
「どうせ会わなくても嫌われたままだろうと考え、それならば君の元気そうな顔を一目見てから、しっかり嫌われようと思っただけなんだ」
ティーゲルは強い。肉体的にも、精神的にも。これはファリエでは、到底思い至れない結論だ。ファリエもせめて精神的な強さだけでも近づきたい、と思った。
彼の言葉にほんのり頬を染めるファリエだったが、ただ、それはそれで気になることが生まれる。
「でも……ケーキは隊長の分も買ってます、よね?」
四つのケーキが入った箱を覗き込み、首を傾げた。さすがにファリエ一人のために、四つは買わないだろう。
となれば、少なくとも一つは彼の分だろうが――ティーゲルは彼女に、ケーキを半分だけ直渡しするつもりだったのだろうか?
ファリエの指摘で、面白いぐらいにティーゲルが焦り始めた。下唇を噛んで、視線を明後日へ飛ばす。
「いや……大は小を兼ねると言うか……あわよくば、というか……」
つまりはあわよくば、一緒にお茶が出来ればいいなぁと思っていたらしい。メンタルがタフネス過ぎることもさることながら、ギャンブラーの素質もありそうだ。
(カジノに行きそうになったら、止めた方がよさそう。ティーゲルさんって負けず嫌いっぽいし、すぐムキになっちゃいそう)
ファリエは胸中で割と失礼なことを考えつつ、もにょもにょと言い訳する彼に微笑んだ。
「わたしもほんとは、隊長と会いたかったんです。一緒にブドウのタルトも食べたかったので、嬉しいです」
「うむ……すまない、ありがとう」
ティーゲルも情けない笑いを返したところで、砂時計の砂も落ち切った。ファリエも取り皿にまずはブドウのタルトを載せる。そして二人だけのお茶会を始めた。
ティーゲルは食べる量もファリエの倍以上だが、食べる速さもファリエの倍以上だ。彼女がブドウのタルトを半分ほど平らげた時にはもう、二つ目のケーキを選びだしていた。
梨といちじくの間で視線を行ったり来たりさせた末、腕組みしてファリエへ顔を向ける。表情は至って深刻そのものだ。
「ファリエ嬢は、どちらのケーキが食べたいんだ?」
「このタルトだけで満足なので、どっちも食べていいですよ」
ファリエはにっこり答えた。
人間食で満腹感は得られないが、満足感は覚えられる。それに体に不必要なものを摂取し過ぎると、どことなく内臓に重さを感じてしまうのだ。量はほどほどに留めるに限る。
彼女の答えで、ティーゲルの苦悶顔が一気に明るくなる。輝きだした猫目を見つめ、ファリエは母性本能がくすぐられるのを感じた。ついニヤけてしまう。
「隊長って食いしん坊さんですよね」
ファリエが慈愛満点の笑顔と声でそう言うと、ティーゲルも気恥ずかしそうに自身の頭を撫でる。今日は正装ということもあり、髪もいつも以上にしっかり結われていた。
「大食漢なのは事実だな……それに事情聴取で頭も使ったから、余計に糖分を求めているのかもしれない」
事情聴取というのは恐らく、昨日の襲撃犯に対してのものだろう。
ファリエが寝付いた後も働いていたのだと思うと、申し訳なさも覚えた。
「あの、お仕事、お疲れ様です」
彼女はへどもどと言って、空っぽになっていたティーゲルのカップへ紅茶を注ぐ。
「ああ、ありがとう――君も身を挺して、俺たちを守ってくれたんだ。これぐらいして当然だ」
ティーゲルは柔らかく笑って紅茶を一口飲み、少しだけ眉を寄せた。
「やっぱり……ちょっと濃かったな。すまない、シリル殿のように上手く淹れられなくて」
気落ちした姿に、ファリエは慌てて首を振った。
「いえいえっ、大丈夫ですから。ミルクに合うので、わたしは好きですよ?」
少し渋いのは事実だ。しかしミルクを入れて飲むのなら、これぐらいパンチのある味わいの方がファリエの好みだった。
しょんぼりするティーゲルを励ましつつ、ファリエは先ほど気になったことも、ついでとばかりに訊いてみることにした。
「ところで、なんですが……昨日の襲撃犯のこと、詳しく訊いてもいいですか?」
「ん? ああ、そうか。アルマ嬢も詳しくは伝えていなかったんだな」
ティーゲルは疑問符を浮かべて一度目を瞬かせた後、納得したようにうなずいた。ファリエもこくり、と首肯を返す。
「はい。隊長が事情聴取してることと、あと……その、副隊長が面白サングラスで様子を見に来たことは、教えてくれたんですが」
怒涛のお説教を思い出したのか、はたまたシリルのとんでもファッションの余波を浴びたのか。ティーゲルがたちまち渋い顔になる。体もわずかにのけぞった。
「……後半の情報、要らないだろう」
「でも、とっても詳しく教えてくれました。すごかったんですよね?」
「どこの浮かれた観光客だろう、と思ったぐらいにはすごかったな……二度と見たくない」
ややお行儀悪くも頬杖を突き、ティーゲルは大きいため息をこぼした。そう言われると、ファリエは余計にシリルのグラサン姿を拝みたくなった。ここでは言わないけれど。
膝の上で両手を揃えてお行儀よく待つ彼女に小さく笑い、ティーゲルも姿勢を正す。
「襲撃犯の狙いについては、当初の見立て通りカーシュ議員ということで、ほぼ確定している」
やっぱり、とファリエは呟いた。二人とも先ほどまでの甘やかな雰囲気を打ち消し、真剣そのものの顔になっている。
頬に手を添え、ファリエはわずかに首をかしげる。
「あの……それじゃあ実行犯の後ろには、議員も言ってたライバルが?」
ティーゲルは腕組みして低くうなった。
「どうやら、そのようだな。議員が事情聴取に立ち会い、カマをかければ一発で分かった。そこはよかったんだ」
「そこ“は”ですか? 他に何か、よくないことがあったんですか?」
なんだかティーゲルらしくない、含みのある言い方だ。
深堀りするファリエに見つめられ、ティーゲルは口の中にレモンでも押し込まれたような不格好な表情に変わる。
「……実は、厄介な協力者がいたんだ。それも恐らく本人は、全くの無自覚の、善意しかない」
「善意……の協力者、ですか? 知らずに市民の誰かが、お手伝いを?」
ファリエの脳裏に浮かんだのは、襲撃事件に巻き込まれて震えるあの女性店員だった。改造された魔道具を、知らずに使っていたことと関係があるのだろうか。
しかし、下唇を噛みしめるティーゲルの回答は違った。
「いや、少し違うな。もっとくだらないんだが……俺たちとしては、とことん立つ瀬がない次第だ」
彼の言いたいことが、やはりまだ分からない。ファリエは困り顔で、更に首をひねった。
ティーゲルは肩を落とし、ため息混じりに続ける。
「どうやらギデオンが、警備計画の情報を流していたらしい」
「え」
(これは……たしかに言い出しにくいかも)
吐息のような驚嘆の声をもらしつつ、ファリエはそう思った。なにせギデオンはファリエの前任者すなわち、彼の元補佐官である。