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第135話 子どもたちの事情

「……っ、ぅっ」


 ごぽり、と音を立てて……。


 ――仮面の中で、血を吐いたのが自分でも分かった。


 ただ、仮面が全て受け止めてくれて、それが表に出なかったことで。


 今この場にいる誰にも、自分が血を吐いたことが知られなかったのは幸いだっただろう。


 それに、能力の反動で、前までは、直ぐに気絶して倒れていたけれど……。


 今は、頭がぐらぐらと揺れて、気持ちの悪さはあるものの、気絶する程でもなくて。


「……アズっ! ど、どうしたんだっ?」


「……大丈夫ですっ、ちょっと立ち眩み、しただけで……」


【……うん、だいじょうぶっ】


 ちょっとフラッとして、身体が傾いてしてしまったけれど……。


 立てない程辛い訳じゃないし、これならなんとか今の私でも我慢することが出来る。


 前にアルも精霊と契約した人間の方が力のコツを覚えやすいって言ってくれてたから……。」


 もしかしたらアルのお陰で、ちょっとずつでも、私が能力をコントロール出来てきている証なのかもしれない。


 ……今はそれよりも、しなければいけない事が目の前に沢山あるから。


 私がここで倒れる訳にはいかなかった。


「……オ、オイ、アズ……?」


 困惑したような、お兄様の言葉を耳に入れながら、私が一歩、檻の方へと前に進むと。


 檻の中にいる少年の肩がビクリと跳ね、その表情が、警戒心をむき出しにしたまま僅かに怯えるようなものになったのが見てとれた。


 それと同時に傍にいた子供たちも、私の方を恐々とした様子で見つめてくる。


【何をされるのか? これから自分はどうなってしまうのか……?】


 “狭い檻の中”に閉じ込められて、自分ではどうしようも出来ない無力さを感じたことは、10歳の時にお母様と一緒に拉致された時と、16歳で牢屋に閉じ込められた時と、二度ほど私にも経験があるから。


 彼らの不安な気持ちを私は今、ほんの少しでも理解出来ていると思う。


「大丈夫っ……もう、大丈夫だから。

 恐い人達はみんな、ここからは、いなくなったよ。

 だから、を、僕に渡してくれる?」


「……ッッ!!?」


 なるべく、さっきと同じように柔らかな声を心がけながら、私は自分の手のひらを少年の檻の前に開いて出した。


「アズ……お前……っ!?」


 お兄様の驚いたような声を耳に入れながら、目の前で戸惑いながらも、未だ此方に向かって警戒心をむき出しにしている少年の方へと、なるべく恐がらせることのないように、私は穏やかな声で話しかけ続ける。


「もう、恐い思いも、辛い思いもする必要なんてないよ。

 ……自分の意思で、ナイフを持ってた訳じゃないんだよねっ?」


「……っ、!」


 問いかけるように、そう聞けば。


 私の目の前で少年が弾けるように顔を上げたあとで、本当のことを話していいものなのかどうか迷っているのか、短い葛藤の末、私からそっと視線を逸らしてしまう。


【……あぁ。まだまだ全然、心を開いてはくれない、か】


 この子が人を刺したのは、私が時間を巻き戻す前のあの瞬間が、きっと初めてのことだったのだろう。


【じゃなきゃ、あんな風に怯えきった顔をして……。

 お兄様を刺した事に対するショックを、この子が受けていた理由に説明がつかない】


 見張りの男の、『分かってるよなぁっ!?』っていうあの言葉からも。


 自分の身の安全を守るため、とか。


 自分以外の周りにいる子供たちの身の安全を脅かされて、言うことを聞くように脅されていたのかもしれない。


 私達の目線からしてみれば、この子達を助けに来たのは紛れもなく真実だし、出した言葉に嘘も偽りもないけれど。


 この子達からしてみれば、『助けに来た』って私達に言われても、私達のことは見知らぬ怪しい存在でしかない。


 ――直ぐにその言葉を信じる事が出来なくて


 ここに捕まえられている以上にもっと酷いことをする人間かもしれないと、子供たちが疑心暗鬼になったって仕方がないと思う。


 最後に残っていた見張りの人は、2人の見張りが扉の先に出てきてセオドアとお兄様と戦っている最中も、1人隠れて様子を見ながら、不意打ちをしかけてくるような人だ。


【今から来る人間は、俺たち以上にヤバい人間だ】


 とでも言って、子供たちの言うことを聞かせようとしていた可能性だってある。


 ――子供たちがどんな風に脅されていたのかは推測でしか語れないし、私の今の考えは間違っているかもしれないけれど。


 それでも、お兄様を刺したその後に、自分が人を刺してしまったのだと実感して……。


【罪を犯してしまったのだ、と】


 あれだけ辛そうな顔をしていたこの子のことを思えば、本人が望んでナイフでお兄様を刺したとは、到底思えなかった。


 今この中を見てみても。


 檻の中にいる子供たちの中で、この少年は一際体格がよく、大きい男の子だから。


 もしかしたら、正義感が人一倍強くて、ただ周りの子を守ろうと頑張ってくれていたのかもしれない。


「もしかして、周りの子達を盾に脅されていたのかなっ……?」


 私の言葉に、少年の肩がビクリと跳ねるのが見えた。


 その様子を見て、周りにいる子供たちが、そっと少年を守ろうとするように。


 私に向かって、キッと一生懸命此方に向かって鋭い視線を向けてくる。


 ――それが、何よりの答えだった


 まだまだ信用なんてされていないだろうから。


 何も言ってくれない以上、子供たちの仕草とかを見て判断するしか出来ないのがもどかしいけれど。


 でも、色々と声をかけてみて、この子達がみんな、お互いの事を思いやっていることは分かったから。


「皆のことを肩肘張って、一生懸命に守ろうとしてくれてたんだね?

 それで、みんなも、今、一生懸命っ、この子のこと守ろうとしているんだよね?」


 私の問いかけに子供たちが、まだまだ不安そうな顔をしながら私の方を見ていて。


 それでも私から出る言葉に戸惑いながらも耳を傾けてくれるのが分かって、私はふわりと微笑みながら声を出す。


 顔は仮面で隠れて見えないけど。


 自分の雰囲気とか、纏うものがちょっとでも柔らかく子供たちに届けばいいな、と思いながら。


「僕も昔……。

 みんなと同じように捕まえられて、狭い部屋の中に閉じ込められていたことがあったから……。

 だからっ、みんながこの檻の中で、助けも来ない中、どれだけ心細い思いをしたのかとか、そういう辛さとかはほんの少しでも分かると思う」


 信用していいものなのか、分からないと思われているのなら。


 ほんの少しでも、安心出来る材料になればいいなと包み隠さずに、自分の過去のことを声に出せば。


「……っ、!?」


 子供たちのみならず、お兄様も息を呑むのが分かったけど、私は構わずに目の前の子供たちに言葉を続けた。


「……そのっ、僕はあまり力が無くて頼りないし、みんなの話を傍にいて聞いてあげることしか出来ないと思う。

 でもっ、その分さっき傍にいてくれた大きなお兄ちゃんは凄く強いし。

 ここにいる、金色の髪のお兄ちゃんも腕には自信があって強いから」


「……っっ、」


「……ね? 今まで皆のことを一生懸命守ってくれて、ありがとう。

 僕が言うのも格好がつかないかもしれないけど、もし良かったら、これからは僕達にその役目を任せてくれないかな?」


「……っ、お、おうっ! そうだってっ……。

 絶対にお前達のこと助けるからっ! だから、ここから先は俺たちに任せてくれよっ!」


「……っ、ぁ……っ、」


【此方のことを頼って欲しい】


【少しでも、この子達に危害を加える人間じゃなくて、安心出来る存在だと思って欲しい】


 と、内心で思いながら、出来るだけ優しく、声をかけ続ける私の言葉に、お兄様が追従するように子供たちに向かって声を出してくれるのが聞こえて来れば。


 お兄様の『任せてくれっ』という言葉が良かったのか。

 ぶわっと目の前で決壊したように男の子の瞳からぼろぼろと涙がこぼれ落ちるのが見えた。


 ずっと、助けもこない中で。


 みんなで協力しながら、今まで頑張ってきたのだと思う。


 そうして、その周りで、不安そうに成り行きを見守っていた子供たちからも……。


「……ごっ、ごめんなさい……っ!!」


「っ、僕達、脅されててっ……」


「ずっと、5番が悪いやつの言うこと聞いて、私たちのこと守ってくれてたのっ」


 と、口々に言葉が返ってくる。


 何も話してくれないかもしれないと思っていたから、子供たちが堰を切ったように、それぞれに話し始めてくれたことに、ホッと安堵しながら……。


「……5番……?」


 と、聞こえて来たその言葉を問いかければ。


 私の問いかけに、檻の中に一人だけいた女の子が、こくりと頷くのが見えた。


「うん。

 私たち、名前がないからアルファベットか、数字でずっと呼ばれてたの。


 Aが1番、Bが2番……って、感じで」


「……っ!」


「そうっ。……そんでっ、あるひ、4番が悪いやつのこと怒らしちゃって。

 お前は悪い子だから、先に“出荷”するって言われちゃってさっ。

 2番が庇って殴られちゃってっ、それを見た5番が悪いやつの命令をなんでも聞くことで、なんとかそれを、とめてくれててっ!」


「“じゅうじゅん”? で、良い子にしていたらお前達の出荷は取りやめてスラムに返してやるって、言われてたんだっ!」


 子供たちの口から出るとんでもない言葉の数々に私は思わず自分の唇をグッと噛みしめた。


 書類に書かれていたアルファベットの順番で4番にあたる子は確か健康状態が“不安定”になっていた筈だ。


 そして2番にあたる子の、健康状態は“不良”だった。


 さっきからずっと起き上がることが出来ないように一人、檻の中で蹲っている子がいて、気にかかってはいたけれど、この子が殴られてしまった子なのだろう。


 見張りの男達が、子供たちのことを抑えつけるために、暴力や暴言なんかで日常的に恐怖を与えていたことは想像に難くなかった。


「それってっ、他の子供はしれっとスラムに帰したって嘘をついて、5番を手持ちに残そうとしたんじゃないかっ……」


「……っ、!」


 そうしてぽつり、とお兄様が、子供たちには聞こえないくらいの低い声色で、言葉を出してくるのが聞こえて来て。


 子供たちの言っている5番にあたる子が、子供たちの視線で、さっきナイフを持っていた体格のいい男の子のことを指していると理解出来て。


 お兄様のその言葉の意味が分かった私は、息を呑んだ。


 他の子供を守ろうとして一生懸命になりながら、大人達の言うことを真面目に聞いてくれる5番、Eにあたる子だけ。


【他の子を他国に流れさせた上で、しれっと他の子供は全員スラムに帰したと嘘をついて。

 上手いこと騙して、もしかしたら、手持ちに残そうとしていたのかもしれない】


 お兄様の言葉には、きっとそういう意味が込められているのだろう。


 そして、その想像を裏付けるように、他国に流れさせる予定日が、彼だけ書かれていなかったことを思い出した私は。


 彼らを捕まえていたあの人達の、あまりにも汚いやり口に気持ち悪くなってくる。


 それは、私だけじゃなくお兄様も同じだったようで……。


「許せねぇよっ! アイツらっ、!

 人の心なんて欠片もない、畜生以下の存在じゃないかっ!」


 と言いながらくっと、唇をぐッと噛みしめたのが見えた。


 ここに捕まえられている期間がどれくらいのものだったかは分からないけれど、それでも子供たちにとっては長く続く地獄みたいな時間だっただろう。


 それだけのことをされてきたから……。


 お兄様の言葉を聞いても、私達のことを戸惑いながら信じると決心してくれても、まだまだ、この子達の中にある不安な気持ちは直ぐには拭いきれないのだろう。


 子供たちが目の前の檻の中で、一斉に今にも泣き出してしまいそうな、縋るような瞳で、私達のことを見てくるのが見えた。


 そんな状況の中で……、みんなから5番と呼ばれている、一番体格のよかった少年が。


 戸惑いながらも、ポケットの中からナイフを取りだして、私に恐る恐る渡してきてくれる。


 ――このナイフを渡すのにも、凄く葛藤があったと思う。


 自分の身も、仲間の身も守れるかもしれない物を、一つ手放して。


 全面的に私達のことを信じてくれたっていうことの何よりの意思表示だと思うから。


「……っ、僕達のことを信じて、渡してくれてありがとう」


 子供たちにお礼を口にして、少年からそれを受け取ったあと。


 私はハーロックが用意してくれた平民用の鞄を開けて、それを中にしまいこんだ。


 そのあいだに、お兄様が今度こそ、檻の鍵をかちゃかちゃと回して、扉を開けてくれるのが見えて。


 今まで閉じ込められていた子供たちが、恐る恐る外に出てくるのを見ながら私は、なるべく柔らかな口調で……。


「……怪我をしている子はいないかな?

 殴られてしまったその子を優先的に手当てしようと思ってるんだけど、もしも他にもいるようだったら、僕のところに来てくれる?」


 と、声をかける。


 ハーロックが用意してくれた平民用の鞄の中に、擦り傷とか出血のある傷に良く効くと言われている葉っぱをすり潰した塗り薬が入っていることは知っていたから。


 ……即効性のある物ではないけれど。


 ほんの少しでも手当て出来る箇所があるなら、子供たちの手当てをしておきたかった。


 打撲とか、打ち身みたいな物も、子供のお腹に巻けるくらいは、まだまだ包帯の残りがあったし。


 ちょっとでもお腹を固定出来たら、痛みの緩和くらいには役に立てるかもしれない。


【ハーロックが過剰なまでに心配して、いっぱい持たせてくれていて本当に良かった……】


 私が檻の中にいる蹲って立てない状態だったその子の手当てをしようと、檻の中に入ろうとするその前に、お兄様がその子を担いでこっちに連れてきてくれるのが見えた。


「……アズっ、お前、そんな物まで持ってきてたのかよ、っ?

 スラムで傷薬を手に入れるなんて、滅茶苦茶大変だっただろっ!?

 ていうか、子供達が、ナイフを持ってたことも、俺は気づきもしなかったのに」


「……あっ、えっと、この傷薬は、本当に“たまたま”で……。

 そのっ、子供たちがナイフを持っているのが分かったのも、偶然、で……っ」


 そうして、此方に向かってかけられるお兄様の言葉に……。


【傷薬は第二皇子様もご存知の、優秀な皇帝陛下お父様の執事が私のために持たせてくれていて】


【子供がナイフを持っていたのは、あなたが刺されたのをほんの少し先の未来で見たから知りました】


 とは、口が裂けても本当のことは言えずに、なんと言っていいか分からず。


 困ったように、声を出す私を見て……。


「謙遜すんなって! ありがとなっ!

 俺のことも子供たちのことも、助けてくれてっ!」


 と、お兄様がへへっと嬉しそうに表情を綻ばすのが見えた。


 ――その瞬間


 ドサドサッッ、ドシャッ! っと、扉の先の通路の方で何か大きな物が一気に崩れ落ちるような激しい音がして。


 ビクリと肩を揺らした私は、瞬時に表情を切り替えて険しい表情を浮かべたお兄様と、どちらからともなく顔を向き合わせた。




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