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第174話 最終準備

 あれから数日が経ち、古の森から戻ってきた私は、本格的にデビュタントの準備に向けて忙しく動き回っていた。


 ドレスのこともそうだし、お父様から当日賜ることになるネックレスやイヤリングのこともデザイナーさんと何度も話し合い最終チェックを終えて、後は当日を迎えるだけの状態までには持って行けたと思う。


 何とかその事にホッとしながらも、今日は久しぶりにルーカスさんがダンスの練習にやって来てくれる日だ。


 何度も練習するうちに、ダンスの練習も段々様になってきて、私が当日披露することになるワルツに関しては……。


 そこまで自分の身体が音楽について行けず遅れるようなことも無くなってきているので後は最終調整をするくらいだろうか。


 もう暫くは、まだまだ気の抜けない時間を過ごすことになるなぁ、と思いながらも、私はルーカスさんとお兄さまが来るまでに手っ取り早く朝の準備を済ませてしまう。


「アリス様、おはようございます」


「おはよう、エリス」


 ドレスに着替えて、ローラに髪の毛をハーフアップにして貰っていたら、エリスがいつものように鏡台きょうだいの上にことりと、ミルクティーを持ってきてくれた。


 古の森から帰ってきた時も、部屋の中を綺麗に保ってくれていたり。


 私がいない間も手を抜かず仕事をしてくれていて、ほわっと笑みを溢しながら、エリスに『ありがとう』とお礼を伝えれば、エリスも『とんでもないです』と言いながらにっこりと笑ってくれた。


 何だか、以前に比べたら大分距離が縮まったというか……。


【エリス自身、何か悩んでいたようなことから、解放されたのかな……?】


 よく分からないけど、私が古の森に行く前と少しだけ様子が違うような気がして。


 それも多分悪い方じゃ無くて、良い方に吹っ切れたような感じがあるというか、まるで憑き物が落ちたような、そんな雰囲気を不思議に思いながらも。


【もしかしたら、おうちの借金のこととか、家族のことで何か良いことでもあったのかもしれないな】


 と、思う。


 どちらにせよ、エリスにとって何か喜ばしいことがあったなら、それに越したことはないだろう。


 私が内心でそう思っていたら、セオドアもアルもいつものように私の部屋に集まってくれて、そうこうしている内に自室にルーカスさんとお兄さまもやって来てくれた。


「お姫様、久しぶりだね。……体調は大丈夫?」


 開口一番、ルーカスさんにそう言われて、私はこくりと頷き返す。


「はい、大丈夫です」


 そもそも“調”ということ自体が、お父様が作ってくれた、私達が定期的に古の森に行くための嘘だから。


 当然そこに問題がある訳もないんだけど……。


 私の方を見ながら、お兄さまもルーカスさんも凄く心配そうな表情をしていて。


「あ、あの、本当にそこまで心配されるようなことは何もないので気にしないで下さい」


 と、慌てて私は2人に対して言葉を付け足して説明する。


 お兄さまはどう思っているのか分からないけど、ルーカスさんには私が魔女だってことを伝えているから……。


 何となくだけど、そのことで、心配をかけてしまっているんじゃないかなって思う。


「あぁ、顔色も良さそうだし、一先ずは問題なさそうでホッとした。

 だが、あまり無理はするなよ? 辛い様なら、いつでも休憩していいんだからな?」

 そうして、珍しくふわっと此方に向かって笑いかけてくるお兄さまの、その優しい言葉にこくりと頷いて、『ありがとうございます』と伝えれば。


「そうそう。

 ……無理をするのが一番身体に負担をかけちゃうからね。

 そうでなくとも、お姫様は、自分でも気付かない間に無理しちゃいそうだし」


 と、苦笑しながらルーカスさんにそう言われて、まるで何処かで聞いた事のあるような、そんな台詞のオンパレードに……。


【セオドアや、アルがいつも私に向かって言うようなことを言われてる……っ】


 と、私は思わず、その場で縮こまるしかない。


 人数が増えてしまっても、私を助けてくれる人はこの場には誰もいないだろう。


 心配をかけてしまっている分、申し訳ないな、と思っていたら……。


「姫さん。

 ……心配かけて申し訳ないなって思うなら、体調が辛くなる前に侍女さんとか俺、誰でもいい。ちゃんと自己申告しような?」


 と、追い打ちをかけられるようにセオドアから柔らかな言葉が降ってきて、私は『……うぅっ』と、声にならない声を溢したあとで、素直にこくりと頷いた。


「うん、ありがとう。

 でも、今日の体調は問題ないから、本当に大丈夫だよ。

 ダンスの練習もなるべく反復練習して、完璧に踊れるくらいになるまではやっておきたくて」


 デビュタントまで、あと少し、もう本当にあまり時間がないというのもあるけど。


【そなたの一挙一動が、そのまま陛下の、いては皇族の評価になることを努々忘れてはならぬ】


 この間テレーゼ様とお会いした時、私の一挙一動がそのまま皇族の評価になるって言われたから……。


 デビュタントまでに自分に出来ることに関しては、なるべく穴がないように完璧に近い所までは持っていきたいと思う。


【皇族としてお前みたいな奴が一人でもいると俺等の品格まで下がるんだよっ!】


 いつだったか、ギゼルお兄さまに言われた言葉が頭の中を過った。


 今の私は前ほど腫れ物扱いはされていないだろうし、マナーの面でも以前に比べたら大分出来るようになっている自信はある。


 だから人前に出ても、そこまで酷いことにはならないと思うけど……。


 それでも、私が何か問題をやらかしてしまったら、それだけでお兄さまやお父様など、他の人にも迷惑をかけてしまうだろう。


 にこっと、笑みを溢しながら、みんなにそう伝えれば。


「そう言えばお姫様、デビュタントの時、誰と踊るかは決めた?」


 と、ルーカスさんにそう言われて。


 私が『あ、それはまだ……』と、言いかけたタイミングで……。


「俺と踊る」


 はっきりと、お兄さまから間髪入れずに声が降ってきて、私は思わずお兄さまの方をきょとんと見上げた。


「……うん? お姫様、殿下と踊るの?」


「あぁ、父上にはもう既にアリスが俺と踊ることは伝え済みだ」


 多分、お兄さまと踊ることにはなるのかな、と思ってはいたけれど。


 それが決定事項であることは知らなかったので、突然の私の知らない情報についていけずに私自身が驚いているのを置いてけぼりにして。


 お兄さまの言葉に、ルーカスさんが首を傾げて『なんで?』と言わんばかりにお兄さまを見ていて。


 逆にお兄さまの方は無表情ながら、ルーカスさんの方を真っ直ぐに見つめていて。


 そこにどうしてか、いつもは無いピリピリとした緊張感のような物が少しだけ混じっているような気がして……。


 二人のその遣り取りに、私は一人、おろおろとしてしまう。


「殿下、なんで、勝手に決めてるの? それって、お姫様が殿下と踊るって言ったわけ?」


「いや、アリスのデビュタントまでには時間がなかったからな。


 何の曲をアリスが踊るのかに関して父上に伝えた際、父上には俺がアリスの相手をすると説明したまでだ。

 それに、一々、お前に許可を取る必要など何処にもないだろう?」


 はっきりと声にだして、『何か文句でもあるのか?』と、言いたげなお兄さまの視線を受けて。


 ルーカスさんが小さく溜息を吐いたあとで……。


「……そっか、じゃぁ、仕方ないな」


 と、にこっと笑みを溢してくる。


 その姿に、どうすれば正解だったのかと、内心で一生懸命考えていたけど。


 今一、よく分からないまま、それでも自分に関してのことだから、何か言わなければいけないと……。


「あ、あのっ、やっぱり婚約のこと。

 ……私がちゃんと答えを出せないままでいるから、それが悪かったん、でしょうか?」


 と、私は声を出した。


 ルーカスさんは、私との婚約を“デビュタントの時に発表できたらそれが良い”みたいなことを前に言っていた記憶があるから。


 今の私でも、考えられることはそれしかなくて、怖ず怖ずとピリついた二人の雰囲気に割って入れば……。


「いや、お前は悪くない」


「うん、お姫様は別に問題ないよ」


 と、二人から一斉に言われてしまって、私は目を瞬かせた。


「確かに以前、俺がデビュタントの時に婚約したことを大々的に発表できたらって、お姫様に伝えたのは事実だけど。

 そもそも、お姫様のデビュタントが差し迫っているこの状況で、陛下もそのつもりはないみたいだし、発表するなんてことはしなくていい。

 何よりそれに関してはお姫様の気持ちが大事になってくることだからね」


 そうして、ルーカスさんからふわっと笑いかけられたあとでそう言われて、私は内心でホッと安堵する。


 それと同時に湧いてきた疑問が抑えきれなくて……。


「……あの、それじゃ、どうして……?」


【どうして、お兄さまと一瞬だけ険悪な雰囲気になったのだろう?】


 と、問いかければ……。


「だって、折角ここまで俺と一緒にダンスの練習してきたのにさァ。

 良い所だけ、殿下が掻っ攫っていくんだもんっ! なんか悔しいじゃんっ!?

 ここまで練習に付き合ってきた俺が、お姫様の踊りの癖とかも誰よりも理解しているつもりだし、一番良いパートナーになれる自負があるのにさっ!」


 と、ルーカスさんからはいつもの変わらない笑みと共に、そんな言葉が返ってきて、その言葉に思わずびっくりしてしまう。


?」


 場の雰囲気があまり重くならないように、どこまでも軽い口調でそう言ってくるルーカスさんに対して。


 けれど、どうしてか、お兄さまはどこまでも懐疑的で、問いかけるように少しだけ低くなったその声に。


「うん? 他に何があるって言うの?」


 と、ルーカスさんが口元を緩めて笑みを溢しながら、お兄さまの方を見る。


 その雰囲気はさっきとは違い、どこまでも柔らかな物でしかない。


「……最近のお前はやることなすこと、突拍子がなさ過ぎる。

 どこに真意があるのかが、俺ですら読めない時があると言っているんだ」


 私にはよく分からないけど……。


 ずっとルーカスさんと付き合いがあるお兄さまだからこそ、分かることがあるのだろうか。


 低いままの声で、ルーカスさんに問いかけるお兄さまのその声は、何かあるのなら言って欲しいというようなニュアンスがかなり入っていたと思う。


「……やだなァ、殿下の気のせいじゃない?

 ……っ、あー、もうっ、俺が悪かったって。

 ずっとこうやって二人で練習してきたからさっ! お姫様と踊りたかったから、ちょっとジェラシーを感じちゃっただけだよ、本当にっ。

 そこまで深刻にならなくても良いじゃん」


 一方でルーカスさんはどこまでも、いつも通りだった。


 二人の間で、私がおろおろと戸惑っていると……。


「ほら、殿下、お姫様が困惑してるよ」


 と、ルーカスさんが私の状態を見て声に出してくれたあとで、私の方を見たお兄さまがルーカスさんに向けていた鋭い視線を引っ込めてくれる。


「っていうか、アンタ等。

 ……別に喧嘩するなとは言わねぇけど、そういうのは姫さんの目に付く所じゃなくて余所でやってくんねぇか?」


 そのタイミングでセオドアが声をかけてくれたことで、場の雰囲気が少しだけ和らぐのを感じて私はホッと安堵した。


 お兄さまとルーカスさんがこんな風に険悪な雰囲気になっていること自体凄く珍しいことだからびっくりしてしまった。


 普段から、二人の遣り取りで一瞬だけピリつくような事もない訳じゃないけど。


 それは仲がいい故のことで、基本的には、お互いに気を遣わない関係からくるものだと思っていたから、ここまで雰囲気が悪くなるようなことは今までには無かったと思う。


【お兄さまも分からないくらい、最近のルーカスさんって、何か秘密みたいなものがあったりするのかな?】


 内心でそう思いながら、大丈夫なのかと私がハラハラしていたら。


 ルーカスさんと目があって、此方に向かってにこっと笑いかけられてしまった。


「大丈夫だよ。

 最近はあまり無かったけど、長いこと幼なじみやってたら、一度や二度くらいの喧嘩なんて珍しいことでも何でもないから。

 それより、お姫様はデビュタントで誰と一緒に会場入りするの? やっぱり殿下?」


 そうしてずっと暗いままだといけないと思ったのだろう。


 パッと、会話の内容を切り替えるようにしてくれたルーカスさんの言葉を聞きながら、私はふるりと首を横に振った。


「いえ、お兄さまは当日お父様の補佐をしたりでお忙しいだろうし。

 誰に頼もうか困っていたんですが、セオドアがエスコートをしてくれるって言ってくれたので、セオドアにお願いしたんです。……アルと三人で会場入りしようと思って」


 ルーカスさんに倣って、あまり重たくならないように、にこっと笑顔を向けて、言葉を出せば。


 ルーカスさんと、お兄さまが、驚いたような表情で此方を見てくるのが見えた。


「……頼んでくれれば、時間に都合を付けてでも、俺がお前の相手になったのに」


「3人、で……? それはまた斬新、なっ……。

 いやっ、でもアルフレッド君がお姫様と同じくらいの年齢だと思うとそこまで変ではない、な……」


「うむ、そういったパーティーの仕来しきたりについてはよく知らぬが、アリスとセオドアと僕とでお揃いというか、使う小物などで、テーマとなる物を揃えて服をあつらえて貰ってなっ!

 パーティーなど、肩が凝るだけの催し物だと思っていたが、今から楽しみで仕方が無いのだ!」


 お兄さまとルーカスさんが小声で何かを言っているのが聞き取れず、何て言ったのか聞き返そうとしかけた私の言葉を遮るように、満足そうに笑みを溢しながらアルが私達の意見を代弁するかのように声を上げてくれた。


 その言葉に、絶対に普段、そういうことはしなさそうなお兄さまが……。


「アリスと、お揃い……?」


 と、小さく声を溢したあとで、どうしてかショックを受けたようなそんな表情を浮かべるのが見えて、私は首を傾げる。


【もしかして、お兄さまも誰かとお揃いとかしたかったのかな……?】


「へぇ、三人揃ってお揃いか。それは当日が楽しみだね。

 じゃぁ、俺も当日、みんなの衣装についても注目しながら見ることにしよっかな」


 そうして、どうしてか急に落ち込んでしまったような雰囲気のお兄さまとは対照的に、にこやかな雰囲気のルーカスさんにそう言われて、私もこくりと頷いたあとで、にこっと笑みを溢した。


【良かった、お兄さまもルーカスさんもさっきまでの雰囲気はもうどこにも無くて、いつもの感じに戻ったみたい……】


 ちょっとだけお兄さまの方にまだ若干の違和感はあるけれど、さっきまでのピリピリしたような雰囲気はお兄さまから消えていて安心した私は古の森で予習した資料の内容を思い出し。


「はい、私も皆とさりげなくお揃いに出来て、凄く嬉しいんです。

 あ、そうだ、ルーカスさん、デビュタントの当日って、エヴァンズ家の方々は皆さん参加されるんですよね?」


「……あー、えっと、どうして?」


「いえ、そのっ、夫人には会ったことがありますが、当主であるエヴァンズ侯爵にはお目にかかったことがないので、挨拶の時、ほんの少し緊張してしまうかもしれないなぁ、って思って」


 エヴァンズ家の輝かしい功績などを頭に思い浮かべ、巻き戻し前の軸で見た侯爵のほんの少し堅い印象に……。


【デビュタントの時に会うの、凄く緊張しそう……】


 と、思いながら、この間、資料で見たから気になってとは言わずに、声を出した。


 私の言葉を聞いて、ほんの少しだけ困ったような表情を浮かべたあとで。


「いや、お姫様が緊張するようなことは何もないよ。

 うちの親父も、王家に忠誠を誓っているって言っても、皇族であるお姫様が緊張する程の人間ではないし。

 それよりごめんね。……ちょっと今、親戚筋の方でゴタゴタしていてさ、どうしても外せないから、うちの母親は欠席することになると思う」


 と、ルーカスさんからそう言われて私は目を瞬かせた。


「エヴァンズ夫人が欠席、ですか?」


 当たり前のようにエヴァンズ家はみんな揃って来るものだと思い込んでいたから、ルーカスさんのその言葉には驚いて目を見開いたけれど。


 そう言えば、エヴァンズ夫人は……。


 確か以前、御茶会後に私に謝罪に来てくれる時も急用が入って、どうしても来られなくなってしまったんだよね……?


 別に私自身、そのことに関しては特別気にしていた訳でもなかったから、今の今まですっかり忘れていたけれど。


 もしかして、それと、今回来られなくなってしまったことに関係性があるのかな?


【親戚筋のゴタゴタってなんだろう……?】


 顔を上げて、ルーカスさんに視線を向ければ。


 にこりと笑ったその顔が明確に、、と伝えるようなもので。


 私は、それ以上言葉に出せずに、押し黙る。


「……そうなんですね。

 夫人に会えないのは残念ですが、侯爵やルーカスさんが来て下さるだけで、充分です」


 そうして、にこっと、笑みを向ければ。


「お姫様にそう言って貰えて安心したよ」


 と、ルーカスさんもホッとしたように此方に向かって笑いかけてくれた。




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