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第198話【ルーカスSide】

「少しだけ、考えさせて欲しい」


 殿下の部屋から出て、皇宮の廊下の曲がり角を曲がった俺へ。


 偶然を装って会いに来たであろう、目の前の仮面の男が持ちかけてきた話に、そう答えるのが精一杯だった。


 俺の言葉を聞いて、仮面の下でナナシがどんな表情を浮かべているのかは全くこれっぽっちも読み取れない。


「分かりました。では、いつでも声をかけてください」


 そうして、淡々と喋ってくるその姿に。


「……ちょっとまった。

 ただでさえ、神出鬼没だって言われてるのに、俺から君に連絡なんて取れないでしょ?」


 と、声をかければ。


「スラム街にある廃れた教会の門番にルーカス様の名前を告げて“ナナシ宛”の手紙を渡してくれるだけで構いません。

 中は白紙でも何か書いてくれても構いませんが、数日中には都合をつけて僕からあなたに会いに行きます」


 と、説明されて……。


 俺はあまりにも簡単なその内容に思わず顔をしかめた。


「……スラム街、ね。

 疑う訳じゃないけど、その方法って、確実なわけ? ああいった場所だと、きちんと届かないっていう懸念もあるよね?」


「僕の知り合いがいるので確実性については問題ありません。

 それにルーカス様も……。スラムには結構、頻繁に出入りしてますよね?」


「……あぁ、成る程。

 そこまで俺の動向についても色々と調べられている訳か。

 分かった。……じゃぁ、“”そうさせてもらうよ」


「えぇ。……では僕はこれで失礼します」


 さっき、俺と話している間に少しだけ笑った以外は、終始、抑揚のない喋り方で、無機質に淡々と俺に対して声を出していたナナシが、その場から音も立てずに立ち去っていく。


 というか、一瞬でその場から姿が消えたことに……。


【流石、影として活動しているだけはある】


 と、思ったあとで、俺は先ほどまでのナナシの遣り取りを思いだし、その場で思考を巡らせた。


【テレーゼ様を貶める、ねぇ……】


 また、とんでもないような話を俺に持ちかけてきたものだ。


 一体、どういうつもりなんだか……。


 内心でそう思いながら、話の最中に探るような視線を向けてみたけれど、結局ナナシというあの男が何を考えているのか。


 一体、どうしてそんな話をわざわざ俺に持ちかけてきたのか。


 どれ程、頭の中でその答えを探そうとしてみても、分からないことだらけだった。


【一つだけ分かるのは、ただの“善意”とはどうしても思えないっていうことくらいだろうか】


 何か目的があって俺に近づいたのだろうということは分かる。


 ナナシから出てくる言葉の節々で、ナナシがテレーゼ様のことを嫌っている様子なのも理解は出来た。


 ただ、その肝心の目的が何なのか読み取れない。


 テレーゼ様に強い恨みがあるのかと思いきや、淡々と此方に向かって話してくるナナシからはそういう雰囲気は微塵も感じなかったし。


 テレーゼ様の苛烈な性格を思えば、あの方が政治的に有利な立場になるためにと、今まで策略を巡らせてきた事の中で……。


 ナナシの身内などが何らかの被害にあってしまって、大変な状況に追い込まれてしまったとかそういう事も考えられない話ではないけれど。


 それでもナナシが、そう言った面であの方に対して憎しみなんかを持っているかと言われれば、それもまたちょっと違うような気もする……。


 じゃぁ、テレーゼ様の地位が落ちることで、ナナシが得をするようなことはあるかと考えても……。


 少ししか話していないけれど、ナナシ自身が損得勘定で動くような人間だろうか、と思うと疑問が残る。


 本当にテレーゼ様の地位が失墜することだけを、狙っているのか?


 それとも他に何か理由があって、テレーゼ様の地位が失墜することでそれが叶うとか、そういうことなんだろうか……?


【ったく、嫌になるよなぁ……】


 こっちの事情は隅々まで調べられて、いっそ清々しいまでに丸裸にされているというのに、俺には自分のことは一切悟らせてくれないんだから、俺とナナシじゃ、最初っから持っているカードの強さが違いすぎる。


【カードゲームでいうなら、3とか4の弱いカードでジョーカーと戦えって言われているようなものだ】


 心理戦も何もあったものじゃない。


 ナナシの人物像なんかもまるで把握出来ていない内から……。


 此方に対して。


 ――少なくとも、俺の家族は守ることが出来ると。


 教えてくれたその意図も、今一見えてこない。


【俺に対して、そこまで親切になる理由は何だ?

 俺を動かして、テレーゼ様の地位を失墜させることに、一体何の意味がある?】


 ナナシがテレーゼ様に付いて、間諜のような活動をしているのは俺も分かってはいたことだけど。


 何かを盗むために忍び込んだりする身体能力の高さはあるものの、そういった策略を巡らすには向いていないようなマイペースでぼんやりした性格なのかと思いきや……。


 意外にも何か確固たる考えを持っていて、恐らくそのために動いているのだろうということは、こうして話をしてみるまで分からなかったし、良い意味でも悪い意味でも気は抜けない人物だということだけは理解できた。


【……それにしても、本当に、痛いところを突いてくる】


 言葉の節々からあくまで俺の自由意志であると強調して、この話は強制的なものではないと匂わせておきながら……。


 最終的には俺がどういう風に動くのか、理解されているような感じがして、手のひらの上で転がされているような感覚に、一種の気持ちの悪ささえ覚えてしまう。


【俺の罪悪感とか、抱えてきた後悔とか、色々なものを把握した上で、この話を持ちかけてきているのだとしたら、本当に大した策士だろう】


 殿下のこととか、お姫様のこととか、家族のこととか……。


 そういうのを全部ひっくるめて考えると、どうしたらいいのか、自ずと答えをされているような気がしてならない。


 その感情が何処にあるのか読めないばかりか、自分の感情を揺さぶられて。


 怒りにまかせてその胸ぐらを掴んだのも失敗だった。


 ――ポーカーフェイスは、誰よりも得意な自信があった。


 だけど、ナナシから……。


【時間が無いっていうことは、このままいくと確実に、ルーカス様が今まで必死になって守ってきたものは、泡になって消えてしまう】


 って、言われた瞬間、熱いものが込み上げてきて……。


【ここまで費やしてきた労力も、何もかも全てが徒労に終わってしまうのだとしたら、必然あの女に従う必要もなくなるのでは?】


 続けてそう言われたことにカッとなった。


 別に今まで自分が費やしてきた努力に対してあれこれと言われたことを怒った訳じゃない。


 ただ、“”に俺の大切な存在の……“”が、もうすぐ終わりを迎えるという、どうしようも出来ない事実を口にだされて、その事を改めてまざまざと思い知らされたことに、一瞬だけ自我が保てなくなっただけだ。


【もう、時間がない】


 というのはまさしくその通り、だ。


 刻一刻と迫っていく時間。


 ほんの少しだけ先延ばしになって。


 なんとか延命していたその灯火ともしびも、もうすぐ消えてしまう。


 どれだけ願っても、助けなんてこないということを文字通り嫌っていう程に分からされて。


 ここ何年も身を粉にして、自分自身を犠牲にしてきた。


 嗚呼、本当に……。


 ――薄情だよな、神様って言うものは。


【どれほど熱心に祈ったところで、返ってくるものなんて何もないんだから】


 俺の現状を正しく知られている上で、家族のことまで持ち出されてくるとは夢にも思わなかったけど。


 テレーゼ様がお姫様に固執している以上。


 今は、上手いこと隠せていても……。


 これから近いうちにもきっと、陛下とテレーゼ様の間には溝が出来て広がっていくばかりだろう。


 それだけじゃなく……。


 あの方が何よりも最優先し、その感情を向ける相手である殿下ともきっと。


 今以上に不和が生じてしまうことは避けられない。


 内心で、そう思いながら、俺は小さく溜息を溢した。


 このままいけば、俺が何もしなくても緩やかに下降して、テレーゼ様の状況はあまり良い物にはならないはずだ。


 どれだけあの方が上手く立ち回ろうとも、その頻度が多ければ、その罪が全て白日の下に晒されてしまう可能性は高まるばかりで決して低くはならない。


【そうなったら、エヴァンズ家も。……もれなく


 ――家族だけでも守れる方法、か。


 ナナシの言っているその中には、当然、俺が何よりも守り通したかった“大切な存在”は入っていない。


 それは分かってる。


 だけど、エヴァンズ家だけは守ることが出来るよう立ち回れるというのはどう考えても魅力的な提案だった。


 このままテレーゼ様に言われるがまま、犯罪に手を染め続けて……。


 あの方と共に、やがて訪れるかもしれない地に落ちる可能性をこれから先も高めていくことを思えば。


 ナナシの言っていることは、決して俺にとっても悪い話ではない。


 確かに、俺だってテレーゼ様に恩を感じている部分もある。


 あの方がいなければ、“俺の大切な存在”の命が、本来無くなる筈だった時よりも、ほんの少しの間、延びるようなこともなかっただろう。


 例え、としても。


 その間にその命を治せる方法が見つかればという、淡い希望だって持たせて貰えたことは事実だ。


【だけど、その恩に対しての対価なら……。もう既に充分、払い終えたと思う】


 それしか選択肢がなかったとナナシは言っていたけれど。

 最終的にどうするかを決めたのは紛れもなく俺自身であり……。


 その責任をテレーゼ様に全て押しつけるようなことをするつもりもない。


 それでも、あの方は都合の良い駒である俺の事を手放しはしないだろう。


 ……。


 今後は多分、テレーゼ様に頼まれて今まで犯してきた罪のことで脅されて、一生使い勝手のいい人間として俺をそのかたわらに置いておき、使い潰されるのだろうということは誰よりも俺自身が分かってる。


 頭の中で、色々と天秤にかけた結果……。


 こんな時に思い浮かんだのは、どうしてか、お姫様の顔だった。


【……きっと、このままテレーゼ様の言うことを聞いていれば。

 あの子のことも、必要以上に悲しませてしまうようなことになるのだろう】


 いつ、あの子の事を貶めるような注文がテレーゼ様から入るのかは分からないけれど。


 それでも、こんなことを続けていれば……。


 ――いつかは絶対に、その時がやってくる。


【俺にお姫様への贈り物に毒を盛るようにと平然と伝えて来た、あの日のように】


 さっき殿下から、今日のパーティーでマルティスという医者がワイングラスに毒を混入させた犯人として捕まったということは聞いていたけれど。


 もしかしたら今回の事件もテレーゼ様が裏で関与しているという可能性は捨てきれないんじゃないかと俺は疑っている。


 お姫様のデビュタントを潰す為だけに、そのようなことをしたと言われても……。


 何ら不思議じゃないのがテレーゼ様の恐ろしいところだろう。


 まだ年端もいかない小さな子供に対して向けるような感情としては……。


 将来、殿下の敵になるかもしれないという可能性を踏まえて考えても、あの方のアレは本当に行き過ぎている。


【まぁ、最近になってお姫様が陛下に寵愛され始めたからこそ、殿下が将来陛下の跡を継ぐ可能性に焦りや不安が生じて、お姫様に対して余計、憎しみが募っていってるのかもしれないけど……】


 それにしても、お姫様やギゼル様ではなく、殿下こそが陛下の跡を継ぐ人間だと。


 近くで見ていれば陛下の意思が何よりも堅いことくらいは分かるだろうに……。


 これから先、いっそ、盲目なまでにお姫様に向けるテレーゼ様の特殊な感情に振り回されるであろう懸念や。


 ナナシのことも含めて、あれこれと今後の自分の身の振り方について色々と考えなければいけない今の状況に憂鬱になりながら……。


 俺が吐いた小さな溜息は、誰にも聞かれることなくその場で空気に溶けて掻き消えていった。



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