マルティスが捕まってから直ぐ、父上の号令のもと行われた騎士の尋問によりあの男が今までしてきた悪事についてはかなり詳細に調べられていった。
普段の素行も、バートンの言っていた通り本当にどうしようもない人間で……。
挙げ句それを反省することもなく金さえ借りられなくなると、皇宮で働く医者という立場であることを笠に着て、『自分は皇帝陛下にも伝手があるのだ』と嘘をつき、横柄な態度で複数の店に対してツケで飲み歩いていたらしい。
――その結果が、国の補助金にまで手を出すということに繋がっていた、と。
あれから、事件のことが気になって俺の帰りを待っていたルーカスと短い遣り取りを終えたあと……。
地下の牢に逃げられないように鎖で繋がれ、捕まえられているマルティスに尋問している騎士の元に遅れて到着した俺は、あらかた今の段階でマルティスから聞き終わっている事情を騎士から聞いたあとで、牢の中にいるマルティスへと柵越しに視線を向けた。
「ウィリアム殿下っ! 私の刑は軽くなりますかっ!?
先ほども言いましたが私は仮面の男に脅されたこともあって仕方がなかったんです!
正直に言うのでどうか極刑だけはっ!」
目の前で俺を見つけ、なりふり構わずにガシャガシャと腕に繋がれた鎖を鳴らしながら、近寄れるだけ牢の柵に近づいて吠えるようにそう声を出してくるマルティスに……。
【普段の素行の悪さに加えて、罪を犯しても自分は被害者だと堂々と開き直るあの精神は本当に救いようがない人間だな】
と、内心でそう思いつつ、俺は小さく溜息を溢す。
それから、慌てて牢屋の中で尋問していた騎士の一人がマルティスの身体を押さえつけているのを視界の端に入れながら……。
「正直に全てを話せば、刑罰が軽くなることも確かにある。
だが、最終的にそれを決めるのは俺ではなく父上の判断だ。
……それでも嘘を話していたことが後々分かれば、その時は確実に刑が重くなるのは確かだからな。
今ここで、正直に話さないとどうなるか分からないぞ」
俺はマルティスに向かって目線を合わせたあとで、脅すように強い口調で声を出した。
「そっ、そんな……っ!」
俺の言葉が効いたのか、目を見開いて此方に向かって言葉を出してきたマルティスが、力なく項垂れるのが見える。
【先ほどのパーティーの時にも思ったが、どうやらこの男は随分と小心者らしい】
というか、強い物には弱くて、弱い物には強く出るという典型的な男なのだろう。
だから、街の人間には強く出て横柄に振る舞うが、ひとたび、俺たちみたいな立場が上の人間が何かを言えば、途端にこうやって恐れから震え出してしまうような人物像なのだということが、こうして、少し話しただけでもよく分かる。
「正直に話してくれるな?」
先ほどとは緩急をつけて、柔らかい口調に変えて諭すように声を出せば、それだけで、此方に向かって目を大きく見開いてくるマルティスが此方に多少なりとも心を開いてくるのが目に見えて分かった。
こういう輩には飴と鞭が効果的だということはよく分かっている。
だが、それにしたって、マルティスのこの言動はあまりにも
普通は、もっと厳しい鞭に対して、たまに諭すような声をかけたりしてゆっくり懐柔させ。
時間をかけて調べていくものだと思うんだが……。
この男には何かを隠しておきたいというような意思なんて欠片もないし。
話をすることで刑罰が軽くなるなら、それに越したことはないという気持ちの方が強いのだろう。
「殿下……。尋問の才能までおありとは」
「褒めてないだろう、それは」
此方に向かって、褒めるように声を出してくる騎士の一人に小さく溜息を吐き。
「お前の言っていた仮面の男について聞かせてくれ。
年は10代後半から20代前半で間違いないな? 他に何か分かるような外見的な特徴はあるか?」
と、俺はマルティスに向かって、まだ分かっていないことを更に詳しく問いただしていく。
「……いえ、殿下。
それが、外見的な特徴と言われましても、仮面の下はいつも黒一色の間諜のような格好をしていて、その……っ」
頭の中で仮面の男について思いを巡らせても、あまり特徴らしい特徴が思い出せないのか口ごもるマルティスを見ながら……。
「何でも良い。
痩せ型か、太ってるとか、色々あるだろう? 些細なことでも思い出せることは他にないのか?」
と、問い詰めれば。
「体型は確か、普通の体型だったと思います。
……あっ、でも、そういえば、髪色が特徴的な色をしていました。
多分ですけど、緑色だったはずです」
と、マルティスから返事が返ってきた。
【緑色の髪の毛、か……】
それだけ傍目から見ても印象に残りやすいような特徴的な髪色をしているのなら、直ぐに思い出せそうなものだが……。
思い出すまでにもかなり時間を要した上に曖昧な表現をするマルティスを不思議に思って俺がどういうことなのかと声をかけようとしたタイミングで、騎士の一人が。
「そんなにも目立つような髪色なら覚えていない訳がないだろうっ!
ちゃんと答えないとお前の刑が重くなる一方だぞっ!」
と、マルティスに向かって声を出すのが聞こえて来た。
その脅しのような一言に『……ひぃっ!』と怯えたように情けない言葉を出したマルティスが……。
「で、ですが……。
本当によく覚えていないんです。
そのっ、どんな人物だったか
と、声を出してくる。
その姿からは嘘を言っているようにも、隠しているようにも思えなくて、そのことが余計に、違和感を際立たせていた。
【一度だけじゃなくて複数回も自分が会話した人物をそう簡単に忘れたり、認識出来なくなってしまうようなことなんてあるのか……?】
何か知らない間に、幻覚を起こすような薬などを使われてその症状で周囲の状況が把握出来ていなかったとかそういうこともあるのかもしれない。
それに仮面の男に関してはまだまだ気になる点はある。
それだけのことを一人でこなせるような能力があるということは仮面の男自体も誰かに依頼されて動いている可能性が高いということだ。
【もちろん、一人でこなす能力があって、自分ですべて計画を立てて動いているとも考えられるが……】
マルティスの話を聞く限り、どちらかというと仮面の男はその能力や格好から考えれば間諜として働いていると考えるのが妥当だろう。
そうであるのならば、確実に
【シュタインベルクの内政をひっかき回したいような他国の人間か……?】
それとも。
【アリス関連のことで動いていることを見ると、この国の貴族で、“赤”を忌み嫌っているような勢力か……?】
頭の中で色々なことを可能性として探ってみたが、直ぐに答えが出るような物でもなく……。
一度、そのことは頭の片隅に追いやったあとで。
どちらにせよ、マルティスからこれ以上仮面の男に関しての情報を得ることは難しいのだろうなということは理解出来て……。
尋問していた騎士の一人と目が合って俺は小さく頷き返した。
【何にせよ、緑色の髪の毛の人間など中々いるものじゃないし、有力な手がかりのうちの一つであることは間違いないだろう】
それからも騎士達の尋問は続き、更に詳しくマルティスから事情は聞いたが。
仮面の男から、マルティスが依頼された事件については正直にマルティスが話したことでその概要も大体掴めてきた。
今回、仮面の男に言われて、ワイングラスに毒を盛っただけではなく……。
やはり、囚人の毒殺事件についてもマルティスは一枚噛んでいた。
俺が問い詰めるとそのことについてもあっさりと自白したが……。
ただ、マルティスも計画の一部としてその中の一人として組み込まれただけの人間であり。
仮面の男からは『お前の当直の日に複数囚人が毒を飲んでしまい死んでしまう事件があるから、それを毒としてではなく食中毒として処理するように』と言われただけで。
主にあの事件の後処理の部分しか担当していないらしい。
マルティスの役目は囚人が苦しんでいるところに駆けつけて、仮面の男に説明された手順通りに、食中毒を疑い、厨房に赴き鶏肉の確認をして、それが傷んでいることの確認をして皇帝陛下である父上に報告するということだけ。
肝心の、
【ということは、今回のワイングラスの件も含めて、マルティスは誰かに手のひらの上でずっと転がされていただけであり……】
――事件を隠蔽するのに協力しただけで実行犯ではないし、当然その目的なんかも知らされていない末端的な役割しか担っていなかったということだ。
そうなれば俄然、毒を運んだ人間についてはブランシュ村に帰ったという深夜勤務をしていた騎士が怪しくなってくる。
21時に囚人たちに夕食を運び、そのままもう一人の見張りの騎士と交代で仮眠も取りつつ、夜通し勤務をし、朝の7時に朝食を運んで勤務を終えたという騎士のスケジュールまではこちらでもきっちりと把握しているし……。
もしかしたら、もう本人はこの世にはいないかもしれないが、何か手掛かりが残されているかもしれないし、その騎士の故郷だったというブランシュ村に行った方がいいだろう。
あらかた、今回の事件も、囚人の毒殺事件についても詳しくマルティスから聞き終わった俺は、まだ細かい経緯などを一からマルティスに問いただしている騎士たちにその場を任せて、一度父上に報告しに行くことにした。
************************
俺が地下の牢から出て父上に報告しに宮の中を歩いていると、丁度犬っころを連れたアリスとばったり出くわした。
「アリス、こんなところで、どうした?
まだ休んでなかったのか?」
一瞬だけ、騎士であるアイツと視線があって、お互いに嫌な表情を浮かべあったのをアリスは気付いていなかったらしく、俺を見て……。
「あっ、ウィリアムお兄さま……。お兄さまこそ、このような時間までお仕事ですか?」
と、首をほんの少しだけ傾げて問いかけてくる。
「あぁ、父上から任されて、今の今までマルティスの尋問をしていた所だ」
アリスの問いかけに、俺が正直に答えれば……。
「……私のパーティ-で起きたことなのに、お兄さまにばかり負担をかけてしまって申し訳ありません」
と、気落ちした様子で、申し訳なさそうな言葉が返ってくる。
その言葉を否定するように首を振り……。
「いや、どうせ俺もいずれは父上の跡を継いでやらなければいけないことだからな。
お前が気にするようなことじゃない」
と、声をかければ、目の前の騎士から『お前の仕事なんだからお前がやるのは当然だろう?』と言わんばかりの視線が俺に向けられた。
【アリスに向かって自分で大丈夫だと伝えるのはいいが、コイツにこんな風に表情を向けられると途端に苛立ちが募ってくるから本当に不思議だ】
アリスの申し訳なさそうな表情を見習って、ほんの少しでもアリスの爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
最近、アリスの身の回りで事件が頻発して起こっているし、囚人の毒殺事件に対しても、なかなか解決しない事に苛立っている様子なのはよく分かる。
あとは多分、『定期的にその
アリスの為に自分も何か動けることがあるのなら、動きたいという気持ちもその感情から読み取れて……。
このまま、放置していたら勝手に『自分で事件の解決に乗り出した方が早い』とか言い出してきそうな感じがして、それはそれで癪に障る。
バチバチと、目の前の犬っころと視線を交わし合えば、俺の視線だけを見て……。
俺が何か怒っているとでも勘違いしたのか、アリスが不安そうな表情を浮かべるのが見えて。
相性の問題もあるだろうが、どうもこの男と対峙するといつも余裕が無くなってしまうと内心で反省した俺は、小さく溜息を溢したあとで、張り詰めていた自身を取り巻く雰囲気を和らげる。
「それで、お前は? 何か父上に用事でもあったのか?」
そうして、アリスの方へと視線を向け直して問いかければ、俺が温和な対応に戻ったからか、緊張していた様子からホッと安堵した様子のアリスが、俺の言葉を聞いたあとで。
「はい。……その、今日は大変な事が起きたこともあり、デビュタントを頑張った労いにとお父様が一緒に夕食をとろうって声をかけて下さったんです。
それで今、向かっていた最中で……」
と、声を出してきた。
その言葉に、父上がアリスに向かってそう声をかけてきたということには納得出来た。
アリスが今日一日、頑張っていたことは事実だし。
あんな事件がなかったらアリスのデビュタントは何ごとも無いどころか……。
アリスの対応自体は殆ど完璧に近くて大成功だっただろうに、父上も最後の最後であんな感じでケチが付いてしまったことを心配しているのだろう。
【アリス本人が悪い訳じゃないのも、そのことに拍車をかけている筈だ】
未だ、父上に対してもどこか遠慮気味のアリスを見ながら。
「そうか。……父上から声をかけてきたのならお前が遠慮する必要もない。
パーティーでは、貴族と挨拶を交わすのに忙しくて碌に昼から食事もしてないだろう?」
と、俺がそう声をかければ、『ありがとうございます』と声をだして、ふわっとアリスが此方に向かって微笑んでくるのが見えた。
そのあとで、はたと思い至ったのか、心配そうな表情になり……。
「あのっ、でもお兄さまも今日一日、殆どご飯とか食べてないんじゃ……。
お父様に言って、お兄さまの食事も一緒に用意して貰いましょうか?」
と、此方に向かって声をかけてくるアリスに、今日はもう適当に侍女にでも伝えて、サンドイッチとか、手頃な軽食を自室に持ってこさせれば良いと思っていたが……。
アリスと一緒に食事をするとなれば話は別だ。
俺はさっきまで自分の中で……。
【取りあえず何かを詰め込めば、それでいい】
と考えていた状態から、直ぐさま切り替えて……。
「あぁ、そうだな。
どうせこれから、父上に詳しく報告をしなければいけないと思っていたし。
さっきからお前の犬の視線が、“事情が分かったなら詳しく説明しろ”という視線を飛ばして来ていて煩いから、良い機会だしお前にも説明しておく。……今日は俺とも一緒に夕食をとろう」
と、声を出す。
俺の言葉にきょとんとしたあとで、驚いた様にぱちぱちと、目を瞬かせたアリスが、後ろから『お前が来るなら絶対に姫さんから離れないからな』と言わんばかりに視線だけでガルガルと此方に威嚇してくる犬の方へと振り向けば……。
アリスの視線がそっちに向くと途端に、アイツがふわっと柔らかな表情を向けたのが見えた。
「……?? セオドア?」
「うん……? どうした? 姫さん」
「え? あ、あれ? さっき、詳しく説明って……? ……??」
「あぁ、そんな視線なんて向けたつもりないのに不思議だよな?
多分俺の視線を悪い方向にでも勘違いしたんじゃないか? ……なぁ、お兄さま?」
「……お前にお兄さまと言われる筋合いは無いって何度も言ってるだろう」
半ばお決まりみたいになった遣り取りをしたあとで。
未だ、混乱したように交互に俺たちを見て声を出してくるアリスに、溜息を溢し、しれっと、何ごともなかったように俺から視線を外してくる犬っころに……。
【……お前、覚えておけよ】
と、視線を向ければ、アリスの耳元で。
「でもまぁ、第一皇子から詳しい話をして貰えるなら聞いておいた方がいいってのは確かだよな。
どんな奴が姫さんのことを狙ってても、絶対に俺が守るつもりではいるけど。
情報を知っているだけで、今後の対策も立てやすくはなるだろうし……。
さっき侍女さんと話してた時、部屋の中で不安そうな顔をしていたから、姫さんも情報を聞いておけば少しでも安心出来るだろう?」
という、絶対にアリス以外の他人には向けることのないであろう柔らかな口調で激甘な言葉が降ってきた。
この場にいて俺の耳にもその言葉はしっかりと入ってきてはいるが、当然、俺に聞かせる意図などまるでないだろう。
アリスは、その言葉を聞いて申し訳なさそうにしつつ……。
「……あっ、ご、ごめんね、セオドア。
もしかしてさっき私が部屋で不安そうにしていたから心配してくれたのっ?
いつも、本当にありがとうっ。……もっと、私がしっかりしなきゃだよねっ!」
と、慌てたように声を出しているが、普段から、アリスに向ける態度と他の人間に向ける態度とではまるで違うということには既に慣れているのか、その辺りについては気付いてもいないらしい。
……だが今は、アリスが不安に思っているという聞き捨てならない言葉が聞こえてきたことで、俺の意識も完全に
【立て続けに身の回りでこうも不穏な事件が起こっていれば、確かに精神的な面でも不安になっても可笑しくはない】
最近になってかなり大人びてきてはいるが、アリスのこの態度は周囲に期待をするのをやめて。
ただ我慢を覚えたが故のことのような気がしてならないし……。
年齢的にもまだまだ幼いというのは変わりなく、きっと、言葉にしないだけで色々な不安や負の感情を抱え込んでしまっているのだろう。
【
内心でそう思いながらも、今はアリスのことを気にかけるのが先決だと
「アリス……。
事件のことならあれからかなり進展して解決に向かっているし、お前が不安に思う必要は何処にもない。
お前も今日は色んなことがあって疲れているだろうし、ここでいつまでも立ち話をしている訳にもいかないだろう?
詳しい話は、これから父上と一緒に食事をしながらすることにしよう」
と、俺はアリスに向かって声をかけた。