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第208話 ブランシュ村



 翌日、ホテルから出立し私達がブランシュ村に着いたのはお昼を過ぎてからのことだった。


 因みに、この間にローラやハンナ、ミラも含め。

 お兄さまの従者たちもブランシュ村にほど近い皇族所有の別荘へと先に行き、荷物などを降ろしたりしてくれているので……。


 ブランシュ村にやって来たのは、私とセオドアとアルとお兄さまの4人だけだった。


 見渡す限り田畑が広がっている、のどかな雰囲気の村の中は、王都とは違い時間の流れがゆっくりと流れているようなそんな錯覚さえ起こさせる。


「殿下、何も無いところで申し訳ありませんが、どうぞ此方へ」


 そうして、私達が村に入って直ぐ、領主である貴族と村長が丁寧な態度で出迎えてくれた。


 お兄さまに聞けば、『皇宮で事件が起きた件で調査が必要になった為、協力を惜しまないように』と、お父様が直々に通達を送ってくれていたらしい。


 確かに突然お兄さまが来たら、何事かとびっくりするだろうし。

 私達が暫く村の中を調べたりするのに滞在することを思えば、領主に事前に手紙を出していることに関しては、寧ろしないといけない事だろう。


 だけど、領主と村長が此方に向かって、へりくだるようにお辞儀をしてくるのと同時に。


 私達が来たことがよほど物珍しいことだったのか。

 村人の大半が遠巻きに集まって此方のことを見てくることに、私は被っていたフードを自分の赤髪が隠れるように、そっと指で引っ張って下げた。


 思いのほか、歓迎ムードに包まれて。

 一種のお祭り騒ぎのようなそんな雰囲気があることに、多少戸惑ってしまう。


「殿下、お昼は食べて来られていますか? もしもまだ食べられていないようでしたら、是非私の所で召し上がって下さい」


「いや、問題ない。

 俺たちは調査のために来ているのだし、此方には必要以上には構わなくてもいい。

 俺が皇族だからといって、なるべく目立つようなことをして欲しいとは思っていない」


 私が皇女であることには気付かなかったのだろう。


 お兄さまのことを出迎えて、“折角来てくれたのだから立ち寄って欲しい”という雰囲気が在り在りと伝わってくる領主と、お兄さまが二言、三言、会話を交わしているのを聞きながら、私はそっと、フードの下から村の中を見渡した。


【予想以上に目立ってしまってるな……】


 未だ、此方を遠巻きにしながらも……。

 一目、お兄さまを見たかったのだろう村人からの視線が痛い。


 お兄さまの言う通り、遊びに来ている訳ではなく。


 今回は調査をしに来ているだけなのだけど。

 村人からしても、この領主である貴族にとっても、この国の第一皇子であるお兄さまがわざわざやってくるということは、それだけで光栄なことなのだろう。


 子供たちだけではなく、彼らの視線が好奇心に溢れキラキラとしたようなものであるということは、お兄さまのことを歓迎しているということの何よりの証だと思うし。


 私が同行していることで、そのことに水を差してしまう訳にはいかない。


 なるべく、自分の身分がバレないようにと影を薄くし、気配を消す努力をしていたら……。


「殿下、そちらは従者の方ですか!? 女性の従者をお連れとは珍しいことですね」


 と、領主から、そう言われて……。


 私はびくりと、思わず肩を震わせた。


 領主から突然自分に矛先が向いてしまい、声をかけられることになってしまったから、そうした訳じゃなく。


 どちらかと言うのなら、此方に向かって声を出してきたこの人を心配して……。


「……何、だと……?」


 私の横で普段よりもかなり低い声を出してくるお兄さまの方に、そろりと窺う様に視線を向ければ。


 さっきまで領主に普通に対応していたお兄さまが、普段の無表情さに加えて……。

 周囲から一目見ただけでも分かるような、もの凄く冷酷な冷たい表情を浮かべて、その場に立っているのが見えた。


「……ひっ、! でっ、殿下……?」


 お兄さまの冷たい視線に、思わずたじろぐように後ずさり……。


 此方に向かって恐る恐る『一体、どうしたのか』と声をかけてくるその人を視界に入れながら。


「あ、あのっ……。お兄さま、私は大丈夫ですので、抑えて下さい。

 私がこんな風に紛らわしい格好をしているのが、きっと従者に見えたんだと思います」


 と、私は小声でお兄さまに声をかける。


 目の前の領主にも、悪気があった訳じゃないだろう。


 だけど、私がこんな風に誰かから声をかけられてしまうことに関して。


 マナー講師などから今まで言われてきたことを知ってくれているからこそ、いっそ過保護とも思えるほどに過剰に反応してくれているのだと思う。


 セオドアやアルやローラみたいに、私のことを過剰に心配してくれるようになってしまったお兄さまを見ながら……。


 その配慮も心配も凄く有り難いものではあるけれど、『落ち着いて下さい』と必死に視線を向ければ。


 お兄さまの怒っていたような雰囲気は鳴りを潜め……。


 その代わりに、目の前の貴族から


「お、お兄さまという事はっ、ま、まさかっ、皇女様っ……!?

 し、失礼しましたっ。……そのっ、フードを被っていらしたので、どなたか判別がつかずっ! 殿下、申し訳ありませんっ!」


 と、慌てたように大きな声で謝罪され、言葉に詰まったあとで、私は小さく肩を落とした。


 ここまで、一生懸命になって自分の影が可能な限り、薄くなるように心がけていたのに……っ。


 と、内心で、そう思いながらも。


 バレてしまったのなら、もう仕方が無い。


「このような格好で申し訳ありません。

 私の髪色は周囲から見てもあまり気持ちの良いようなものではありませんので、この村に滞在する間、フードを被って過ごすことをお許し下さい」


 と、淑女の礼で挨拶をする。


 どうせバレてしまったのなら、フードで隠す意味もあるのかと思うけど。

 人によっては、“赤”を見るだけでも、気を悪くしてしまうような人もいるだろう。


 取りあえず、今自分に出来る対策は、出来るだけ取って置いた方がいいだろうと判断した私は、目の前で、未だに私というよりも……。


 お兄さまの顔色を窺いながら、謝罪してくるその人に向かって声を出した。


【私というよりも、お兄さまが怒っているから謝罪する】


 今、この瞬間にも息をするのと同じように自然な差別が行われていることを、目の前の領主は気付いてもいないだろう。


 ――当たり前のことを、当たり前のものとして、こうして態度に出しているだけ


 故意に私の事を傷つけたり貶めようとするような人もいるけれど、その大半は無意識の中で行われているものだったりする。


 そのことで、お兄さまやセオドアやアルは私の為を思って怒ってくれるのだろうけど……。


 私にとっては、巻き戻し前の軸も含めて。


 お兄さまと比べられることや、自分の赤髪の所為で侮られてしまうようなことも、かなり日常的に行われていたようなことなので。


 そういった対応にはあまりにも慣れすぎていて、これで気分が悪くなったり、怒ったりするようなことも既に無くなっている。


 フードの下から少しだけ、にこっと微笑んだあとで、この村に滞在する間はフードを被って過ごすことの許可を、目の前の貴族から貰えるようお願いすれば。


 私からそんな言葉が返ってくるとは予想もしていなかったのだろう。


 その言葉に目を白黒させて、驚きに染まった領主が一瞬だけ私を見て。


 次いで、上へと視線を向け直してから、サーッと一気に生気を失ったように青く染まるのが分かって、私は首を傾げた。


「いっ、いえ、皇女様っ! とんでもございませんっ! 私に許可などを取られずとも、皇女様にはお好きなようにお過ごし頂いて構いませんっ!」


 気付けば、隣で無表情だったお兄さまの眉間に皺が寄り、その額に青筋が浮かんでいて。


 後ろを見れば、セオドアが、目の前の貴族に向かって殺気を向けてくれているのが確認出来た。


 その手には、いつ剣を抜いても問題ないように、の部分へと手が掛かっている。


 オマケに、怒ったような表情で、私の為に見えない所で魔法を使おうとでもしてくれていたのか。


 『案ずるなっ! 手加減はしてやるぞ』とでも言いたげなアルの視線とがっちり目があって。


 私は、慌ててアルのその判断を止めるようにふるりと首を横に振り……。


 “大丈夫”であることを告げたあとで


「此方で過ごす間、フードを被ることに問題が無いようでしたら、安心しました。

 ……ご配慮ありがとうございます」


 と、目の前の貴族に向かって声を出す。


 みんなの心配は凄く嬉しいし、私にとって有り難いものでしかないけれど。

 こんなことの所為で、無駄に誰かと険悪な雰囲気になって欲しくはない。


 それに暫くこの村に滞在することを思えば……。

 出来るだけ余計ないざこざは、避けられるものなら避けた方がいいだろう。


 私の判断は目の前の貴族の為と言うよりも。

 これから先、この村に滞在することを考えての打算みたいなものがあった上でのことだったのだけど。


「こっ、皇女様、先ほどの非礼、本当に申し訳ありませんでした。……長旅で、お疲れでしょう?

 是非、少し休んでいかれてはっ?」


 私たちの関係性を見るや否や、お兄さまが一番上の立場であるにも関わらず、領主である貴族は今度は私に向かって態度を思いっきり軟化させてきた。


 そうすることで、箔が付くとでも思っているのか……。


 皇族が来たというだけで名誉なことだと思っている節がある目の前の貴族は、私達を何としてでも自分の家に招き入れたいと思っているのだろう。


【私が敬語で丁寧に対応したから、お兄さまを懐柔させるよりも私の方が容易いと思われてしまったのかな……?】


 熱心に話の矛先を変えては、積極的に私に話しかけてくるようになったその人に“現金な人だな……”と思いながら、苦笑する。


 そうして、お兄さまが改めて『歓迎などは必要ない』と、強い口調でその全てを固辞してくれたお蔭もあって。


 やっと領主から解放された私達は、村長の案内に従って、囚人の毒殺事件で関与を疑われているという騎士の家へと向かうことが出来た。


「殿下、此方が殿下が話されていた騎士の家です」


 村の中でも、建物自体は新しく綺麗な雰囲気で……。

 煉瓦を積み上げて作られた家には、けれど手入れなどがされている様子も見受けられず。


 見た感じでは、誰も住んでいないみたいだった。


「無人か? 誰か家族などは?」


 お兄さまがそのことを不思議に思ってくれて、村長に問いかけると


「えぇ、皇宮で騎士として働くようになって……。

 孝行をするのだと近年になってアーサーはこの家を実家の母親のために建てていたのですが……。

 母親は高齢で病を患っていたこともあって、今は近くの教会で世話になっていて、殆どこの家には戻ってきていません」


 と、言葉が返ってきた。


 “アーサー”というのが、囚人の毒殺事件に関与した可能性のある騎士の名前なのだろう。


 それよりも村長の口から出た『高齢の母親が近くの教会で世話になっている』という言葉に私は驚いてしまう。


 貴族や商人などは、当たり前のように自宅に医者を呼ぶことも、お抱えの医者を有している場合もあるし。


 騎士なども、それこそ騎士団長とか、そういったバロンとしての爵位を持っているような人とかならば、そういったことも出来るとは思うけど。


 普通の庶民や騎士に関しては、そんな事が出来る人は極稀だろう。


 じゃぁ、農民なども含めた爵位を持っていない民はどうするのかというと……。


 近くの教会に自分で足を運んでお金を払って治して貰ったり。

 重篤な病気になれば、都度、家に町医者を呼んだりするというのが大半だ。


 それと、もう一つ、あまり利用する人はいないけれど。

 一応制度として設けられているのが『教会預かり』というものになる。


 これに関しては家に誰も看護できるような人がおらず、一人で住んでいるような高齢者や病を抱えた人が医療機器の整った教会で盤石な治療が行えるようなものでもある。


 その分、手厚く看護されることで、誰かに診て貰えるという安全性は通常時よりもかなり保障されている。


【一見してみると、凄く良さそうなことばかりなんだけど……。

 この制度がどうして利用されていないのかは、あまりにもお金が掛かり過ぎちゃう所にあるんだよね】


 お金を持っている商人も、貴族に関しても自分たちのお抱えで医者を有していることが殆どだし。


 普通に暮らしている庶民からすれば、あまりにも高すぎる金額になっていて手が出せない。


 もう少し値段が安ければ、一般の人にも行き渡るような素晴らしいものになりそうなんだけど。

 そうすれば今度は、交代制といえども長時間気を張って、色々と患者のことを診ている医者の待遇が下がってしまうという悪循環で……。


 結局、一般庶民には手が出せない金額で。

 貴族や商人などのお金を持っている富裕層からしたら、そもそも必要無いという制度のため、この制度を利用している人間は、ごく一部の人に限られていた。


 勿論、その中には皇宮で働く騎士の人なども入っている。


 でも、例え彼らでも……。


 ある程度立場のある人間でなければ、この制度を利用するには金銭面的にかなり無理をしなければいけないはず。


 土地柄的にブランシュ村の物価に関しては、そんなに高くないだろうけど。


 幾ら看守として皇宮で働いていた騎士といえども……。


 自分の生活もあるのに、新しく煉瓦の家を一軒建てて、なおかつ、自分の母親を教会預かりに出来るほどのお金を給料だけで賄えていたとは到底思えない。


「近年になって、新築の家を建て。……病の母親を教会預かりにしていた、か」


 私が不審に思ったことに関しては、直ぐにお兄さまも可笑しいと思ってくれたのだろう。


 敢えて、この場でそのことを口に出して、村長に向かってその言葉に相違がないのかどうかを聞いてくれるあたり、凄いなぁと思う。


「えぇ、間違いありませんよ。アーサーは本当に親孝行な息子だったんです。

 なに、小さな村のことですから、皇宮で働く騎士は、これだけ立派なことが出来るのだと村にいる者にも夢を与えていましてね。

 アーサーは、この村の子供たちからすると、ヒーローでしたよ」


「……それで、家には暫く帰ってきていないと?」


「えぇ、変わらず元気に皇宮で働いているものだと、私は今の今までてっきりっ。

 まさか、家に帰るといって仕事を辞めた上に行方不明になっているとは思わず……」


 そうして、幾つかポンポンと続けて質問をしてくれたお兄さまの言葉に、嘘などを吐いている様子もなくテンポ良く答えてくれた村長さんが庭の植え込みから鍵を取り出して。


 『どうぞ』と、私達に向かって声を出してくれ、家の扉を開けてくれた。


 私がそのことに驚いていると、村長さんが頭を掻いたあとで。


「いやぁ、こういうのは、田舎の村あるあるでしてね。

 普段から鍵をかけない家もありますし、みんなこうやって鍵を取り出せるような位置に置いてたりもするんですよ。

 驚かれるかもしれませんが、何かあった時の為にと、私を含め、家の鍵の場所なども親しいものには伝えていたりしていることも、こういった村では割と日常的に行われています」


 と、教えてくれた。


 お蔭で、何の苦労もすることなくアーサーのおうちに入ることが出来たけど。

 村に住んでいる人達は、防犯面で大丈夫なのかな、と凄く心配になってしまう。


 私が一人でやきもきしている間にも、村長さんは何の遠慮も無くずかずかと家の中に入っていく。

 それに続いて、お兄さまが入っていくのを見て、私は慌てて、その後ろを追いかけた。


 一応、お父様が直々に出してくれた通達で、事前に家の中を調査するということは伝えてくれているのだから、無人の家に入ることに関しては何ら問題ないことではあるんだけど。


 人の家に勝手に入るということに、何だか悪いことをしているような気分になってしまいながらも……。


 お兄さまに付いて、リビングに足を踏み入れれば、少し埃が舞ってはいたものの、家の中はまだ人が居た頃の温もりみたいなものは失われておらず。


 病を患っていたと聞いていたけれど、この家の住人だったアーサーの母親が部屋の中を綺麗に保っていたのだろうということは、しっかりと整理整頓されている様子からも窺えた。



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