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第211話 酒場



 村の外れ、鉱山のふもと付近にセオドアの言うとおり、酒場はあった。


 辺りは『夜に開かれる市場』と言ってもいいかもしれない。


 どちらかというのなら村よりも栄え、ふわふわとしたオレンジ色のランタンで明るく照らされているその場所は日が沈みかかっている夕方なのに活気に溢れ、明るく賑わっている。


 これが夜になるともっと、ランタンの明かりが綺麗に暗闇に映えるのだろう。


 商人達が、各々テントを張り、商いをしているのを見れば、採掘用のツルハシなどが並べられ……。


 王都などにある市場などとは違い。

 売られているもののラインナップも怪我をしてしまったときに使われる薬草や、鉱山に入るための防護服などで、そこに立ち寄り、利用している買い物客も屈強そうな男の人達が大半だった。


 その隙間を掻い潜り、私はアルと一緒にセオドアとお兄さまに付いて、木造で出来た酒場へと足を踏み入れる。


 ――瞬間


 酒場の中でお酒を呑んでいた人間達の視線が一斉に私達の元へと注がれた。


 そのことに、ドキドキしながら。

 私はフードを目深に被り、少しだけ俯いて、なるべく周囲から自分の髪色が分からないようにと工夫しつつ。


 目の前を歩くお兄さまとセオドアの後ろを付いていく。


「店主、俺とコイツに酒をくれ。……とびっきり上等なもので頼む。それから、蜂蜜を入れたミルクを二つ」


 少し高くて座るのに苦労するカウンターに置かれたその椅子に、セオドアがふわっと私を抱きかかえて乗せてくれたあと、お兄さまが酒場の主人に注文をしてくれた。


 驚いたような表情を浮かべ、ちらりと、此方に視線を向けて。


「これはまた、こんな何の変哲も無い場所に、随分珍しいお客様が来たものだ」


 と、酒場の主人がそう言いながら、お兄さまの言葉に了承したように頷き。

 セオドアとお兄さまに無色透明な色のお酒を出してくれたのと、私とアルに蜂蜜入りのミルクを持ってきてくれた。


 ざわざわと騒がしくなった店内は、お兄さまの方に注目が集まり。

 誰も彼もが、私達の様子を窺っているようだった。


 私は自分の髪色のことの方をいつもどうしても、心配してしまうけれど。


 考えてみたら、お兄さまの髪色もこの国の皇族が持っている由緒正しい“金”だから。


 ――こういう時、目立ってしまうのは仕方の無いことだろう。


 今日、ブランシュ村に皇太子が来るということも、もしかしたら村の住人だけじゃなくこの人達にも知れ渡っていたのかもしれない。


 だとしたら、此方に集まってくる視線の多くが、酒場にやって来たお兄さまが“本物の皇太子なのかどうか”探るようなものになっていることも理解出来た。


 その全てが、温かい視線とはとても言い難く、まるで値踏みするような視線が四方八方から向いてくることになんとなく居心地の悪さを感じていたら……。


「オイオイ、こんな荒くれしか集まらないような場所に子連れかぁ?

 そういや、ブランシュ村に今、皇太子が来てるんだったよなァ?

 本物かどうかは知らねぇけどよっ、なよなよした端正な顔立ちの坊ちゃんがこんな所に来るもんじゃねぇぞっ?」


 という、如何いかにもな感じの人から絡まれてしまった。


 年齢は30代くらいで。


 がっしりとした屈強そうな体格に、自分は歴戦の冒険者なのだという自負があるのだろうか……。


 自信に満ちあふれたようなその態度は横柄で、この場にいる誰よりも偉そうだった。


 そうして、その人がその言葉を口にすると、“ドッ”と、周囲からゲラゲラとした下品な笑い声が溢れ落ちる。


 どうやら、5人組のグループでこの酒場を利用しているらしいその人達は……。

 酒場にあるテーブルの上に散乱している瓶からも窺えるように、何杯もお酒を飲んで、出来上がってしまっているのだろう。


 お酒に強いのか、リーダーっぽい感じのその人の表情に変化は見られず、酔いはあるものの素面しらふでそんなことを言っているのかと驚いてしまったけれど、周囲にいた何人かは既にその顔色が赤く染まっている。


 事前にセオドアやお兄さまが酒場について、柄の悪い人間が多いと言っていた意味が、彼らの態度で私にも理解出来た。


 ――お酒を大量に呑んだことで、正常な判断も出来なくなってしまっているんだろうか


 あまりにも慣れない出来事に、ハラハラと事の成り行きを見守っていたのは私だけで。


 セオドアもお兄さまも相手にするのも馬鹿らしいというように、彼らに対して何も触れることもせず。


 お兄さまが面倒くさいというような感じで、目の前の集団を一瞥したあと、顔色も変えずに酒場の主人へと向き直ると。


 それが、彼らのしゃくに障って、怒りのトリガーを引いてしまったのか。


「オイっ! なんだよその、いけ好かねぇ、澄ました態度はよォっ!?

 上に立つような偉い人間様を装って、酒場で優遇して貰うつもりなんじゃねぇだろうなァ!?

 俺等には、その変装が偽物だってこと、分かってんだよっ!」


 と、バンっ、と一度強くテーブルを叩き、ガタッと激しい音を立てて怒ったように椅子から立ち上がったあとで、私達に向かって突っかかってくる。


 言いがかりとしか思えないようないちゃもんをつけてきたあとで、更に何か言わなければ気が済まないとでも思ったのか……。


 その人が大股で、ドスドスと音を立てながら、此方に向かってやってきて。


 ――お兄さまではなく、私と目が合った瞬間。


「オイオイなんだっ、フードに隠れて分からなかったが、コイツは中々っ。

 まだまだ小せぇが、将来、金になりそうな、随分と上物なガキを連れてんじゃねぇかっ。

 人身売買が御法度で、規制されているシュタインベルクじゃなきゃ、子供2人、セットで高く売れただろうになぁっ!」


 と、舌なめずりするような下品な声を出してきて……。


 その言葉に、お兄さまが、ガタリと立ち上がろうとしてくれるよりも早く。


 セオドアが、瞬時に抜いた剣の切っ先を男の喉元から、数センチほどずらして突きつけるのが見えた。


 キラリと光る白刃の先端に、男がごくりと息を飲んだのが喉の動きで分かる。


 そうして、口の端を吊り上げたセオドアが、男にだけ聞こえるように……。


「汚ぇ視線と言葉で、俺の大事な人のこと、穢すような真似するんじゃねぇよ。

 ……どうする? 俺は優しいからな。一応、一度だけ通告しといてやるよ。

 今ここでか? ……それとも大人しく、仲間の元に戻って、明日も美味い飯を食うか、どっちか選ばせてやる」


 と、静かに囁くように、脅しともとれるような声を出してくれれば。


 本気とも、冗談とも取れるような、けれど、目が欠片も笑っていないセオドアのその言葉に『……ぐぅ、』と、小さくたじろいだ目の前の男が言葉を濁した瞬間……。


「オイ、何やってんだよ、リーダーっ! 早いとこ、そんな奴から間合いをとって、こっちも剣を抜いてやっちまえよっ!」


 という、状況を全く読めていない野次が飛んでくる。


 周囲から見れば、男の後ろはがら空きで、後ろに飛ぶように後退してセオドアから間合いを取り、腰に下げている剣を抜けば、まだ充分、対等に渡り合えるとでも思われているのだろう。


 彼らは、目の前のセオドアと対峙しているこの男の人が、セオドアの威圧や、殺気により。


退


 ということに気づけていない。


 私から見ても力の差は歴然なのに、どう考えてもセオドアの方が優勢な状況を正しく理解せずに、煽るだけ煽って喧嘩を仕掛けてくるようなその集団に、私はそっちを心配してしまう。


 それでも、これじゃ、仲間内なかまうちに威厳を示すことも出来ないと思ったのか……。


 それとも、自分のプライドが傷つけられたままじゃ終われないと思ったのか。


 一瞬だけ、たじろいだ様子で唇を噛んだあとで。


「く、クソッタレが! そんな脅しで俺が怯むと思うなよっ!」


 と、セオドアの殺気を、一度振り切ったように後ずさり、自分の持っている剣を抜くという考えも抜け落ちていたのか……。


 その場でたたらを踏んで、なりふり構わずに大ぶりの拳を上に掲げて、セオドアに殴りかかろうとしてきたのが見えた。


 その短い間に、抜いていた剣を鞘に戻す余裕さえ見せていたセオドアが……。

 拳ごとパシッと手のひらで受け止めて、ぐぐっと、力だけでそれを押し返す。


 誰から見てもセオドアが手加減していることは、明らかで……。


 2人が見合って膠着こうちゃくしていたような時間はそう長くなく。


 ――それだけで、決着はいとも簡単に付いた。


 ふらっと、よろけたことにより、失ったバランスで立っていられなくなったその人が後ろへと尻餅をついてしまう。


「……なっ、リーダーっ!?」


「ああっ、違うぞっ! 酒の所為で足下がぐだっちまっただけだっ! 俺は、まだ負けてねぇっ!」


 ふらつきながらも、果敢にもう一度立ち上がって、セオドアの方へとその人が挑もうとした瞬間……。


「勝敗ならばもう既に、決している。

 お前達じゃ、例え束になったところで、この男には敵わないだろう。

 あまりこの男の神経を逆撫でして、無駄に自分の命を縮めるようなことはしない方がいい」


 と、お兄さまの威厳のあるような、重たい声色がその場を支配した。


「……なっ」


 冷たいとも取れるような、無表情のままかけられるその言葉には。


 私自身が、普段のお父様からもよく感じる、普通の人達には無いような近寄りがたい厳かな雰囲気が漂っていた。


 これが、いずれ皇帝という立場を背負う人の威厳みたいなものなのかな……。


 お兄さまのその雰囲気に、ようやく酔いみたいなものが醒めて冷静になれたのかもしれない。


 そもそも、私達自身、本物だとも偽物だとも言っていないにも関わらず。


 勝手に、皇族であるお兄さまのことを、皇族を装った偽物だと認定して、食ってかかっていたその人が、口をパクパクと魚みたいに開いたあとで……。


「……あ、あんたっ……っ! ほっ、本物の、皇太子なのかよっ……!」


 と、言いながら、サーッと血の気が失せたような表情になっていく。


「俺が本物かどうかなど、今は些細なことだ。

 酒の席のことだ、気が大きくなってしまって、口を滑らすようなこともあるだろう。

 今、お前達が此方に向かって言ってきた、多少の無礼には目を瞑ってやることは出来る。

 だが、ひとたび、俺が自分の立場を認めれば、この国の法に基づき、お前達を今すぐ不敬罪で捕まえることも出来るが。……どう思う?」


 そうして、お兄さまがどこまでも冷酷ともとれるような低い声を、目の前の集団に浴びせれば。


 屈強そうな人達が揃いも揃って、ひゅっと、自然に喉を鳴らし……。


 一気に緊迫感が広がっていくこの場所の張り詰めた空気に


「……っ、も、申し訳ありませんっ、魔が差しただけのことなんですっ! どうかお許し下さいっ」


 と、誰かが震えながら声を出したのを皮切りに、続けて色々な所から慌てたように口々に謝罪の言葉が降ってきた。


「シュタインベルクで、人身売買の話はそもそもがタブー。

 冗談が冗談では済まなくなる可能性をお前達はもっと、考慮した方がいい。

 お前達の発言、その全てが不快だが、ここで、素直に立ち去るというのなら見逃してやる」


 そうして、眉を寄せ不快だとでも言わんばかりに……。


 けれど、彼らの逃げ道を用意して、お兄さまが屈強そうな人達の集団に向かって声を出すと。


 目の前の人達はお互いに顔を見合わせて暫くほうけたように、戸惑ったような表情を浮かべていた。


 その隣で、セオドアが隠しもせずに、殺気を漏らしながら


「流石、第一皇子様っ。……博愛主義で、お優しいこった」


 と、小さく吐き捨てるように呟いたのが聞こえて来た。


 その言葉を耳に入れながら


「俺の護衛の機嫌が良くて、これだけで済んで良かったな?

 じゃなきゃお前達は、とっくに今頃、その命を落としていた筈だ」


 と、冷淡な口調で、お兄さまが声をかけると。


 さっきの手加減するようなセオドアの対応から、それが脅しでも何でも無いことに気付いたのだろう。


 お兄さまとセオドアを交互に見比べたあとで


 『ほっ、本当に申し訳ありませんでしたっ!』と、一様に声を出した彼らが。

 酒場のカウンターにお金だけを置いて、足を縺れさせながら我先にと、慌てたようにバタバタとバーから出て行くのが見えた。


「オイ、俺たちは喧嘩をしに来た訳じゃないんだぞ。

 もう少し、大人しくすることが出来ないのか、お前は?

 こんな小さな村で、もめ事を起こしたら、明日には周囲に広まってしまっているだろう。

 そうなると確実に動きにくくなるのは俺たちだ。……目的のためには、我慢することも覚えろ」


「……ああっ? だから、最大限、俺なりに譲歩して、アイツらには選択肢を与えてやっただろ?

 今ここで“不敬罪”で死ぬか、それとも明日も美味い飯が食えるように大人しく仲間の元に戻るのか、ってな?

 大体、アンタも人の事言えんのかよ? 俺が動かなきゃ、アンタの方が今にも事を大きくしそうなほどに怒ってたじゃねぇか」


「……っ、あぁ、まぁ、そうだな。

 確かに、お前のお蔭で多少の溜飲りゅういんが下がったことは認める。

 あの男達、どこの国の人間かは知らないが、穢らわしい目つきで見ながらアリスのことを人身売買にかけるなど、ふざけたことをっ」


「ソマリア南部の独特な訛りがあったから、多分だけど、ソマリア人だろうな」


 慌てた様に集団でこの場所から出て行った人たちに、辺りが一気にシーンと静まり返るなかで。


 お兄さまとセオドアはいつものように、何事も無かったかのように2人で会話の遣り取りをしていた。


 2人の遣り取りに、酒場を利用していた他の人達から、今度は違う意味で注目を浴びていることに。


 また違った種類の居心地の悪さを感じながら、そっとカウンターの上に置かれていた蜂蜜入りの温かいミルクを飲んで、私は心を落ち着かせる。


「あの、お兄さまも、セオドアもありがとうございました。

 私とアルの為に、怒ってくれて……」


 そうして、少しだけホッと息を吐いたあとで、セオドアとお兄さまに向かって声を出せば。


 2人は私の方を見て『当然だ』とでも言うような視線を向けてくれた。


「店主、騒がしくして悪かったな。

 ここで飲んでいる他の客には何も問題が無いのは分かっているし、お詫びと言っては何だが、今日の代金は全て俺につけておいてくれ」


 そうして、お兄さまがカウンターの中にいる酒場の主人に声をかけると。


「だそうだ。……お前さん達、今日は太っ腹な皇太子様が奢ってくれるんだとよ」


 と、状況を見守っていた酒場の主人から声がかかって。


 さっきまで息を殺すようにして私達の様子を窺っていた人達が、現金にも大はしゃぎし、一気に、店内がワッと色めき立ったのが分かった。


 その喧騒の中で……。


「ヒューっ、さっきの遣り取り、見てたぜ、アンタ達っ。

 アイツら、やたらと態度が悪い上に、でかい顔をしていて周囲に威張り散らしまくってて、ここらじゃ煙たがれてたんで、スカッとしたぜっ!

 皇太子様に、腕の立つ護衛、それからフードを被った可愛いお嬢さんと、貴族のお坊ちゃんか何かか……?

 中々、見ない組み合わせだが、良ければ俺もアンタ達とご一緒してもいいかい?」


 口笛を吹きながら、私達の方に近づいて声をかけてくれたのは。


 シュタインベルクではあまり見ない雰囲気の30代くらいの、お洒落に髭を生やしたダンディな雰囲気の男の人だった。



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