翌朝。
スマホのアラームで和也が目を覚ますと、美貴の部屋の床、ふわふわしたラグマットの上にいた。仕事は休みだが、スマホは主人を定時に起こしてしまった。
昨晩は美貴に腕枕をして寝ていたはずだが、さすがに二人で寝るには狭かったのか、床の上に落とされてしまったみたいだ。
自分をベッドから追い出した張本人は、気持ち良さそうにすやすやと寝息を立てている。
和也は彼女を見て胸が締め付けられた。
――朝、目を覚ましたら、自分以外の誰かがいる。
この事実に幸福以上のものを感じて、言いようのない感情がこみ上げ、一粒涙が零れた。起こさないよう、そっと美貴の傍らに体を滑り込ませ、彼女を己の胸にいだく。
――もう、二度と手放したくない。
強く抱き締めたら起こしてしまいそうなので、頬に軽くキスをしたあと、和也は慌ててベッドから降りてリビングに逃げ出した。
☆
「さてと……世話になってるし、朝飯でも用意してやるか」
そう思って台所を物色するが、引越して一ヶ月ぐらい経つのに冷蔵庫にはロクなものが入っていない。
食器や調理器具、家電はひととおり揃っているにもかかわらずである。台所に存在した食品は、インスタント麺と調味料、そしてコーヒー豆ぐらいだった。
「うっわ、本気で出前か外食しか食ってねえんだな」
和也が、隣家に美貴が住んでいた頃の記憶をたぐると、出された料理はパパさんとママさんいずれかの手料理と、完成品が半々ぐらいだった。もっとよく思い出してみれば、パパさんの方がママさんよりも多く調理していた気がする。
「しゃあねえな……買い物行ってくっか……」
美貴が洗ってくれた服に袖を通すと、乾燥機特有の香ばしい匂いがした。
☆
和也はマンションの隣にあるコンビニで買い物を済ませると、店頭の喫煙コーナーで一服した。美貴の家で吸うのをガマンしていたのだ。
「あいつん家で吸うと怒られっからなあ……」
深く吸い込んで、ゆっくり大きく吐く。
和也にとってのタバコは嗜好品というよりも、リラックスするための小道具だった。それ故に、美貴に禁煙を求められて少々困っている。ヤニ臭い口でキスするな、ということだ。
「嫌われたくないから、やめないといかんのだけど……どうしたもんか。俺にとっちゃ必需品だしなあ。うーむ……。電子にでもしようか……困ったなあ」
結局、電子タバコを買いに再び店に入った。女性好きするようなフレーバーのものを探して。
☆
マンションに戻り、トーストに目玉焼き、サラダ、コーヒーといった、ごくありふれた朝食を用意した和也は、リビングのテレビをつけるとyoutubeから雰囲気のいいBGMを探して再生した。
こんなカフェ用BGMがいくらでもある、と教えてくれたのは先輩だった。
素直で地頭も良く、物覚えがいい和也は、店長や先輩の格好のオモチャだった。いろんな分野のスペシャリストである二人は、惜しみなく己の持てる知識や技術を杉本少年に注ぎ込んでは、その成長を心から喜んだ。
和也としては、自分を世話してくれる恩人の道楽に付き合っているくらいの認識で、それらの価値を知らなかった。
和也は先輩の教えのとおり、テーブルにランチョンマットを敷いた上に皿を置き、リビング内から見栄えのいい小物や造花をかき集めてセッティングした。
このまま写真を撮れば、インスタのインフルエンサーに引けを取らないだろう。しかし当人は一切興味がないので、残念ながらそうは思っていない。
ただ、美貴を喜ばせてやりたい一心で。