和也が朝食の用意を済ませて一服していると、ようやく美貴がリビングにやってきた。
「おはよ……ってなにこれ! え? え? うちいつからカフェになったの!?」
「ああ、やっと起きたか。おはよう。勝手なことをして済まない……。これ、先輩に教わったようにやってみたんだが、気に入らなかったのなら、もうやらないよ……」
美貴は全力で首を横にぶんぶん振ると、
「和也がこんなこと出来るなんて知らなかった……超すごいよ」
「そうか。気に入ってくれたんなら何よりだ」
和也は胸を撫で下ろした。
「それに、うちこんなカフェエプロンなんてあったっけ? すっごい似合ってる……ヤバい……やだ本物のバリスタみたい……」
長身で少し陰のある細マッチョのイケメンが、綿シャツの腕まくりをしてカフェエプロンを着けている、この絵面に参らない美貴ではなかった。
彼女は相当な面食いなのだから。
「ん? バリスタって何? このエプロン、台所で見つけた。新品未開封だったが、他にエプロンらしいものが見当たらなかったんで勝手に使わせてもらった。マズかったら後でおばさんに謝るよ」
「大丈夫よ、どーせ買ったこと自体おぼえてないから」
「そっか。お前、顔洗って来い」
「はーい」
洗面所に行った美貴が数分後スマホを携えて戻って来ると、食卓の写真を撮り始めた。
和也が撮影された画像を見た途端、
「ちょっと待った、ライティングが悪い」
と言い出して、ダイニングテーブルを窓際に動かした。SNS映えを意識するならライティングに注意せよ、という先輩の教えに基づくものだ。
移動後、和也が美貴のスマホで数枚撮影して見せると、
「うわあ……プロの犯行だ……」と感心しきりであった。
「気が済んだか?」
「う、うん。ありがと……」
「なに?」
「あの頃の和也からは全く想像出来ないことばっかしてるから……その」
「そりゃ何年も経ってるんだ。ガキの頃とは違うことぐらいするだろ。お前だって化粧してんじゃんか。同じことだ」
「べつにdisってるわけじゃなくて……びっくりした」
「そか。なんか知らんが、こういうのは先輩の副業と関係あるらしい。じゃあテーブル戻すぞ」
美貴との食事中、件の先輩が話題になったが、考えてみればみるほど謎の多い人物であることが分かった。
数回デートをしたはずの美貴も彼の正体は分からず仕舞である。
愚直で人を信用するタチの和也は、世話になった男に言われるまま、あれやこれやを仕込まれていたことに今さらになって気付いた。
店では美貴に彼の悪口を言いはしたが、バイトを始めた頃から和也の面倒を見てきたのは店長だけでなく「先輩」もまた同じで、和也が絶対に不義理の出来ない人物の一人である。
「ん? どうしたの?」
テーブルの下、和也が美貴の太股を指で辿って、彼女の指をもてあそび始めた。
「……べ、べつに」和也はそっぽを向いている。
「くすぐったいって」
「……」
「言いたいことあるんでしょ」
美貴が、いたずらしている和也の手を掴んだ。
「えあ……う……ご、ごめん……」
顔を真っ赤にした和也の胸が早鐘を打つ。
「それがあんたの言いたいことなの? 違うんでしょ?」
「だ、だって……恥ずかしい……からさあ」
(ぎゃ――――ッ!)
あまりの可愛さに美貴がヤられてしまった。
――ガタッ!
美貴は椅子から立ち上がると、和也の頭を豊満な胸に押しつけて抱きかかえた。
「ほぶっ、な、なにすんだよ美貴」
「ぎゅってしたくなった」
「ちげーよ、それ『ぱふぱふ』だろ?」
「バーカ。でも、あの頃の和也が戻ったみたいで良かった」
――和也の胸がチクリとする。あの頃も今も【俺】は【俺】なのに、と。
「お、おう……」
(あの頃……か。昔の俺では、こんな風にお前を喜ばせてもやれないのに……)
あの頃の自分の、何がいいのだろう。
何も知らない、何も出来ないただのガキだったのに。
和也は不服だった。