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第10話

 ひとしきり美貴エキスを給油した和也は、無事立ち直り二人で買い物に出かけた。いくら美貴の匂いを吸い込んでも、ささくれ立った心が、なかなか落ち着かず、少々美貴を待たせてしまったのだが。


 短距離ではあるが、美貴を乗せて潮風に当たると、和也は煤けた気分が洗い流される気がした。


 スーパーの駐車場で和也が美貴をバイクから下ろしていると、彼女が少々気味悪そうな顔で訊ねた。


「どーしたのよ、ニヤニヤして。気持ち悪い」


「ボキャ貧か。気持ち悪い言うな。顔がゆるんでるっつーんだろ。そりゃお前と買い物出来るのが嬉しいからだよ」


 美貴の顔がぽっと赤くなる。

「こ、これからずっと……買い物出来るよ」


「ああ……そうなんだな」

 和也は眩しそうに天を仰いだ。


「暑いからはやく中に入ろうよ」

「ごめんごめん」


 ☆


 スーパーでの買い物を満喫する和也。めんどくさいと言いつつ、美貴もまんざらでもない。


 エスカレーター脇の大鏡に映った自分たちを見て、美貴が言った。

「これってなんか新婚さんみたいじゃない?」


「えっ!! あ、そうか……そうだな。新婚さん、に見えるかな俺たち」

「見えるよ。多分」


 ちら、と美貴の姿をつま先から頭まで眺める和也。

「いや、湘南に遊びに来たバカップルあたりが妥当だな」


「なによそれ」

「お前さんから生活臭が微塵もしねえって話だよ」

「しない方がいいじゃない」

「どうだろうかな」


「ふうん」

 美貴は小さく溜息をついた。


 結局、和也は美貴に言われるまま、下着類とTシャツを買った。つまりこの先もずっと連泊しろってことなのだろう、と解釈した。


(まあ、この程度の出費ならいいか……。どうせ家にあるやつはみんなボロいから)


 ☆


 買い物が終わり、スーパーの駐車場で和也がバイクに荷物を収納していると、美貴の表情が妙に暗くなった。


「美貴、どうかしたのか? 具合悪いならそこのドラッグストアに」

「別にそうじゃない。そうじゃなくて――」

「何か言いたいこと、あるんだな」


 美貴はこくり、とうなづいた。


「私だって引越なんかしたくなかった。和也に会いに行きたかった。だけど、パパが浜松から出してくれなかった……」


「!?」


「あのね。私たちのこと、一番ジャマしてたのはパパだよ。引っ越した理由も、それだった」


「そんな……」


「元々パパは仕事で茅ヶ崎と浜松を行き来してたんだけど、あんな貧乏人の男と縁が切れれば儲けもの、と思ってたのよ。ひどい人よね」


「うそだ……。あんな可愛がってくれたのに」


「ただの子供ならそれでよかったのね。でも娘の婿となったらちがう。ってことだったんでしょ、きっと」


「まあ、お前んちの空気悪くなってからのこと、あんま聞いてなかったしな……」


「それでも、ママもあんまりパパと波風立てたくなかったから……。和也が浜松に来るぶんには、ママも送り出してくれてたんだけど」


「まさか、それとお前んちの離婚って関係はない……よな?」

「あるよ」

「マジ……なのか?」


「あんまりにも自分勝手なパパに、とうとうママの愛想がつきた。まあ、それだけでもないけど……」


「別に、言いたくなきゃムリに言わなくてもいいんだぞ」


 苦しそうな美貴の様子に、和也は少し不安になった。が、美貴はふるふると頭を振った。


「大丈夫。それで……自分の娘への仕打ちに、徐々にママの愛情が失せてきて……パパは浮気したの。それが決定打、かな。ま、自業自得よね」


「お、おう……」


「今はね。ママは和也とのこと応援してくれてる。ピザキャットにバイトに行ってる時も、がんばれって言ってくれてた。一緒に住んでもいいよって言ってくれてた。……べつに正社員にならなくたって、大丈夫だったのに。仲直りしてくれても、良かったのに」


 美貴が零した涙の雫を、和也は指でそっとぬぐってやった。


「それはお前が子供だから、そう思うんだよ。俺が職を失えば最悪ヒモだぞ。誰が娘と結婚させんだよ。ママさんはお前がかわいいから、そう言ったんだ」


「それは……わかんないけど。でも……」


 だからお前は――と言いかけて、和也はそれ以上を美貴に言うのはやめた。嫌われたくなかった。


 今はもう、将来も知れないただのバイトじゃない。

 自分は、未来への切符を手に入れたのだ。


「もう大丈夫だから。ずっと一緒だから」

 暮れ始めた駐車場の端で、和也は美貴をそっと抱き締めた。

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