昼を回ってお茶の時間になると、和也は出勤していった。
「じゃあ仕事行ってくるな。ちゃんと戸締まりしとけよ。晩飯はレンチンして食えな。デザートは俺の分残しておけよ。じゃあな」
「うん。いってらっしゃい」
――ちゅっ。
和也は軽くお出かけのキスをした。
「いってきます」
バタン。
機密性の高い分譲マンションのドアは、低い音を立てて閉じた。
「……。いっちゃった。……つまんない。荷物の整理でもするかぁ……」
あちこちの部屋に、まだ開梱していない引越の荷物が積んである。
美貴は自室のダンボールのテープを剥がしはじめた。
☆
数時間後――。
和也は美貴のマンションに戻ってきた。
「美貴ー。ただいまー。ふー、あちいあちい」
「おかえり~」
「はい、おみやげ」
和也はガ●ガリ君を差し出した。
「おみやげってアイス?」
「今し方、下で氷ノ山神社の神様に貰った」
「え、あの神様に?」
「買い物ついでに様子見に来たんだろ。コンビニ袋ぶらさげてたし。あ、お前、こっち引っ越してから薫ちゃんに連絡したか?」
「あ! してない……」
「ったく。気にしてたぞ」
「なんで知ってんの」
「こないだ会ったから。下で」
「下で?」
「俺がここに最初に来た日、駐車場で神様が熱中症で倒れてたんだよ」
「えええ……。神様でも熱中症になるんだ……」
「んでさ、自宅に連絡したら、薫が来たんだよ。巫女さんの格好してた」
「どういうこと?」
「薫ちゃんさ……、神様と結婚したって言ってた」
「なにそれ……」
「しらん。当人に聞いてくれ。俺、風呂入るからアイスは冷蔵庫入れといてくれ。出たら一緒に食おう」
「うん♥」
(あいつからアイスもらうの何度目だ? つか、あたりが出たら賽銭箱入れないといけないのか? めんどくせえなあ……。ま、そんときゃ郵送でもいいか)
☆
風呂から出た和也を、両手にアイスを掲げた美貴がリビングで迎えた。
「おつかれ~。はい、アイス」
「さんきゅ。ん、それなに?」
ソファー前のローテーブルに和也の視線が止まった。
大きい本のようなものが数冊置かれている。
「昼間引越の荷物を整理してたら出て来たアルバム」
「アルバム……か」(シャクシャク)「今日のアイスは梨味か。秋を先取り?」
美貴は和也の手を取り、ソファに座らせると、アルバムを開いて見せた。
「ねーねー、ほら子供の頃の写真」
「ああ、懐かしいな。うちはあまり写真撮ってなかったからなあ」
「これ中学の卒アル」
「うん。そういや見返したことねえなあ……」
「それでこっちが……高校の卒アル」
美貴の声がわずかに沈む。
「お、おう……」
「転校した先の学校のだから……和也、いない」
「そりゃそうだろ。いたらホラーだわ」
「そういう話じゃなくて!」
急に声を荒げる美貴に、和也は少し驚いた。
「すまん」
「和也と……一緒に思い出作りたかったなって……」
「…………引越は、不可抗力、だろ」
「同じ学校じゃなくても」
「――!」
同じ時を重ねることが出来なくなったのが、丁度その頃だった。
「あれから後、和也の写真が、ないの。なんでかな」
美貴の声が震える。
「それは……悪かった」
「別に責めたいわけじゃないの。ただ、……悔しいなっ、てだけ」
「済まない……でも、これからはずっと一緒だから、新しく思い出を作っていけばいいじゃないか。な? 湘南には写真を撮る場所なんていくらでもあるからさ」
「私は、あのとき一緒にいたかったんだもん。あの頃の思い出が欲しかったんだもん……」
美貴は両の目から、ぽろぽろと大粒の涙を零した。
和也は美貴の背を遠慮がちに撫でた。
「わ……悪かった。でも済んだこと言っても仕方ないだろ? そりゃ、俺だって何とかしてやりたいよ。だけど――無理じゃんか? なあ、これから取り返すんじゃダメなのか? 俺たちこの先、いくらでも時間はあるんだぞ?」
「だってぇ……」
とうとう美貴は啜り泣きを始めてしまった。
自分の言葉は届かない、とばかりに和也は慰めるのを諦めた。
「……あの頃を取り返すことが出来るんなら、何だって俺はやるさ。だけど、神様だって出来ないことを人間の俺が出来るわけないだろ……」
ボソボソと、まるで独り言のように呟きながら、和也はサッシ窓を開けてベランダに出て行った。
30分ほどして和也がリビングに戻ると、そこに美貴の姿はなく、アルバムは全て片付けられていた。
「俺にゃ、ムリなのかな……」
和也はぼそりと呟くと、リビングを出た。
美貴の部屋から話し声がする。ドアに耳を当てると、どうやら薫に電話をしているようだった。
ジャマをするのも気が引けて、和也はリビングに戻り、独りソファで眠った。