サイモンという男は、不思議な男だと海の神は思っている。
サイモンと一緒にいた男は神に愛されるのを当然としていたが、サイモンは違う。人と神の間を行き来する奇妙な存在。神よりは人に近く、人よりは神に近い。そんな魂を持つ人間。そんなサイモンを、海の神は奇特な人間だと思って見てきた。
(だからって、この状況を放置していくのは腹立たしいが)
「ちょ、サイモンさん!?」
「よそ見をするな、アリア! くっ!」
ガキィンッと甲高く響く音。グレアの爪がカイリのナイフを受け止める。ギチギチと嫌な音が響き、競り合う。間にいたアリアが「すみませんっ」と声を上げ、その場から抜け出した。
二歩ほど距離を取り、アリアが剣を構える。サイモンと同じ構えだ。走り出すアリアを海の神が見つめる。
(あの小娘、あやつの弟子か)
あの頑固で抜けている奴が弟子を取るなんて、中々に興味深い。獣人の方も染まりきっていないが、サイモンの動きが僅かに見える。
「あの小さかったやつがのう……」
「神様!? 何か言いましたか!?」
「いんや。何でもないぞ」
海の神はふるりと首を振ると、ゆっくりと立ち上がった。
さて。そろそろこの茶番も終わりにしなければならない。
海の神はじっとカイリを見る。操られている愚か者は未だにこちらに怒りを向けてきている。何を言われ、唆されたのかはわからないが、神の神域でこのような騒ぎを起こしてただで済むわけが無い。それは幽霊とて同じ事だ。
「……そなた、カイリと言ったか」
「あ? なんや。やっと自白する気になったか」
「阿呆。自白することなどありゃせんわ」
「なんやと!?」
「そんなことより、お主、何を見せられたんじゃ?」
アリアの剣と交わったナイフを振り払い、カイリは海の神を睨みつける。怒りに沸いた顔が恐ろしい。
「お前に話すことは何もあらへん!」
「まあまあ、そんなことを言うでない。妾はどんな事でも受け入れるぞ?」
「やかましいわ! 邪神に話すことなんかあらへんって言うとんねん!」
「あ゛ぁ?」
(じゃ・し・ん・じゃとぉぉおお~~???)
プチッと頭の奥で線が切れる。
まさかそんなものと一緒にされているとは思わなかった。
ドドトドと重い音が響き、城が揺れる。神域が揺れ、周囲の空間がざっぱざっぱと蠢く。まるで嵐の海の中にいるかのようだ。
驚いた声が宴会部屋から、廊下の先から、門の前から、聞こえてくる。
「きゃあっ!?」
「っ、んだよコレ……!!」
「すまんのぅ、二人とも。ちょーっと我慢しててくれんか?」
「は?」
「ほら。――失礼なクソガキには、分からせてやらんといけんじゃろ?」
にっこりと微笑む海の神に、アリアとグレアはひゅっと息を飲んだ。ずぞぞぞっと嫌な悪寒が二人の体を這い、頬を引き攣らせる。……分かっていたけど、神様を怒らせるのはやめた方が良さそうだ。
「……カイリと言ったか。よくも妾を邪神なんぞと同じ扱いにしよったな」
「っ、な、なんやねん! 事実なんやから別にええやろ!」
「良くないッ!!」
ダンッ! と海の神が足を地面に叩きつける。瞬間、どこからともなく雪崩るように波が流れ込んでくる。
(こうなったら、本物の神の力を見せつけてやる!)
ザバァン! と大きな波が城を包み、ミシミシと周囲が音を立てた。
「きゃあああ!」「うわあああああ!」と悲鳴が至る所から聞こえてくる。何かが破裂した音が響き、灯りが消えた。全てを飲み込まんとする大波がアリアたちを飲み込む。グレアが柱を掴み、アリアを掴む。獣人の力ですら容易に流されてしまいそうな状況に、海の神は気づかない。
(絶対に許さん!)
自分が邪神なんかとは違うことを、とことん教えてやらねば気が済まない。
海の神が再び足を鳴らすと、至るところから竜巻が生まれる。門の前で警備していたはずの巨大カニ達が、料理をしていた巨大シュリンプが、給仕係のナマズ達が、次々に舞う。
(このまま神域外まで吹き飛ばしてやろうか)
「ちょっ、海ちゃぁん!? 何をしていらっしゃるんですかぁっ!」
「何って仕置きをしておるんじゃ! 妾を邪神扱いしよって、このクソガキ!」
「んんんん! よくわかんないけど、みんなを粉々にするつもりですぅ!?」
宴会場の襖にしがみつくマリンが叫ぶ。
失礼な。そんなことはせんわ。……多分。
彼女の必死な声に海の神はムッと口を尖らせる。少しだけ冷静になった視界で周囲を見回せば、至る所で流されそうになっている使用人達が見える。マリンも必死にしがみつき過ぎて長い爪が襖を貫いている。腕だけじゃ限界が近いのか牙まで立てており、いつもの美貌が見る影も無くなっている。
「むむむ……」
ぐぐぐっと眉を寄せる。せっかく神としての力を見せつけてやろうと思っていたのに。
僅かに力を弱めれば、大きな竜巻が消滅する。落ちてくる使用人達を波で受け止めれば、使用人達はほっとした顔をする。引いていく波の中から壊れた珊瑚の灯籠や割れた皿や酒瓶、上にあったはずの提灯がボロボロの状態で姿を現す。さっきまで綺麗だった廊下は見事にゴミの巣窟と化していた。
その中にカイリの足が見える。幽霊とはいえ、神の力には勝てなかったのだろう。いい気味だ。
「ありがとうございます、グレアさん」
「っ、いや」
ブルルッと身を振るグレアに、アリアが濡れたまま笑いかける。飛ばされずに済んだ二人に(そういえばいたな)と海の神は呟く。頭に血が上っていたから、つい彼女たちの存在をすっかり忘れてしまっていた。でも流されていなかったようでよかった。お陰でサイモンに謝らずに済む。
未だ波打つ空間を、海の神はズンズンと歩いていく。カイリの足をむんずと掴み、引っ張り上げる。重さを感じない彼は突然流されたことに驚いたのか、ぐるぐると目を回している。
「フン。妾が邪神なんかとは違うということがよくわかったじゃろ」
「うぅ……」
「んー。ねぇ、海ちゃん」
「なんじゃ、マリン」
フラフラと近寄ってきた彼女に視線を向ける。というかさっきも思ったが〝海ちゃん〟ってなんじゃ。
「言いにくいんですけどぉ、たぶん、今のじゃジャシン?の疑いが強くなっただけじゃないかなぁーって、あーしは思うんですよねぇ」
「な、なんじゃと!?」
マリンの言葉に驚く。……まさか。いや、そんなはずは。
「だってぇ、ジャシンってこう、害を出すっていうかぁ? 悪いことをするイメージがあるじゃないですかぁ。まさに今の海ちゃんがピッタリかなって!」
「ぴ、ぴったり……?」
ガーン、とショックが頭の上に落ちて来る。
ゆっくりと後ろを振り返れば、アリアとグレアの二人と目が合った。びしょびしょではあるが、怪我もなさそうだし、何より生きている。相手が本当の邪神だったら死んでいるはずだ。それをマリンに説明するが、彼女は「いやいや、あんまり変わんないですってぇ~」と笑った。変わらないなんて、心外である。
助けを求めるようにアリア達へと視線を向ければ、サッと視線を逸らされてしまった。無言の肯定に、ショックは更に深くなる。
(な、なぜだ……!)
妾は確かに神としての力を示した。邪神じゃこんな強い力、安定して操ることはできない。
邪神は神とはいえ、その多くは出来損ないが多いのだから。それに加え、自分の力は完璧だ。それなのに、なぜ。
「城もあちこち壊れちゃったし、あーしたちに無断で力使ってるしぃ? 正直こわいっていうかぁ?」
「む……。これでも手加減はした方だぞ。むしろこんなもので流されるお前たちが軟弱なんじゃないのか?」
「そんなこと言ってるからみんなに怖がられちゃうんですよぉ。ごめんなさいって素直に言えばいいのにー」
「うっ」
眉を寄せるマリンに、言葉が詰まる。
「よ、余計なお世話じゃ」と告げれば「別に、あーしはいーですけどねー?」とマリンが言う。
「で、でもアリアたちは流されんかったぞ? やはりお主たちの鍛え方が――」
「英雄サマに鍛えられた人たちと一緒にしないでくださいよー」
「そ、それは……」
「あ、ネイル剥がれちゃってるぅ。せっかくおニューだったのに、海ちゃんのせいですよぉ」
「え、あ、す、すまん……?」
「今度可愛いネイル一緒にしてくれたら許しますぅ~」
「えぇ……」
ニコニコと楽しそうなマリン。……ネイルなんて言われてもわからないのに、不思議と罪悪感が込み上げてくるのは何故なのか。そして彼女の誘いを断れない理由とは。
(……いやまあ、予告せずに力を使ってしまったのは悪かったとは思っとるけど)
だからってネイルをやる必要はあるのか? というかなんかすごいフレンドリーじゃないか? 我神ぞ?
掴んでいたカイリの足がぴくりと動く。どうやら目が覚めたようだ。とりあえず考えるのは後にしよう。
キョトンとしているカイリを見下げ、海の神は鼻を鳴らした。さっきまで纏わりついていた嫌な魔力が無くなっている。どうやら気を失った衝撃で正気に戻ったらしい。
(呆気ないのう)
まあでも、中々戻らなくて変に痛めつけることになるよりは、断然マシだ。
カイリは今の状況が理解できないようで、瞬きを繰り返していた。そんな彼を見下げ、海の神は「大丈夫か?」と声を掛けた。