燃えるような赤い髪が揺らめき、サイモンはハッとする。
「何をしているんだ!!?」
声を上げ、サイモンはカイリの肩を突き飛ばした。ナイフの柄から手を離したカイリが突き飛ばされた勢いのまま、後ろに倒れ込む。手から離れたナイフがカランと床を滑っていく。赤い血が引きずられ、床に痕を残した。海の神の腹からは夥しい血が流れており、サイモンは舌を打った。
(くそっ、貫通してやがる……!)
内臓を損傷しているのだろう。海の神の顔が真っ青で、意識が朦朧としているのがわかる。人間なら致命傷だ。
「おいっ、大丈夫か!?」
「っ、うる、さい……叫ぶで、ない、わ」
「わ、悪い」
途切れ途切れに聞こえた彼女の声に、サイモンは口を押える。痛みに訴えた顔は大きく歪んでいるものの、意識ははっきりしているらしい。
サイモンはゆらりと影が動くのを感じる。カイリが立ち上がり、サイモンたちを――否、海の神を見ている。その視線はまるで獣の様でサイモンは眉を寄せた。
(正気を失っているのか?)
どちらにしろ、神にこんなことをしてただで済むとは思わない。
「サイモンさん!」
「アリア! グレア!」
「下がってろ!」
騒ぎを聞きつけたアリアとグレアが、カイリとの間に立ち塞がる。アリアは剣を構え、グレアは半分を獣の姿に変えて鋭い牙と爪をむき出しにしている。臨戦態勢を取る二人にサイモンはほっと息を吐き、二人の背中越しにカイリを見た。
さっきまでの彼とは全く違う。
殺意しかないかのように真っすぐサイモンたちを見るカイリの目は、獲物を定めた獣のようだ。意思も感じないその様子は、まるで意識を乗っ取られているんじゃないかとすら思ってしまう。頭を過る乗っ取られたヤコブの姿に、サイモンはハッとする。
(! もしかして)
――カイリも、何かに操られているのか?
「っ、サイモン、気を緩めるんじゃないぞ……っ」
「!」
「あやつを操っている術者、相当な手練れだ」
海の神の言葉に、サイモンはカイリを見る。サイモンには操っている人間の魔力の種類や強さはわかるが、元の魔力量まではわからない。だが、神である彼女にはわかるのだろう。
(海の神がいうなんて相当だぞ)
そんな人間が、何を目的にカイリを操っているのか。そもそもここは海の神の神域で、下手な人間は出入りが出来ないはずだ。
「俺たちの仲間を……許さへん……」
「っ、カイリ! お前の仲間を凍らせたのはこいつじゃ――」
「煩いッ!!」
響く声がびりびりと神経を揺らす。
顔を真っ赤に染めたカイリは、獣のように荒い息をしている。
「そいつは嘘を言っとるんや! 俺はわかっとるんやぞ!」
「嘘? どういうことだ?」
「とぼけんなや! 俺たちのこと凍らせておいて、本当は笑ってたんやろ!?」
「落ち着け、カイリっ」
「俺は見たんや! お前が楽しそうに笑ってるところ!」
「カイリさん!」
「お前らも本当は仲間やったんやろ!? 俺を騙して、さぞ楽しかったやろうなァ!」
仲間? 騙す? ――一体何の話だ。全く心当たりがない。
怒りに染まった目をしているカイリに目を細める。握りしめた拳がワナワナと震えて、怒りを必死に抑え込んでいる。心底苛立っているのだろう。しかし、サイモンはそれよりも気になることがあった。
(見たって、どういうことだ?)
二人が出会ったのは今日が初めてのはず。見ていた、なんて今更言われても信じられない。
怒りに任せたカイリがナイフを手に取る。アリアとグレアの警戒が跳ね上がった。
「邪魔や! 退け!」と声を荒げ、二人に斬り掛かる。アリアが剣で受け止め、受け流す。グレアがカイリの首を掴もうとして、手が空を切る。そうだった。相手は幽霊。触ることができない。触ることができるのは、主人であるアリアのみだ。
「っ、グレア!」
「うぉっ!?」
カイリの足がグレアの顔の横スレスレを掠める。風が頬を切り、グレアの頬に赤い線がつく。
「っ、!」
「大丈夫か!?」
「単なる擦り傷だ。気にすんな」
グレアは獣化した腕で血を拭うと、カイリを見据えた。ナイフを握り直したカイリは、未だサイモンたちを睨みつけている。立ちはだかるグレアやアリアには興味がないのだろう。恨みに焼かれた視線が突き刺さる。
カイリが姿勢を低くしたのを見て、アリアが特攻をかけた。しかし、あっさり避けられてしまう。
「おっと、あっぶねー。ご主人サマまで何すんねん」
「っ、サイモンさんたちに近づかないでください!」
「はぁ? あー、そりゃあご主人サマのお願いでも聞けへんなぁ」
さっきよりも少し落ち着いた様子で話すカイリ。だが、そう簡単にはいかないらしい。首を縦に振らないカイリに、アリアが眉を下げる。
(アリアでもダメか)
主人であるアリアの言葉なら聞くかと思ったが、どうやら甘かったらしい。
カイリはアリアとグレア相手に上手く立ち回っている。思った以上に動きが軽い。しかもアリアのように型にハマった動きではなく、海賊らしい破天荒な動きで二人を翻弄している。グレアはなんとか喰らいついているようだが、アリアは苦しい表情をしている。もしかしたらアリアよりもグレアの方が適任かもしれない。
(なんて、解説してる場合じゃないな)
さっさと二人に加勢できるようにしないと。
「海の神、動けるか?」
「っ、ああ。問題ない」
ぐっと起き上がった彼女は未だ青い顔をしている。だが今の時間で止血は終えたらしく、ドクドクと脈打っていた腹は今はなんともない。海の神はカイリを見つめると、ため息を吐いた。
「まったく。人は本当に愚かじゃのう」
「そう言うな。それでもこっちは必死に生きてるんだ」
「ははっ。それは人間としての意見か?」
愉快そうに笑う海の神。サイモンは「そう思ってくれていいぞ」と告げつつ、海の神を地面に下ろした。彼女はピンピンした様子で立ち上がると、穴の空いていた腹を撫でる。「せっかくの馳走が勿体無い」と肩を落とす海の神は、心底残念そうにしている。どうやら穴が空いたのは胃袋だったらしい。
「サイモン」
「ああ、わかってる」
海の神に、サイモンは立ち上がる。軽く服についた埃を払い、カイリを見た。破天荒な戦い方をするカイリではあるが、流石に二体一はキツいらしい。
(このままでも二人ならゴリ押しで行けそうだな)
加勢しようと思っていたけど、その必要は無さそうだ。サイモンはカイリを二人に任せ、操っている人間を見つけることに思考をシフトする。ついさっきまではいつも通りのカイリだったのだ。掛けた人間はこの近くにいるはずだ。
「サイモン、あやつらのサポートは妾に任せて、お主は術者を探しに行くがよい」
「わかった。頼むぞ」
「はっ、誰に物を言っておる」
「早く行け」と海の神に言われ、サイモンは駆け出す。鍔迫り合う三人の上を飛び越えれば、三人があんぐりと口を開ける。
「サイモンさん!?」
「二人とも! そいつの足止め、任せたぞ!」
「「えっ!?」」
二人の素っ頓狂な声が響く。サイモンは振り返ることなく走り抜けた。魔力の糸を辿れば、外へと繋がっている。
(一気に片をつけるか)
サイモンは走る勢いのまま方向を変えると、手摺を飛び越えた。アリアたちの驚いた声が響く。サイモンはそれらを背に、カンカンカン!と瓦の上を駆け抜ける。ガタガタの屋根は走りづらいが、思っていたよりはマシだ。
サイモンは屋根を更に降り、下の屋根を賭ける。料理を運んでいた鰻達が驚いているのを横目に、サイモンは近くの珊瑚に飛び移った。
その姿を見ていた者たちは、口を揃えてこう言ったという。
「おとぎ話の忍者は実在していたんだよ!」と。