「うおっ!?」
突如蠢く波に、サイモンは驚いた声を出す。
(凄いな)
海の神のせいなのか、神域が大きく波打っている。まるで海の中で海の様子を見ているかのような感覚だ。小さくてもさすが神様だ、と言ったところだろう。
まさかカイリが怒らせているなんてことは露知らず、サイモンは魔力の糸を辿っていく。
細く黒い糸は、カイリの首元から巧妙に隠され続けている。時折見失いつつも、サイモンはほとんど予測と経験でそれを追っている。
『術者ならこう隠すだろう』という憶測は思いの外当たっており、思わず術者との相性の良さを意識してしまう程だ。
思考が似通っていると、隠し方や場所などがわかりやすい。サイモンは糸を辿り、竜巻が起きている中を一人、走り抜けた。
(なんか、凄いことになってるな)
周囲に出現した竜巻が、珊瑚や貝殻、宙を泳ぐ魚たちを巻き込んで上空へと上がっていく。背後に襲い来る竜巻に気づいていない門番――巨大ガニ兵士にサイモンが声を掛けようとするが、それよりも先に上空へと吹き飛ばされてしまった。
(……アリア達は大丈夫なのか?)
サイモンは重力魔法を掛けることでこの状況を凌いでいるが、アリアもグレアも重力魔法は使えない。火で対抗するには限度があるし、光魔法で役立ちそうなものは……特にない。
可能性があるとして、グレアの獣人としての力だろうか。
獣人の並外れた力に、ハイイロオオカミ族特有の魔力操作の高さを重ね合わせれば、対抗出来るかもしれない。
まあ、そもそも本人ではなく、サイモンの仲間だ。弟子であることも知っているし、手荒な真似はしないだろう。
「……しないよな??」
……心配になってきた。
サイモンは慌てて振り返ると、アリア達がいる場所に目を向ける。しかし、竜巻と流動する空間の並に阻まれて上手く見えなかった。
(とは言っても、魔力は依然として感じるし、アリアの悲鳴が聞こえた訳でもないしな……)
海の神は任せろって言っていたし、大丈夫……だろう。今は信じるしかない。
「っ、と。そろそろ近いか?」
サイモンは竜巻の間を器用にくぐり抜けながら、走る。サイモンの背丈ほどもある珊瑚を掻き分け、魔力の糸を辿る。
(無駄に広いな)
こんなに広い理由はあるのか? そんなことを聞いたら『威厳が~』とか言うのだろう。あの小さな神は意外とそういうことを気にするのだ。
そんなことを考えていれば、突然魔力の糸が伸び始めた。
「!」
キリキリと音を立てて糸が細くなっていく。
(切れる……っ!)
どんどん細くなっていく糸に、サイモンは慌てて手を伸ばした。
(本当は術者にバレないように行きたかったんだが)
こうなったら仕方ない。
サイモンは魔力の糸を掴み、魔力を注ぎ込んだ。
逆流してくる魔力に驚いた糸が魔力の競り合いに大きく膨れると、黒い糸が瞬く間に白く染まっていく。サイモンの魔力が競り合いに勝ったのだ。
みるみる白く変わっていく糸。相手もそれに気づいたのか、無理矢理糸を引き千切ろうとしてくるが、サイモンの魔力が強引に繋ぎ止める。
「っ、逃がすか!」
サイモンは糸に魔力を注ぎ続ける。逃げようとする魔力を追い、同時にサイモン自身も足で追いかける。
色とりどりの珊瑚のトンネルを潜れば、見えた光景に足を止めた。
(こ、こは……)
――サイモンの眼前に広がっていたのは、凍りついた人々の塊だった。
(ここ、廊下から見たところか?)
随分と遠くまで来たものだ。
凍らされた人達は、一様に悲壮に叫んだり怒った顔をしている。三十は軽く超える数だ。
(カイリ曰く、意識はあるんだよな)
確かに、中から僅かに微弱な魔力が燻っているのがわかる。とはいえ、注意していなければ見逃してしまいそうなほどだ。
サイモンたち魔法使いとは違って、一般人は魔力は持っていても感じ取れるギリギリの量しかない。それを感じ取れるのも、サイモンたち魔法使いだけなのだ。
「美しいでしょう?」
「!」
バッ!
勢いよくサイモンが振り返る。そこに居たのは黒いローブを来た一人の青年だった。
「初めまして、サイモン副師団長。ずっと、お会いしたかったです」
そう言って笑う青年に、サイモンは眉を寄せた。
右側の黒い髪を掻き上げた男は、勝気な笑みでサイモンを見ている。
「誰だ?」
「これは失礼いたしました。会えたことが嬉しくて。――私の名前はラード・シュタンズ。元スクルー王国騎士団第五部隊、副隊長を務めていました、ラードと申します」
「!!」
(ラード・シュタンズだと……!?)
ニコニコと笑みを浮かべる男を見て、サイモンは警戒レベルを引き上げた。それを感じ取ったのか、男――ラードは「そんなに身構えないでくださいよ」と笑う。
「俺、サイモンさんを尊敬しているんですから」
「……この状況でよくそれが言えたな」
ヤコブの直属の部下であり、フクロウの森でヤコブを操る種を撒き、大地の神に仇なそうとした男。そして今度はカイリを操り――海の神を殺そうとした人物。
(宗教団体と繋がりがあるとは思っていたが、まさか団員になっているとはな)
そそのかされたのか、本人が自ら入ったのかはわからないが、ここにいるということはほとんど黒なんだろう。ニコニコと浮かべている笑顔も怪しい。
「それに、何故俺がサイモンだと思うんだ? 別人だったらどうする? 会うのは初めてだろう」
「そりゃあ、曲がりなりにも騎士団に所属していましたから、五大英雄の方々の事は知っていますよ。食堂には五大英雄と幹部の写真がずっと飾られていましたし」
「……あれ、やめてなかったのか」
スクルードに何度もやめろと言っていたのに。あの馬鹿。
(他に変なところに飾ってないだろうな)
王都の城の中を思い出しつつ、サイモンは頭を抱える。とにかく、王都に着いたら速攻写真を回収しよう。
「活躍に関してはヤコブ隊長が事あるごとに話していたので、覚えているんです」
「あの馬鹿……」
「でも、さっきも言いましたが、俺はサイモン副師団長を尊敬していますから。お二人の事が無くても知っていました。憧れの人に会えてうれしいんです! なのに警戒されたら悲しいじゃないですか!」
急に捲くし立てたラードは、眉を八の字にする。
しょんぼりと肩を落とした姿は、まるで大型犬のようで。彼の特徴を聞いた時にヤコブとトトが口を揃えて『人懐っこい』と言っていた理由が分かった。
(こりゃあ長々と話していたら絆されるな)
不思議な吸引力を持つ人間は一定数居る。彼はそのタイプだ。そういうタイプは話を出来る限り引っ張らない方がいい。
「残念だが、俺は君を知らないし、話したこともない人間に気を使えるほど、出来た人間じゃないぞ」
「いいんです、そんなことは。それよりも俺にとっては、お会いできたことの方が需要なんです!」
「そ、そうか」
「そうですよ!」
にこやかに笑うラード。屈託のない笑みに、悪い気はしない。
(って、そうじゃないだろ!)
やっぱり絆されそうになって、サイモンは慌てて首を振る。和んでしまった空気を振り切り、再び思考を回す。
(考えるのを止めるな)
サイモンはこの状況を一度冷静になって振り返る。
カイリが海の神を刺し、カイリを操っていた奴を炙り出すため、ここに来た。見つけたのは、凍らされたたくさんの人間たちと、この男。
一見硬派そうな真面目な印象を受ける彼だが、回りくどいことをしているのを見る限り、一筋縄でいくような人間じゃないはずだ。
(隠れていればいいのに、わざわざ姿を現したのは……)
サイモンはちらりと視線を横にずらす。
氷漬けにされているのは、何も人間だけじゃない。小さな船の先端の後ろ――そこに、カイリを操っていた奴の魔力を感じる。
「……さすがサイモン副師団長。やっぱりこんな小手先じゃ通用しませんよね」
「もう師団長じゃない。それに、わかっているなら大人しく投降した方がいいぞ」
「すると思います?」
「さあ。知らないな」
サイモンの返しにラードは「つれないですね」と笑う。ひょうひょうとした様子に、仕掛けた側であるはずのサイモンも眉を寄せる。
ラードはサイモンが話を逸らす気はないと悟ったのか、後ろを振り返った。「出てきていいぞ」と声を掛けると、氷の船の向こうから出てきたのは――黒いローブを被った、ひとりの少女だった。
(アリアと同じくらいか?)
見える髪は明るい金髪で、少し緑色が掛かっている。髪は短くショートカットで、耳元の髪だけが少し長い。前髪は眉が見えるほど短く、首元にはマントと同じ黒いチョーカーが付けられている。
髪よりも少し緑が強い瞳は、じっとサイモンを値踏みするように見つめている。そして何より目を惹くのは、手元にある――――
「……水晶?」
「さすが、五大英雄の頂点に君臨するお方ですね」
「英雄は関係ないだろ」
「そんなことはありません! 俺たちの世代でも、五大英雄の皆さんに憧れている人間は多いんですよ! 俺含めですけど」
「そ、そうか」
つらつらと並べられる誉め言葉の羅列に、サイモンは内心戸惑っていた。ここまで大手を奮って尊敬していると言われるのは久しぶりだったからだ。
(何よりこいつ、敵意が全く感じ取れない)
敵側として立っておきながら、ラードはサイモンに対して全く敵意を持っていない。それが余計にサイモンを混乱させる。
「俺がどれだけサイモン副師団長を尊敬しているか、ここで細かに語りましょうか!?」
「ああいや……そんなことより、俺はお前たちがカイリを操ってまで海の神を殺したがった理由を聞きたい」
興奮し、身振り手振りで話すラードに、サイモンは強引に話を進めた。このままじゃ今度こそ飲み込まれてしまうと思っての事だったが、それはラードにとって不快な事だったらしい。
突然動きを止めた彼は、顔から表情を削ぎ落とすと無心の目でサイモンを見つめた。しかし、それは一瞬で笑顔に飲み込まれた。
「そんなことって、ひどいですね。まあ、こうなるってわかってましたけど」
「……」
「どうかしましたか?」
にこり。
笑みを浮かべる彼に、サイモンは頭を掻く。
(どうかしたかって……目が笑ってない奴に言われてもな)
それを聞きたいのはこっちのほうだ。さっきまで人懐っこい、屈託のない笑みを浮かべていたのに。
でも聞かない事には状況は進まない。
どうしてここにいるのか。
どうして神を敵に回すことをしたがるのか。
どうして、騎士団を、魔法省を――スクルードを、裏切ったのか。
聞きたいことは山のようにある。
サイモンが彼の心中を測りかねていると、ラードはうーんと唸り出す。顎に指を当てる。
「話すのは良いですけど、その代わり、俺のお願いを聞いてくれませんか?」
「お願い?」
「はい」
ニコニコと笑うラード。嫌な予感がするのは気のせいだろうか。
伸ばされる手が、握手を求めるように差し出される。
「サイモン副師団長。俺と一緒に行きませんか?」
「……は?」
「〝アヴドゥッラーフ教〟に入ってください」
まるで呪文ような言葉に、サイモンは素っ頓狂な声を上げる。
聞き間違いかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。真っすぐ見つめて来る視線に、サイモンは込み上げる悪寒に身を震わせた。