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第85話

突然地震が起きたと思ったら波が襲いかかり、一悶着あって落ち着いたかと思ったら今度は地面から氷柱が生えてきた。

……なんて言って、信じてくれる人はどれくらいいるんだろう。


「ご主人サマ! 大丈夫か!? 生きとるか!?」

「は、はい。何とか……」


伸ばされる手を取ろうとして、手がすれ違う。半透明なカイリの手を見て、アリアは彼には触れられないことを思い出した。


「す、すまん……俺、触れへんの忘れとった」

「い、いえっ! その、こちらこそせっかく手を伸ばしてもらったのに掴めなくて……」

「いや、ご主人は悪くないで!?俺が――」

「オイ! そこで無駄にイチャイチャするんじゃねェ!」

「「イチャイチャなんてしません/してへんわ!!!」」


失礼なことを言うグレアに、アリアは思わず声を上げる。


「冗談だろ」

「こんな時に冗談はいらないです! それより、助けてください!」


顔を真っ赤にして首を横に振るアリアに、グレアは仕方ないと言わんばかりの顔で見上げて来る。そんな顔で見られても、打ち上げられてしまったアリアにはどうすることも出来ない。

氷柱が床を貫いてきたのは、数秒前。

突如地響きがし、床が壊された。姿を現したのは氷の柱だった。


「皆の者! 全員逃げろ!!」

海の神が叫ぶ。反射的に足をふみだせば、床がメキメキと音を立てた。

氷柱が姿を現し、アリアを貫こうとする。咄嗟に避けたお陰で逃げることは出来たが、服が引っ掛かってしまったアリアはそのまま上へと打ち上げられてしまったのだ。

アリアはグレアに手伝ってもらい、下ろしてもらう。複数の氷柱に貫かれた廊下はもう使い物にならなさそうだ。


「皆の者! この橋はいずれ崩れるだろう。その前に安全な場所へ退避せよ! 警備兵は追撃を警戒しつつ、皆を安全な場所へ送り届けるのだ!」

「「「「はっ!」」」」


宴会に来ていた兵士たちが声を揃え、礼をする。一切乱れのない行動にアリアは唖然とする。

(すごい……)

その中には先程案内役をしてくれた巨大ガニ兵士もいる。大きなはさみを頭の上に掲げている様は、サイモンにいじられていた姿とは思えないほど凛々しい。

バタバタと動き始める周囲に、アリアは自分も何か出来ないかと周囲を見渡した。このまま何もしないなんて、アリアのプライドが黙っていない。


「海の神様っ、私は何をしたらいいですか!?」

「えっ? そうじゃのう……」


顎に手を当て、斜め上を見上げる彼女。彼女が考えている間にも、周りの人達はどんどん動き出していく。アリアの心に焦燥感が溜まっていく。


「うーん。お主たちはサイモンの弟子じゃしのう……」

「わ、私何でもやりますよ! 避難誘導でも、雑用でも!」

「いやいや。客人にそんなことさせられるわけ――」


ふと、海の神が言葉を止める。

頭上を見上げた彼女に釣られるように、海面を見上げる。

見えた巨大な黒い槍に、アリアは目を見開いた。


「総員! 伏せろ!!」


海の神が叫ぶのとほぼ同時に、黒い槍が落下する。


「「アリア!!」」

「!!」


グレアとカイリの声が重なる。しかし、槍の速度は彼等を凌駕する。

僅か1秒にも満たない速さで落ちてくる槍。アリアは鋭い先端をスローモーションのように感じていた。

あと一メートルもない距離。周りの声も景色も遠ざかった世界で、アリアの足は縫い付けられたようにその場から動けなかった。

(死――――)


ガキィン!!


「ッッ、!!!」


鼻先三十センチ。黒い槍の先端がアリアを貫く二秒前。

アリアと槍の間に現れたのは、透明な壁だった。

派手な音と衝撃に驚愕したアリアが言葉もなく仰け反る。たたらを踏み、その場に腰を落とした。

(い、いま、なにが……っ)


「アリア! 無事か!?」

「ご主人サマ、生きとる!?」

「う、うん……」


震えるアリアの元に、グレアとカイリが駆けつける。二人に支えられながら、アリアは目の前で起きたことを理解しようとした。


弾かれた黒い槍が廊下に刺さっている。アリアの三倍はありそうな槍。感じる魔力は禍々しく、アリアは身震いをした。

(こんなに怖い魔力は初めて……っ)

怖い。今まで出会ってきた魔法使いのサイモンやトト、ヤコブたちとは全然違う。恨みと嫉みを煮込んだような、おとぎ話の魔女のスープを纏ったような魔力だ。


「うっ」

「こら。あんまり見るでない」


海の神がアリアの目を塞ぐ。


「心清きものに邪悪な魔力は毒じゃ」

「邪悪な魔力って……」


アリアは槍から目を外し、海の神を見上げる。


「どうやらサイモンが追いかけた者の中に闇の魔術を使う者がいるらしい」

「闇の魔術?」

「闇属性の魔法の中でもより深淵に位置するのが闇の魔術じゃ。光と違って闇の魔法は危険なものが多いからのう」


闇の魔法。

アリアも聞いた覚えがある。

魔法の種類は基礎となる五つの属性と、それに属さない二つの属性が存在する。その二つが、光と闇なのだ。

アリアは光魔法を少しだけ使うことができる。しかし、闇魔法は得ようと思って得られるものではないと、サイモンは言っていた。闇の魔法を得るには、素質と確かな知識が必要になるのだと。

(サイモンさんなら大丈夫だとは思うけど……)

アリアは少し心配になってくる。もし闇の魔法を使うことができる人間がサイモンと対峙しているのであれば、危ない目にあっているかもしれないのだ。


「あのっ、サイモンさんは無事なんですかっ?」

「ああ。あやつはまあ……大丈夫じゃろう」


「さっきのもサイモンの結界じゃったからのう」と海の神は笑う。

(そう、だったんだ……)

アリアはサイモンが駆けて行った方へと視線を向けた。視界に入る位置にサイモンの姿はない。しかし、彼が気づいてくれたことが嬉しかった。

(さすがサイモンさん)


「それより、今の攻撃はアリアを狙ったように思える。早く逃げたほうが身のため――」


海の神の言葉が終わる直前、巨大な槍がカタカタと動き出す。埋まっていた切っ先が外れ、巨大な槍がひとりでに動き出す。


「ひっ!」

「“アスピダ・ネロゥ”!」


ガキンッと甲高い音が響く。海の神の結界で弾かれた槍が宙でひっくり返る。数回回転した槍は再びアリアに狙いを定めた。


「「「!!」」」


(追ってくる……!)

アリアは槍を避けると、追いかけてくる槍に顔を青褪めた。

「追尾魔法もかかっておるのか!?」海の神が驚く。その間も、アリアには槍が一直線に迫っていた。剣を抜き、槍を受け流す。しかし、衝撃は予想以上のもので、腕が痺れてしまった。剣が手からこぼれ落ちる。たった一回でこの有様じゃあ、受け流し続けるのは無謀だ。


「アリア! 背中に乗れ!」

「グレアさん!」


半分獣の姿になったグレアが叫ぶ。獣の姿に変わりながら走ってくる彼にアリアは手を伸ばした。

速度を落とさずグレアの背に乗り込んだアリアの横を、槍が通り抜ける。アリアの頬が切れ、赤い筋が走った。


「グレアさん! 逃げるなら外に!」

「ガフッ!」


わかってる、と吠え、グレアが方向を変える。このまま走っていたら避難した者たちが被害にあうかもしれない。それはだめだ。

グレアは大きな柱を蹴り上げ、下の屋根に飛び降りる。槍が瓦に突き刺さり、派手な音を立てた。瓦の欠片がアリア周囲に飛び散る。屋根を駆け抜けるグレア。風を切るようなスピードにアリアは身を低くして、灰色の毛にしがみついた。

(どうしよう……!)

驚くほどの速度で逃げていても、槍は都度襲い掛かってくる。時郎、海の神が弾いてくれるが、それでも槍は威力を落とさない。グレアが避けながら走ってくれているが、いつまでもこのスピードが続くとは思えない。それに槍の威力は絶大で、ボロボロの城がさらに壊れてしまう。

アリアの脳裏に、竜宮城に住む者たちの顔が過る。宴会という短い時間だったが、彼らが生き生きとしている姿は、アリアにとって特別なものだった。

(みんなを守るためにも、私がなんとかしなくちゃ……!)

狙われているのは自分自身。最悪、自分が囮になればみんなを救うことはできる。けれどそのあとは? 自分はどうやって逃げればいいのだろう。

(せめて、サイモンさんに魔法鑑定を教えてもらっておけばよかったっ)

そうすれば、相殺できる魔法をかけることもできたかもしれないのに。


「アリア!」

「!」


海の神の声に、アリアは顔を上げる。彼女は声を水に反響させ、アリアに語り掛けていた。


「追尾魔法には限界がある。お主はとにかく逃げるのじゃ。その間に皆を安全な場所に避難させる。なに、城のことは気にするな。元々この城にも飽きてきておったところでな、リフォームしやすくなったと考えれば、むしろ儲けものじゃ」

「海の神様……」

「だから、決して己を囮にしようなどと思うんじゃないぞ。グレアもじゃ」


二人は息を飲む。思考が読まれていたのか。それとも彼女が二人をよく理解していたのか。どちらにせよ、彼女の言葉はアリアたちにとっては効果覿面だった。

(追尾魔法には、限界がある)

つまり、槍の魔法が切れるまで逃げ切ればいい。単純かつ、明確だ。

「妾も援護する」海の神の言葉に、アリアは心強さを感じた。


「グレアさん、行きましょう!」

「グルルル」


グレアの喉がなる。走る速さが増し、二人は城中を駆け回った。







アリアは槍の方向性を逐一報告しつつ、グレアに逃げる先を示す。そうして駆け抜けること、数分。

グレアは疲れた様子も見せず、城の屋根をあちらこちらへ飛び移っていた。一度サンゴの中に逃げ込んだが、槍は真っすぐアリアたちに向かって飛んできた。迷いもなく、一直線に。

反対にアリアたちは視界の悪さに槍の位置を見失いそうになっていた。サンゴの中の方が見つかりにくいと思っていたが、どうやら逆効果だったらしい。気づいてからはできる限り見晴らしのいい場所を駆け回っていたのだ。


「まだっ、終わらないの……っ!?」


アリアは苦しそうに吐き捨てる。グレアの走るスピードはとてつもないもので、しがみついているだけでも体力を消耗する。小さな体のアリアには致命的だ。

(手の感覚が、なくなってきた……っ)

アリアの意識が手に向かったのと同時に、槍が真横を駆け抜ける。


「「っ、!」」


ひゅっと息を吸い込む。

一瞬の油断が命に直結する。わかってはいたが、ここまで身をもって知ることになるとは思わなかった。アリアは恐怖を吹き飛ばすように声を上げた。


「っ、すみませんっ、ちょっと意識が逸れちゃいました!」


しがみつく手に力が入る。

グレアが喉を鳴らし、アリアを慰めた。いや、彼のことだ。アリアを叱咤したのかもしれない。

アリアは大きく息を吐きだし、槍の動きを注視した。最上階まで登ってた二人は、その下三階分までを行ったり来たりしている。大きな柱には穴が開き、綺麗な床には大きな落とし穴が出来ている。美しいエメラルドの瓦は砕け散り、赤い壁には槍が通り抜けた際にできた無数の切り傷が出来ている。


カタカタと揺れる槍。アリアは槍の動向を見張り、ふと違和感に気が付いた。

槍の速度と狙いの精密さが落ちているのだ。海の神の盾に阻まれた槍が再度狙いを定める時間も、伸びているように感じる。

(もしかして)

限界が近づいているのだろうか。アリアは一抹の希望を抱いた。


「グレアさん! たぶんですけど、追尾魔法が切れかかってます! あと少しなんだと思います!」

「ガウッ」


グレアが吠え、瓦を蹴る。隣の棟に入り込み、狭い廊下を一直線に駆ける。槍は明らかに速度を落としてアリアたちを追っていた。速度はグレアの走るのとほぼ同等にまで落ちている。あと少しすれば、撒くこともできるかもしれない。

(このまま走り抜ければ――――)


ヒュンッ!


「「!!?」」


見出された希望を切り裂くように、アリアの頬を黒い槍が掠める。

(うそ)

魔法が切れかかっていたんじゃないのか。それとも、魔法を掛けなおされた? いつ? どうして?

アリアが真っ青な顔で振り返る。海面を見上げ、見えた光景に心臓が冷えていくのを感じた。


「な、なんで……」


きらきらと輝く海面を覆いつくさんばかりに、いくつもの黒い槍が浮かんでいる。巨大な魚影にも見える影は、ずっとアリアを追いかけまわしていた槍と同じものだった。

希望が絶望へと叩き落される。グレアが飛び上がった衝撃に耐えきれず、しがみついていたアリアの手がずるりと抜け落ちた。


「……あ」

「ガウッ!」


グレアの焦った顔が視界に移る。落下していく体に、アリアは二度目の死を覚悟した。


「ッ、!」


瓦が割れる音が響き、背中に衝撃が走る。空気を吐き出し、アリアは鋭い痛みに悶えた。


「ゲホゲホっ!」


体に染みついていたおかげで咄嗟に受け身を取ったものの、中途半端になってしまって衝撃までは流せなかった。押しつぶされたような咳を繰り返し、アリアはぼやける視界で瞬きをした。

どうやら階下の屋根に落ちてしまったらしい。方向を変えたグレアがアリアに駆け寄った。鼻先でアリアを持ち上げ、乗るように促してくる。グレアの必死な様子に、アリアも登ろうとするが体力はほとんど残っておらず。さらには痛みに痺れた体ではうまく動けなかった。


「ふ……ぐ……っ」

「大丈夫か、アリア!」


大丈夫、と言葉を返そうとして、アリアは咳込む。酸欠と疲労で頭がクラクラしてきた。

(だ、め……)

こんなところで倒れたら、自分は確実に足手まといになってしまう。もう自分だけ動けないのは嫌だ。奥歯を噛みしめ、アリアは眉間にしわを寄せる。脳裏を過るのは――孤児院が襲われたあの日のこと。


うっすらと覚えている意識の中でアリアを守るために、ウィルが体を張ってくれていた。あとから駆け付けたサイモンがウィル共々助けてくれたあの時のことは、未だに夢の中のようで現実味はない。

だが、あの日のことをウィルから聞いたときアリアは心底後悔していた。

(サイモンさんの一番弟子だったのに……)

何もできなかった。誰かを助ける前に、自分が助けられてしまった。あの時の悔しさは、今でも忘れられない。


黒い槍はアリアに狙いを定めている。魔力が高まっていくのが見え、アリアはグレアの背中に乗るのを諦めた。グレアをそっと押し、自分は瓦にべしゃりと落ちる。


「ガウッ!」

「はっ……はっ……グ、レアさ……、にげて……っ」

「ガウウッ!」


グレアはアリアの腕を食み、引っ張る。だがアリアは体を起こそうともしない。動く気力も、アリアにはもう残っていなかったのだ。


「わたしは、だいじょうぶ、です……っ」


槍が降ったって、死ぬと決まったわけじゃない。奇跡が起きて、生き残るかもしれない。海の神が異変に気付いて助けに来てくれるかもしれない。

(当たったら、たぶん死んじゃうけど)

死んじゃったら生き返れないのだろうか。それは、困るなぁ。


まだ家族の居場所も掴んでいないし、サイモンたちとの旅も途中だ。家族に会ったら「自分はちゃんとやってるよ」って胸を張って言いたいし、トトやヤコブ以外のサイモンの仲間にも会ってみたい。特にスクルード王のことはサイモンが楽しく話すから、家族よりも会ってみたいと思っているくらいだ。


(ここで死んだら、それもできなくなっちゃう)

だから、死ぬ気はない。かといって、グレアを巻き込みたくもない。

アリアは板挟みになった結果、彼に置いていくように頼むことにしたのだ。




黒い槍の魔力が揺れる。そろそろ槍が離れてもおかしくはない。絶望にも似た感覚がこみ上げ、アリアは心臓が締め付けられるのを感じる。恐怖に耐えられずアリアが視線を外せば、魔力がより大きくなった。

黒い槍が震え、弾かれたように走り出す。アリアの視界をグレアの体が遮った。グレアが半獣人へと姿を変える。


「っ、グレアさん!」

「黙ってろ!」


一蹴される叫び声。アリアを庇うように両手を広げる。

おおきな背中に絶望が忍び寄る。


「グレアさんッ!!」






「――――〝サロステイン・パラ・ロギティーダ理不尽を薙ぎ払え〟!!」




高らかに響いた師匠の声に、アリアは泣きたくなってしまった。



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