再び響く怒号に、サイモンは緩めていた危機感を跳ね上げた。
黒いオーラがラードを中心に大きく膨れ上がり、揺れている。さっきまで感じなかった魔力がサイモンの視界に映り込む。
――闇属性の身体強化魔法だ。
「っ、おい、ラード!」
「冗談じゃない! アンタを連れ戻すために騎士団を裏切ってここまで来たんだ……ッ!! 今更引き返せるかよ……!!」
「おい! やめろ!」
「五月蠅いッ!! アンタがっ、! アンタがっ、俺と一緒に来ればこんなこと……!!」
怒りに飲まれているのだろう。ラードの口調が乱れている。
血を流してふらついている彼は、到底戦えるような状況じゃない。
それに、闇の魔法は人体にとって毒になる。毒で体を強化して、その未来は?
――考えなくても、わかる。
「どうせ俺たちには帰るところなんてない……なら、英雄の一人くらい持ってってもいいですよねェッ!!」
ブワッと魔力が拡がる。彼の怒りの感情が、闇の魔力を更に煽っているのだ。
(何を馬鹿なことを……!)
サイモンは少女を見た。
表情の変わらない彼女は、特に何も思っていない目でサイモンを見ていた。
(興味はない、ってことか?)
何の冗談だ。一緒に旅をしているんじゃないのか。情がないとしても、そこまで無関心でいられるのは何故だ?
「はははは……やっぱりお前の魔法だけは最高だ。ほらみろ、“英雄様”も驚いていらっしゃる!!」
「!」
少女の頭を撫で、サイモンに見せつけるラード。その顔は悪魔に乗っ取られたように邪悪で、品がない。
「そうだ! お前の力、“英雄様”に見せてやれ!! きっと“英雄様”もお前の魔力に惚れ惚れするはずだ」
少女はこくりと頷く。
小さな手が水晶を撫でる。魔力が注がれ膨れ上がっていくのを見て、サイモンは咄嗟に剣を投げた。ラードの手が剣の刃を掴む。「まあ見ててくださいよ」と告げる彼に鳥肌が立つ。
膨らんでいく魔力は水晶から飛び出し、上空へと昇っていく。黒い霧が徐々に形を成し――現れたのは、巨大な黒い槍。
(あんなデカイの……魔力の配分を考えていないのか!?)
サイモンの背丈の二倍はあるであろう槍。出現させるだけでかなりの魔力を消費するはずだ。火や水と違って、自然の力を借りて魔法を生み出すのとは訳が違う。
槍は更に上空へと向かって行く。重く風を斬り、矛先を変えた。――竜宮城の方へ。
「っ、待て! そっちは――!」
「英雄に安寧の地など必要ないでしょう。――行け! 全てを破壊し尽くせッ!!」
ラードの言葉に応じるように、槍はアリアたちの元へと向かう。
(あんなの、アリア達にはどうしようもない!)
サイモンは双剣の片方を握りしめると、珊瑚に足をかけた。背の高い珊瑚に飛び乗り、魔法を発動させる。
「〝
魔法陣が現れ、サイモンの足場を作る。空中を駆け上がるサイモンは、槍に手を翳し、続けて練った魔力を放った。
「クーリティ――」
「させませんよ」
「ッッ、!!」
ガッ。
大剣が背に叩き込まれ、サイモンは足を滑らせる。落下するサイモンは、地面に激突する直前で受け身を取ると、地面に転がる。体を起こし、背中に感じる痛みに歯を食いしばる。
(っ、容赦なく叩きやがって)
ジンジンと痛む背中に舌を打つ。仁王立つラードは、ユラユラと黒い霧を放っている。強化された体はどうやら傷なんてどうってことないらしい。
すかさず振り下ろされる大剣を避け、剣を握り直す。咄嗟とはいえ、片方を投げたのは失敗だった。
「さあ、まだまだ遊びましょうよ、英雄様?」
「はっ。副団長の次は英雄か」
随分買われたものだ。
サイモンは息を吐き、肩を落とす。襲い来る大剣を受け流し、振り払う。
「考え事とは、随分余裕ですね。さすが英雄様だ」
「君たちが厄介なんだ。仕方ないだろう」
「っ、は! 厄介!! それはいい響きですね!!」
「もっと! もっと嫌そうにしてください!!」天を見上げ、豪快に笑うラード。悪役にどんどん磨きがかかっている。
ラードは大剣を担いだ。黒い霧が大剣を包み、バチバチと黒い火花を散らしている。サイモンはさっと周囲を見て片割れの剣を見つける。剣は少女の近くに突き刺さっていた。
(あんなところに……)
……まあ、投げたのは自分自身だけれど。
ラードが地を蹴る。
大剣が振り被られる。下ろされるのと同時に、黒い霧が鞭のようにしなった。
「!?」
ギョッとしたサイモンの肩を霧が裂く。マントの留め具が外れ、ハラリと落ちる。肩にかかるバランスの悪さを気にする間もなく、剣は振られる。
右へ、左へ、上へ、後ろへ、前へ。
縦横無尽に襲い掛かって来る黒い霧。それに気を取られていれば、大剣の切っ先が襲い掛かる二重の罠だ。運よく剣を回収出来たものの、反撃するには間が悪い。サイモンは再び氷の世界を走ることになった。
壊れかけの珊瑚の山。壊れた船の残骸。間を駆け抜け、巻き込まれそうな人に防護魔法を掛ける。その度に闇の魔力とぶつかり、全身にしびれが伝う。
(くそっ、思ったより人が多い!)
このままじゃ埒が明かない。
「ハハハ! 英雄様が逃げ回ってるぞ!!」
「っ、!」
「無様ですねぇ!! 降伏しますか!? 降伏してもいいんですよ!?」
「そんな顔になるくらいなら、降伏はしたくないな。気づいているか? 今君がどんな顔をしているのか」
「さあ、そんなのどうだっていいです。貴方が死ねば、どうだって!!」
振り被られる黒い鞭に、サイモンは間一髪で回避する。焼けた毛先がチリチリと黒く染まっている。
(仲間に引き入れるのかと思ったら、今度は殺すか)
身勝手に巻き込まれるにもほどがある。
サイモンは人気のない方へと足を進める。氷の山の先――そこには海の神の領域の中でも深淵に近いところだった。
氷の呪いも届かない、深淵。漂う魚たちは一切近づくことのない、死の領域だ。
色のない珊瑚が水に揺れ、色のない苔があちらこちらにある。枯れた海草がサイモンの走る勢いに揺れ、黒い鞭がその小さな命を刈り取った。
(まだだ。もっと奥に――)
サイモンは城の廊下から見た景色を頼りに、足を進める。上からは白銀に見えた世界。しかし、その奥には光に照らされない暗い空間があった。恐らくそこが、神の領域の端っこなのだろう。中に大切な者たちを囲っている海の神は、彼等が本能的に近づかないようにしているのだろう。あいつらしい。
「逃げているばっかりじゃあ、俺は倒せませんよッ!」
「っ、そうだな」
(この辺りでいいか)
サイモンは足を止めると、振り返る。暗い森の中、より闇を纏う男は楽しそうに笑みを浮かべている。
自分よりも上位の存在を弄んでいることに得意げになっているのか。それともこれから先、サイモンをいたぶるのを楽しみにしているのか。どちらにせよ性格が悪い。
「さあ、決着をつけましょうか」
「ああ。そうだな」
サイモンは双剣をミミックバッグへとしまうと、今度は黒いナイフを取り出した。
――ジャックナイフ。
主に料理に使われるものだが、これは少し違う。
呪いに掛けられたナイフがとある魔法使いによって一つに集められた代物だ。複数のナイフが強引にまとめられたお陰で、中にどれだけの球数が入っているかは、持ち主であるサイモンすら把握できていない。しかし、呪いと魔法によって作られたせいか、魔力伝導率が非常に高い代物だ。
(この前グレアに頼んでメンテナンスしてもらったばっかりだからな)
グレアは嫌がっていたが、なんだかんだと見てくれた。やり切ったと言わんばかりの顔で差し出してきた時は、頭を撫でてしまったくらいだ。
取り出したナイフを振り、刃先を取り出す。瞬間、ジャラッと音を立てるナイフは、一体いくつあるのか。ナイフの先に自分の指を押し当てる。皮膚が切れ、赤い血が滴った。――呪いはイコール、闇魔法だ。闇魔法を使うことの出来ないサイモンが唯一闇魔法を使える瞬間でもある。
黒い刃先が光る。血を吸ったナイフは、呪いを発動した。
ナイフが次々にサイモンの周りに浮かぶ。サイモンを中心にぐるりと一周する黒いナイフは、ラードへと狙いを定めた。
「目には目を、歯には歯を。闇魔法には闇魔法を。――――切られどころには、せいぜい気を付けろよ」
二度目の忠告に、ラードは笑みを浮かべる。好戦的で、高圧的な笑み。
サイモンがナイフを振り、周りを囲んでいたものも一気にラードへと襲い掛かる。ラードは大剣を振り被るとナイフを叩き落とした。しかし、呪われているナイフは普通じゃない。叩き落されても、壊されて破片になっても、ラードへと襲い掛かる。
何度も何度も。粉々にされるまで、何度も。
「うらァッ!!」
「っ、!」
大剣がサイモンを襲う。剣を避けたものの、弾けた黒い霧がサイモンを切り裂く。
痛みに眉を寄せる。その隙を突くように、ラードの腕にナイフが突き刺さった。呪いが注ぎ込まれ、ラードは痛みに体を震わせる。
「ぐああっ、!」
「っ、これじゃあどっちが悪役かわからないな」
サイモンは苦い顔で呟く。
襲われているのは自分の方なのに、苦しんでいるのは無理矢理体を動かしているラードの方だ。そして何度も立ち上がって来るのも、彼の方。
(やってられないな)
だが、襲われているのに抵抗しないわけにはいかない。
ラードはゆらりと立ち上がり、己の手を見る。傷だらけの顔に、彼の笑みが浮かぶ。
「ははは! すごい! すごいですね!! さすが英雄だ!! どんな武器でも扱い熟せる! 見ろ世界!! 俺の言った通りだろう!!」
「……すごいのは君だろう」
高らかに叫ぶラードは、最早正気とは思えない。
ラードの振った剣先から出た霧が、サイモンを捕らえる。全身に突き刺さる棘に呻き声を上げたが、それもナイフで断ち切れば霧散する。そんな光景を目の当たりにしても、ラードの勢いは落ちない。
ハイになっているのだろう。戦えて、動けているのは、最早魔法のお陰と言っても過言ではない。
サイモンは横目で少女を見る。
ラードが追いかけてきたのは当然だが、まさか少女まで来るとは思わなかった。
(ラードに離れないよう言われているのか?)
それとも、他に何か理由が?
「よそ見なんていい度胸ですねェ!!」
「!」
サイモンの視界に大剣の刃が煌めく。――しかし、剣先はサイモンに届かなかった。
ナイフがラードの手に刺さり、呪いが発動する。大剣が落ち、悲鳴にも似た呻き声が轟いた。ラードが膝をつく。その瞬間、少女が初めて顔色を変えた。
「にいさ――――」
「そこまでじゃ」
小さな影が、少女の行く手を阻む。
水晶が取り上げられ、少女の手が後ろへと捻り上げられる。サイモンは襲い掛かろうとするナイフに制止を掛けた。
「まったく、来ないなところまで来よって。探したぞ。サイモン」
「そう言わないでくれ。海の神」
ユラユラと姿を揺らし、少女を拘束する海の神にサイモンは苦く言葉を落とした。