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第92話


海の神に連れられてやって来たのは、竜宮城の地下にある牢だった。犯罪者や掟を守らなかった者が入れられる所らしいが、ほとんど使われることはないそう。お陰で牢の中は新品同様ピカピカに磨かれており、雪洞の中の火も新しい。

(牢屋っていうか、普通に地下室だな)

においも籠っていないし、整備もされている。街で拠点にしているマスターの店兼家の即興地下室よりも、よっぽど綺麗なんじゃないだろうか。こっちの方が広さもあるし、ぜひ入れ替えて欲しい。


「それで? この状況で地下室にいるっていうと、あの二人しか思い当たらないんだが」

「そうじゃ。あの二人じゃ」


淡々と告げる海の神に、だよなと思う。

――騎士団を裏切り、ヤコブを操る為の工作をした本人。更にサイモンを新興宗教『アヴドゥッラーフ教』に誘った裏切り者と、闇魔法を操る少女。特大の闇魔法を使い、サイモンに返り討ちにされた二人は、反動を受け兵士たちに捕らえられたと聞いている。


「その子供が、水晶を使っておったじゃろう?」

「……あ゛!」

「思い出したようで何よりじゃ」


ニヤニヤとする海の神。サイモンは悔し気に歯を食いしばった。

――そうだ。そうじゃないか!


扱いの条件が難しい闇魔法。それを使うのに、二人は魔法石である水晶を使っていた。

(結構大きかったし、魔法返しで割れたって言っていたから魔力も残っていないはず)

街中に撒くとはいえ、あの大きさの物があれば十分なはず。すっかり忘れていた自分が恥ずかしくなってくる。


「もっと早く言ってくれれば良かっただろ」

「言おうと思ったんじゃがのう」


言葉を濁す海の神に首を傾げる。

彼女は「まあ良い。お主も一度会ってみろ」と歩き出す。サイモンは歩きながら少女のことを思い出していた。


――少女はアリアと同じくらいの歳だったはずだ。髪は緑から黄色と、かなり派手だったイメージがある。

(そういえば、呪文以外話しているのを聞いてないな)

大人しい子なのだろうか。そもそもラードとの関係もよく分からないままだ。


サイモンたちは階段を降りきると、短い廊下を歩く。見えてきた鉄格子は、サビひとつなかった。やはり牢というには相応しくない輝きを放っている。


――ひとつしかない牢の中に、件の少女はいた。

白いベッドを背もたれにし、まるで隠れるようにベッドの下に身を潜めている。黒いローブは海の神に回収されているのか、フードを被っていない頭は前見た時よりも少し薄汚れていた。

白い病人服を着ている少女の手には、多角形のくす玉のような結界に守られた水晶が、割れた状態のまま入っている。

(何でベッドの下にいるんだ?)

こちらから見えないように隠れているのだろうか。それにしては丸見えだ。


「水晶にはもう力はないが、念の為結界を張っとる。誤作動したら大惨事じゃからな」

「ああ、助かる。……あのベッドは?」

「あれはもう一人の愚か者じゃ」


(なるほど)


「お主から魔法返しを食らって、文字通り満身創痍じゃったからな。最低限の治療をしてやったのじゃ」


「ここで死なれても気分が悪いからのう」と呟く海の神。眉を寄せて不本意そうにしているところを見るに、本当に仕方なくなのだろう。

海の神は他の神より人の死に鈍感だ。というより、興味がないのだろう。神という生き物は人間とは全く異なるのだから、当然だ。


檻の近くに向かう。少女はこちらを見るが、特に興味なさげに視線を逸らされた。忘れられたのかとも思ったが、向けられた視線に一瞬の敵視を感じて、それが違うことを知る。

檻には強力な結界が張られており、少女の両手には魔力の使用を封じる鎖が巻き付いていた。海の神の魔力で作られたものだ。「結界はわかるが、あれはやりすぎじゃないのか?」と指差せば「仕方ないじゃろう」とため息を吐かれた。


「こうでもしないと、こやつ自分の生命維持に必要な魔力を全部使いきってでも逃げ出そうとするのじゃ。この妾が何度魔力を分け与えたと思っておる」

「‥…随分お転婆なんだな」

「それだけだったらよかったんじゃが。こやつ、異様に脱走の手際がよくてのう」


「見ろ。こんなに小さくなってしまっとる」海の神は難しい顔をする。……確かに。言われてみれば、少し小さくなっている。どうもただ一癖あるというだけではないらしい。

サイモンは檻の前でしゃがみ込むと、少女と視線を合わせた。少女は虚ろな目でこちらを見る。何を考えているのか、何を思っているのか、一切わからない。

(まずは情報を聞き出すとしようか)


「君、名前はなんていうんだ?」

「……」

「歳は? 獣人なのか? それとも人間なのか?」

「……」

「無駄じゃ。そやつ、ここに来てからというもの、全く話をせんのじゃ。自分のことも、あの男のことも、何一つ答えん」


そうなのか、とサイモンは少女を見る。

どこからどう見ても逃げられない状況。監禁でも拷問でも何でもされそうな状況だというのに、何も言わないのは少し異常だ。しかも何度も逃げようとしているなんて、何かあるとしか思えない。

(誰かに脅されているのか?)

誰に。――そんなの決まっている。


「アヴドゥッラーフ教か」


少女の肩がピクリと跳ねる。視線が少しだけ狼狽えたように宙を泳ぐ。

(あたりだな)

そうと決まれば、これ以上聞くのは少女のためにならない。こんなところで死なれても困るし、せっかくの情報源を手放すのも気が引ける。サイモンは少女の手元を指さした。


「その水晶、俺たちにくれないか?」

「……」


少女の手が強く水晶を抱きしめる。


「君は知っているかわからないが、今地上では大変なことが起きているんだ。人々が意識もない中で操られ、無理矢理人を襲わされている。数はどんどん増えているし、このまま症状が進行しないとも限らない。いづれ昼夜も関係なく人を襲い続けるかもしれない」

「……」

「その治療薬を作るのに水晶ソレが必要なんだ」


少女は微動だにしない。

出来れば話し合いで解決したかったのだが……サイモンの心中に焦りが出始める。


「割れた以上、水晶ソレに魔力を補填する力も、魔力を使った契約をする力も残っていない。水晶の持ち主ならわかっているだろ?」

「……」

「無駄じゃ、サイモン」


海の神が割り込む。サイモンの肩に手を置き、首を振った。


「対話は相手が話をしようとする姿勢があってこそ出来ることじゃ。対話をしようとしておらん奴と話は出来ん」

「それは、そうだが……」

「……そういうところがスクルードに似ておるのだ」


呆れたため息が聞こえる。

海の神は己の小さな手を掲げると、「“メタフォーラ”(寄越せ)」と魔法を唱えた。

水晶が少女の腕の中で小刻みに震える。少女がハッとして力を込めるが、非力な上に不自由な手では魔法を止めることはできない。カタカタと水晶が震え、少女の腕から抜け出す。浮かび上がる水晶は、海の神の方に向って宙を移動した。少女がベッドの下から這い出てくる。


「っ、ダメッ!!!!」


「「!」」


飛び出した少女が水晶に抱き着く。

しかし、海の神の魔法に勝てるわけもなく、逆に少女の体が浮き上がってしまった。



「馬鹿者! 離れぬか!」


海の神が焦ったように叫ぶ。

だが少女は離さない。小さな体は鉄格子に強く打ち付けられ、結界の効力が発動する。


バチバチバチ!!


「うぐぅううっ、!」

「!! 海の神!」

「駄目じゃ、結界は自動化しておる。止められん」


少女の体に電流が走る。海の神は犯罪者、反逆者に容赦がない。檻に掛けられた魔法にも、容赦はない。

(オーバーキルだろ、これは!)

少女のくぐもった悲鳴が響く。絶叫をかみ殺す少女は、痛々しい。


「海の神! 魔法を解け!」

「もう解いておる。じゃが、水晶に施した結界は万一脱走されても持ち出せないよう、触れると離れないようにしてあるのじゃ」

「ああクソッ! ややこしい魔法使ってんじゃねえ!」

「何をう!? 叡智の結晶じゃろうが!」


焦りに声を荒げる。言い合っている場合じゃないのはわかっているが、こんなことでもしていないと冷静を保てそうにない。

(クソッ! どうしたらいい!?)

このままでは、少女が死んでしまう。

焦げた匂いがし、サイモンは血の気が引いていくのを感じる。


「海の神、この檻の結界はどうやったら壊れる!?」

「なっ、!? 無理じゃ! お主ら人間ごときにどうにかできるものではない!」

「そんなの、やってみないとわからないだろ!」


「じゃが、この子供は……!」反論しようとする海の神に「早くしろ!」と叫ぶ。


「っ、結界は貯め込んだ魔力を使って発動しておる。つまり、溜め込んだ魔力が残っている間はずっと起動し続けるのじゃ」

「つまりその貯蓄が全部なくなればいいってことか。なら、空にさせるしかないなッ、!」

「はあ!? 何を言っておるんじゃ!?」


素っ頓狂な声が聞こえる。


「貯められた魔力はお主のをはるかに超えておる! それに、この子供にそれだけのことをする価値はなかろう! 敵なのじゃぞ!?」

「だからって殺してもいいってことにはならないだろ!」

「はあ!? どこまでお人好しなんじゃ!!」

「お人好しなわけじゃない。ただ、まだなにも聞いていないのに殺す気にはならないだけだ!」


サイモンは言い捨てると、檻に手を伸ばした。「馬鹿者! やめるんじゃ!」声を上げる海の神を無視して鉄格子を掴む。瞬間、全身を揺るがすほどの電流が体に走る。

(電流、強すぎるだろ……ッ!?)

周囲に漂うの波も手伝ってか、電流の流れが速い。こんなのを何秒も耐えているなんて、少女の身が余計に心配になってくる。

少女を見る。気を失っては痛みでたたき起こされているのか、目の焦点が合っていない。そんな状況でも、彼女の腕は縋るように水晶を抱きしめている。


「ッ、もうちょっと、我慢しろよ……!」

「……!」


サイモンは少女の頭を撫でた。

痛みに浮かんでいた涙が散り、鉄格子にぶつかり、じゅわっと蒸発した。

(大丈夫だ。助けてやる)


「っ、“ローヒクテッド”!!」


唱えると同時に、全身を魔力が巡る。触れた対象から魔力を吸い取る魔法だ。

(ッ、全身が痛い……!)

焼けるように熱いのに、冷や汗が背中を伝う。まるで全身の血管を強引にこじ開けられ、無理矢理魔力を流されているような気分だ。

サイモンは想像以上に強い魔力に、歯軋りをする。魔力が人より多いとはいえ、このまま魔力を吸い取っていれば、いづれ体は爆発してしまうだろう。それでは元も子もない。

(一か八かになるが、仕方ないッ)


「っ、海の神! この牢屋、壊してもいいか!?」

「はあっ!? お主何をするつもりじゃ!」

「魔力を暴発させる!」


海の神の素っ頓狂な声が響く。しかし、サイモンは切羽詰まった声で「壊しても構わないか?!」と再度問いかけた。焦りを感じたのか、海の神は「ああもう! 好きにせい!」と叫ぶ。


「助かる!」


サイモンは叫ぶと、頭上に手を掲げた。この上は伐採予定の珊瑚があったはずだが、致し方ない。

流れる魔力を出来る限り体内に貯める。そして、一気に放出した。


「“アネモス・トレイニィモア”!!」


耳を劈くほどの爆発音が響き、暴風がサイモンたちを襲う。

高まった魔力は天井を破壊し、牢を巻き込んで上空へと突き上げられていく。壁が抉れ、床が剥がれる。鉄格子が吹き飛び、大きくひしゃげた。事前にラードたちに結界張ってくれていてよかった。そうじゃなかったら今頃ラードも上空へ吹き飛ばされていただろう。


徐々に風が収まっていく。

穴の開いた天井から、細く光が差し込む。吸い取った魔力をすべて放出し終えると、がっくりと膝をついた。


「つ、疲れた……」

「じゃろうな」


「魔力を吸収しながら最大魔力を放出するなんて、馬鹿なことをするからじゃ」と言われる。ぐうの音も出ない。


サイモンは少女を見る。鉄格子はすでにあってないようなものだ。

水晶を抱えた少女は、体中に火傷を負っているものの、命に別状はなさそうだ。荒く息を吐く少女に治癒魔法を掛け、サイモンは大きく息を吐いた。


「お人好しもそこまで来ると面倒な性格じゃのう」

「……うるさい」


眉を寄せて憎まれ口を零す。今はその軽口に付き合っている余裕はない。

荒い息を整えていれば、ふと上空から声がかかる。


「おーい!!」

「神様―!! ご無事ですかーー!?」

「今の竜巻はいったい……」

「何かあったのですか!? 神様!」


やんややんやと頭上から声が聞こえる。

顔を上げれば、地上で作業していた兵士達が焦った顔でこちらを覗き込んでいた。その中には例の巨大ガニ兵士もいた。


「おお、お前たちか。すまぬが、数人こちらに手を貸してくれぬか? この愚か者が牢を吹き飛ばしよってな。いろいろとやらねばならぬことが出来た」

「……好きでやったわけじゃないぞ」

「なんじゃ。その口縫い付けて深海の餌になりたいのか?」

「すみませんでした」


冷や汗がサイモンの背を伝う。……今の、絶対に冗談を言っていた顔じゃなかったぞ。

サイモンはもうこれ以上好き勝手するのはやめておこうと胸に刻み、兵士たちに苦笑いで答えた。




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