兵士たちはすぐに地下に降りてきた。
サイモンたちが降りてきた階段は使いものにならなくなっているので、水中を移動できる魔法を作った。もちろん作ったのはサイモンだ。「お主が壊したのだろう?」と睨まれてしまえば、作らざるを得ない。
「サイモンさん、大丈夫ですか?」
「また派手にやらかしてんじゃねーか」
「おお。二人も降りてきたのか」
駆け寄ってくるアリアとグレアを見上げ、苦く笑う。
彼女たちがここにいるということは、さっきの海の神にせっつかれている場面は見られていたはずだ。子供に情けないところを見られた親の気分が、少し分かった気がする。
「珊瑚の方はどうなっている?」
「ちょうど休憩してたところです。そしたら下から急に竜巻が出てきて……」
「そうだったのか」
「驚かせて悪かったな」と告げる。アリアは「いえいえ」と首を振ってくれたが、グレアは「おかげで肉を食べ損ねた」と不貞腐れた。「それは悪い。後で食えるように話を付けておくから」と言えば、グレアの尾が嬉しそうに振れる。全く現金な奴だ。「約束だからな」と鋭く睨みつけられた。
「あの。サイモンさん、その子って……」
「ああ。二人は顔を合わせるのが初めてだったな。この子はカイリを操る魔法を使っていた張本人だ」
「「えっ?!」」
「指示を出したのは別の人間だが、闇魔法を使う」
「アリアを襲った槍も、この子が出したものだ」と告げれば、アリアは複雑そうな顔で眉を下げた。
グレアがすんと鼻を鳴らす。魔力の匂いを嗅ぎつけたのだろう。グレアの目が少女の手元に向かう。
「おい。もしかしてこいつが持ってやがるのって」
「目敏いな、グレア」
「そうだ。水晶だ」サイモンの答えに、二人はハッとする。珊瑚の作業に入る前に、二人には治療薬に関わる情報は共有してある。その中にはもちろん、治療薬となる材料の説明も入っている。
「水晶って、確かかなり貴重な魔法石……なんですよね?」
「よく知ってるな」
「は、はい。トトさんに魔法を教わっている時にちょっとだけ。かなり強い魔法石だから、むやみに触らないようにって言われました」
アリアは心配そうに少女を見つめた。
「安心しろ。これはすでに効力を失っているものだ」と告げれば、アリアの目がほっとしたものに変わる。
「材料に使いたいと声を掛けたんだが……いろいろあってな」
「無理矢理奪おうとしたんじゃねーの? サイモン、容赦ねー時あるし」
「人を強盗みたいに……そんなことはしないし、今までもそんなことした覚えもないんだが」
「えっ」
「……え?」
サイモンの時が止まる。……グレアはともかく、アリアに言われたらいろいろとおしまいだ。
「無意識が一番タチわりーな」と笑うグレアの言葉に、サイモンは心臓を抑えた。……とりあえず言われたところは改めるとして。死ぬときは視界の端で爆笑しているカイリを巻き込んで死のう、と強く決意した。
「ごほんっ。ともかく、水晶は別口で仕入れることにする」
サイモンの言葉に反応したのは、少女だった。
未だ水晶を抱きしめたままの少女は、サイモンを恐る恐る見上げる。その視線に気づかないふりをして立ち上がる。
「その、この子はどうなるんですか?」
「このまま海の神に引き渡す予定だ。そのあとのことは海の神に任せる」
「そう、ですか」
肩を落とすアリアは、少女を見つめる。慈悲に満ちた視線にサイモンは彼女の心中を察した。しかし、それに応えることはできない。
(せめて水晶を渡すことで罪が軽くなるとか言えればよかったんだが)
神の領域で好き勝手してしまった以上、相応の罰が必要になる。水晶を渡すだけで済むはずがない。
(かわいそうだが、仕方ない)
「さ、俺たちも片づけを手伝うとするか。アリア、グレア。手伝ってくれるか?」
「もちろんです!」
「……半分以上アンタのせいだけどな」
「う゛っ……悪い」
グレアの容赦ない言葉に胸が痛む。……仕方ないだろ、他に方法が思いつかなかったんだから。
「埋め合わせはするから」と告げ、サイモンは歩き出そうとして――わずかな抵抗感に足が引き留められた。
「……」
ゆっくりと振り返る。そこにはサイモンの裾を掴む、小さな手。
「……どういう風の吹きまわしだ?」
「……」
「無言じゃわからないだろ」
サイモンは息を吐く。少女の肩がびくりと震え、手が離される。
(気にしてやる義理はないんだろうが……)
ああ、もう。面倒くさいな。
「君が考えていることはわからないが、何も言わない、しないではこっちもどう対処すればいいのかわからない」
「……」
「だが、もし何か要望があるなら聞くことは出来る。叶えるかどうかは別になるが……」
少女の前にしゃがみこむ。少女は前髪の隙間からサイモンを見つめていた。
「どうする?」
少女は答えない。しばらく待ってみたが、やはり少女が声を出すことはなかった。やがて大きくため息を吐いて、再び立ち上がる。しかし、再び少女の手が裾を掴んだ。
(この……っ)
さすがに何度も引き留められては、苛立ちも込み上げてくる。勢いよく振り返る。少女はさっきと同じ体制で、けれどしっかりと裾を掴んでいた。
「あのなぁ」
「……ら」
「あ?」
「……はじめて、もらった、から」
少女の声が、僅かに聞こえる。周りの音にかき消されてしまいそうな、小さな小さな声だった。
(初めてもらった?)
何の話だ、と眉を寄せる。少女の腕が強く水晶を抱きしめ、その姿に「ああ」と合点がいく。
「水晶のことか?」
こくり。少女が頷く。
「誰からもらったんだ?」
「……」
「ラードからか?」
少女は首を横に振る。ラードが盗んできた水晶を彼女に渡したのだと思ったが、どうやら違ったらしい。
(ラードじゃないなら誰だ?)
水晶をもらうなんてそうあるわけじゃない。水晶狩りがあった後ならなおさらだ。
(ラードじゃない、けれど水晶を手に出来る力がある人間……)
思い当たる人物はいるが、確証はない。困ったように息を吐けば、背後から重みが追加された。
「なんじゃ、サイモン。随分懐かれたのう」
「重いぞ、海の神」
「女の子にひどい言い草じゃのう。そこは『羽のように軽いぞ』とでも言わないとダメじゃろう」
ぐっと寄り掛かってくる海の神に「ハイハイ」と適当に返事をする。もちろん、それで海の神が改めるわけもなく。海の神は少女を見つめた。
魔力が密かに集中していくのがわかる。
(こいつ、今見抜きの魔法を使ったな)
相手が嘘をついているかどうかを判断するための、一種の鑑定魔法。以前サイモンがヤコブに使ったことのあるものだが、それよりも恐らく精度は高い。
「ふむ、そうじゃのう。小娘、お主が三つ真実を話せば、一つだけ願いを叶えてやってもよいぞ。どうする?」
「……」
少女の目が海の神を見る。「話す気になったか」と海の神がしたり顔で笑った。殴りたくなるほど生意気さがにじみ出ている。
(口に出したら一瞬で首が斬り落とされるだろうな)
もしくは首が絞め落とされる。死ぬのは御免だな。
「……に……たい」
「? なんじゃ。もっとはっきり喋れ」
「外に、出たい」
この人と、と少女の指がサイモンを指さす。
(は!?)
――なんで俺ッ!?
「突然何を……!」
「ふむ。よいぞ。いくつか条件は付けるが、認めよう」
「おい! 勝手に決めるな!」
「良いではないか。手籠めにした末、もしかしたら水晶を渡してくれるやもしれんぞ?」
「その言い方やめろ」
「ケチケチするな。どうせアテはないんじゃろう?」
サイモンは苦し気な声を漏らす。
……確かに、街の住人全員に行き渡るような量の治療薬が作れる水晶のアテなんてない。
(だからといって、本当に変わるのかもわからない気持ちが変わるのを待つのは、さすがに無謀だろ)
「そうかのう。存外簡単に人の心は変わるものじゃぞ?」
「……急に心を読みだすな」
「すまぬな。見抜き中じゃった」
ウインクをする海の神に、訝し気な目を向ける。……鑑定魔法に、そんな効果はないだろうに。
(それにしても、やけに自信満々だな)
心変わりをする確信が何かしらあるのか。それとも、本当に神にしか見えないものが見えているのか。
にやにやと笑みを浮かべ、サイモンを見る海の神。少女を見れば、じっとこちらを見つめていた。
(……仕方ない)
「……わかった。連れて行く」
「だそうじゃ。よかったのう」
海の神は上機嫌に笑う。あまりにも機嫌がいいので、断罪する人間が減った=手間が減ったから喜んでいるのでは、と勘繰ってしまう。それが当たらずとも遠からずなのは、海の神だけが知っていることだ。
海の神はサイモンから離れると、少女の目の前まで足を進めた。しゃがんで目線を合わせないのは、彼女らしい。
「さて。サイモンからの了承も得た。お主には聞きたいことがある」
「……」
「まずは、そうじゃのう。お主たちの目的は、サイモンを殺すことで間違いなかったか?」
海の神の問いに、少女は頷く。見抜きの目は発動しなかった。……ということは、嘘ではないということ。
(ていうか、なんで第一に聞くのがそれなんだ)
もっと核心的なことを聞けばいいだろうに。
笑顔で「そうかそうか」と言っている彼女は、何を考えているのか全く分からない。
「次、お主はこの男を兄と呼んでいたが、お主たちは実の兄妹なのか?」
少女は首を縦に振る。しかし、すぐに首を傾げると首を横に振った。
「どういうことだ?」
「……ちがう、と、思う」
わからない、と曖昧な言葉に、今度はこちらが首を傾げることになった。
鑑定魔法を目にしている海の神を見る。無反応どころか、逆に困惑しているのを見るに、少女は嘘を言ってはいないらしい。……本気で言っているのがわかって、余計に混乱する。
「そうか。それならば最後じゃ。――お主、未だサイモンに殺意はあるか?」
ぴりついた空気が流れる。
少女は一瞬身構えたが、首を横に振った。見抜きの目は、反応しない。
「そうか。ならば良いのじゃ」
「何がいいんだ?」
海の神は笑顔でごまかすと、両手を広げた。少女の手を掴み、クルクルと回り出す。少女は終始困惑していた。
「よし! これでお主は今日からサイモンの仲間じゃ! 存分に旅に励むが良い!」
「お前が言うか」
「妾が決めたことに反対はなかろう?」
海の神は楽しそうに笑うと、少女の手を離し地上へと向かった。やけに上機嫌なのが少し気になるが、まあいい。サイモンは少女を見下げる。
「あー、ということだ。よろしく頼む」
少女は頷き、差し出されたサイモンの手を取った。
「瓦礫の掃除、サイモンも手伝うんじゃぞー」と海の神の声が響く。わかってはいるが、わざわざ言われるとやる気をなくすのはなぜか。
「はぁ……そんなこと言ってないでさっさと片付けるか」
小さく呟き、サイモンは少女に背を向ける。兵士たちのいる方へ向かい、瓦礫を運ぶのを手伝った。
その背中を、少女はただひたすら黙って見つめていた。