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第94話


少女を一緒に連れて行くために、海の神の付けた条件は二つだった。


一つはサイモンと少女に主従関係の契約をし、互いに守ること。

もう一つは、何らかの形で必ず贖罪をさせること。


「すでに小娘の方には付けてある。あとはお主だけじゃ」

「うわ、手が早いな」

「サイモン、遺言はそれで良かったか?」

「さすが神様だ。俺には思いつかなかった」


飛んできた殺気に、サイモンは鮮やかに手の平を返した。飽きるほど生きてきたが、まだ死にたくない。海の神は特に追及することもなく笑みを浮かべると、サイモンの手の甲に主従の印を結んだ。

主としての印は正直落ち着かないが、仕方ない。


「契約の詳しい内容は、二人で決めると良い。ただし、くれぐれも注意するんじゃのう。一度破る程度なら問題ないが、二度三度となれば……わからぬぞ?」

「あ、ああ。わかってる」

「ならばよい」


「せいぜい妾を裏切るんじゃないぞー」と海の神は手を振る。もう用はないとばかりに追い出された。

サイモンは海の神の部屋の大きな扉を見上げて、息を吐く。

(家も牢も破壊してるし、かなり迷惑をかけている自覚はあるからな)

条件くらいは出来るだけ守ろう。彼女の怒りが破裂しないように。




サイモンが廊下を歩いていれば、小さな影が座り込んでいるのが見える。膝を抱えているのは――例の少女だった。

「どうしたんだ?」と問えば首を振られる。何かがあって出てきたわけではないらしい。


「……」

「……」

「……暇なら、外の手伝いでもするか?」

「!」


コクコクと少女が頷く。

(暇だったのか)

もしかしたら誰もいない部屋に一人残されて、落ち着かなかったのかもしれない。「わかった」と呟いて手を差し出した。少女は躊躇った後、そっと手を重ねた。


外に出れば、珊瑚を船に乗せている船員たちがいた。あれから作業は順調に進んでおり、あとは珊瑚を船に乗せるだけになっている。人魚の子たちも予備の涙を持たせてくれたし、至れり尽くせりだ。


「おう、サイモン! 誘拐でもしてきたのか?」

「船長……人聞きの悪いことを言わないでくれ」

「すまんすまん!」


わっはっはっはと笑みを浮かべる船長。びくっと震えた少女がサイモンの後ろに隠れてしまった。「怖がるから少し声のトーンを抑えてくれ」「がっはっはっは!!」「だから声が大きい!」大きな声に慌ててサイモンも声を上げる。ハッとして振り返れば少女がびっくりした顔で見上げてくる。

(……やってしまった)


「あー……ごめん。大声出して」

「……」


恐る恐る少女の頭を撫でれば、フルフルと首を横に振られた。……避けられるかと思ったが、予想外に受け入れられて驚いている。


「あー、とにかく、別に攫ってきたわけじゃないから。それと、この子も一緒に乗せていきたいんだが、いいか?」

「ウチは構わねぇが……なんだ、ワケありかァ?」

「そんなとこだ」


そう返せば、ふとタオルを持って走るアリアの姿が目の端に移る。少女の視線がじっと彼女の方を見つめている。「……手伝ってくるか?」と声を掛ければ、嬉しそうに顔を跳ね上げた。すぐにいつもの顔に戻ってしまったが、少女はまた小さく頷く。行ってもいいよ、と背中を押せば、少女はその場で二の足を踏む。

ぎゅっと水晶を抱きしめる少女を見て、サイモンは「ああ」と声を上げる。


「それじゃあ手伝えないんだろ?」

「?」

「そうだな。……奪ったりしないからそれ、少し貸してくれないか」


水晶を指させば、少女は訝し気に眉を寄せる。……信頼できるかどうか、見定める目がサイモンを見つめる。サイモンは動かなかった。

じっと見つめる少女。何かに納得したのか、少女は恐る恐る水晶を手渡してくれた。「ありがとう」とサイモンは受け取り、まじまじと水晶を結界越しに見た。海の神の結界に囲まれた水晶は、コロコロと結界の中で転がっている。

(首に負担を掛けるのはよくないしな)


――よし。

サイモンは結界に魔力を注ぐ。

こんこんと結界をノックをすれば、魔力は応答し、徐々に形を変えていく。


「ほら、これで両手が使えるだろ」

「!」

「おお、リュックじゃねーか! よかったなァ、嬢ちゃん!」


船長の声に、少女はコクコクと嬉しそうに頷く。紅潮した頬が年相応で、可愛らしい。

くるりとその場で回る少女は、ひょこひょこと走り出す。アリアの元に向かう前に数人の兵士たちの前で、少女はクルクルと回る。その度に黄と緑の髪がふわふわと揺れていた。

気づいた兵士たちは「おお! かわいいなァ!」「どこの別嬪さんだー?」「譲ちゃーん! こっちにも見せてくれー!」と大盛況だ。


「おーおー、可愛いじゃねぇか!」

「ああ、そうだな」

「最初は緊張してんのかと思ったが、あの様子じゃあ打ち解けるのもそう時間はかかんねェかもしれねェなァ!」


豪快に笑う船長の隣で、サイモンは内心安堵していた。

(無口な子なのかと思ってたけど、もしかしたらこっちが本当なのかもな)

アリアの背をひょこひょことついていく少女の姿を見つめ、息を吐く。……よかった。安心した。


「さあ。さっさと残りの珊瑚を乗せて、地上に帰ろう」

「そうだなァ、アイツにもそろそろドヤされるだろうしなァ」

「マスターに怒られる船長は見てみたいがな」

「その時はお前も一緒だぞ」


船長の言葉に「勘弁してくれ」と笑い、作業に加わった。





「これで最後だッ」


どん、と最後の珊瑚が船に乗せられ、わっと周囲が沸き立つ。「終わったー!」「やっと筋肉痛から解放される……!」「今日は飲むぞー!」歓喜に声を上げる兵士たちに、サイモンも達成感に溢れた気持ちでいっぱいだった。

(思ったより時間がかかったな)


「なんじゃ。終わったのか?」

「おわっ!? びっくりしたな……」


「気配を消して近づくなよ」と眉を寄せれば、声を掛けてきた海の神が悪戯っ子のような笑みを浮かべる。「なんじゃ、貧弱じゃのう」「貧弱は関係ないだろ」


「それで? 出発はいつにするんじゃ?」

「そうだな。できればすぐにでも出たいところだが」

「ふむ。ならば妾が手助けしてやろう」

「は?」


サイモンは首を傾げる。

突然何を言い出すのかと思えば、神様が進んで人間の手助けをするなんて、どういうことなのか。


「どうせ向こう百年、帰ってこんのじゃろ?」

「海のかっ、」

「友人の門出じゃ。祝わせてくれ」


海の神はゆっくりと手を上空へ掲げる。

小さな手に魔力が大きく膨れ上がり、光輝いた。


「“オセィロース・ヒァ・アフトゥティアロゥ”(この者たちに、神の祝福を)」


光が大きくなり、上空へと向かう。綺麗な光に、その場にいた全員の視線が釘付けになる。光は輝きを増し、しばらくして大きく弾けた。光が波に反射し、キラキラと輝く。どこまでも幻想的な光景に息を吐く。

(……すごいな)

見ているだけで心が軽くなるのを感じる。体の中心から癒される感覚が込み上げる。


「サイモン、皆。早く船に乗れ。海面まで打ち上げてやるぞ」

「ああ。ありがとう」

「はっ。お主が礼などと、明日は槍が降るかもしれんな」


くっくっく、と海の神が笑う。

船員たちが船に乗り込んでいく。さっきの祝福で気力も体力も満タンだ。


「貢物、期待しておるぞ」

「ああ」


またな、と手を上げれば、海の神は大きくはにかむ。その顔は初めて会った時の強引な笑顔とそっくりで。

懐かしさを抱えながら、サイモンたちは海上へ打ち上げられた。


「おお~!」

「見ろ! 地平線が見えるぞ!」

「やっと戻ってきたー!!」


歓喜の声が至る所から広がっていく。強引に海底に引き込んだ手前、多少の罪悪感がある……が、そこは治療薬を作ることで許してほしい。


「おーい! さっさと船動かすぞー!」


船長の声に、船員が動き出す。統率の取れた動きに感心してしまう。


船が帆を張り、ゆらゆらと動き出す。空は快晴。波は酷くもなく、波の音が優雅に聞こえる。地平線に見える朝日が綺麗だ。

(ああ、帰って来たな)

帰って、来……――


「うっぷ」

「わー!!! サイモンさん!? 大丈夫ですか!?」

「ゲッ。……また始まりやがった」

「おーい、誰か水くれへん~? って、俺持てないんやけど~」


周囲が騒然とする。船酔いが先行しすぎてわからないが、今「ゲッ」って言ったやついたな。ちゃんと聞こえたぞ。

(あとで絶対文句言ってやるからな)

そう思うものの、込み上げる気持ち悪さに反論する気力はサイモンには残っていなかった。

せっせと世話を焼いてくれるアリアやカイリに「ありがとなぁ……」と呟いて、サイモンは揺れる船の上で必死に酔いと戦っていた。

(き、気持ち悪い……)

もちろん、惨敗だったが。



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