目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第95話


「もう二度と船には乗りたくない……」

「サイモンさんーー!!」

「魂抜けてんな」


ツンツンとグレアに頬を突っつかれる。アリアがオロオロとしているのを、ぼんやりとした視界で見ていた。

(やっと着いた……)

揺れていた船が動きを止める。やっと解放された。ぐったりと床に転がっていれば「おーい、まだへばってんのかァ?」と船長が声を掛けてくる。それに片手を上げて応え、パタリと手を下ろす。返事をする気力もない。


「落ち着いたら動くから放っておいてくれ」

「ああ? 仕方ねぇなァ」


「これでも飲んどけ」とジョッキが目の前に置かれる。中には薬草の臭いのする液体が入っている。「酔い止めだ。気休めかもしれないがな」船長はそう言い残すと、去っていく。

珊瑚を下ろすのだろう。アリアたちも手伝いに向って行った。その背中を横たわったまま見送る。


「情けないな……」


「「「うわああああ!!」」」

「!?」


(なんだ!?)

衝撃にサイモンは飛び起きる。声がした方へと走り出し、サイモンは目の前に広がる光景に驚いた。


「な、なんだこりゃァ……!?」

「サイモンさん! これって街の人たちですよね!?」

「っ、ああ、おそらくな!」


船の下――陸にいるのは、数人のゾンビ達だった。

(まだ昼なのにどうして……!)

夜になっているわけでも、雨雲で太陽を遮られているわけでもない。

(まさか症状が進行しているのか!?)


鑑定の魔法を目に宿し、ゾンビ達を見る。海に出る前は見えなかった魔力の痕跡が、今は見えるようになっている。

(洗脳魔法を掛けていたのはラードじゃなかったのか!?)

魔法は通常、使用している人間が意識を失うと解けるはずだ。それが解けていないということは、魔法をかけたのはあの男じゃない。

(……待て。確か魔法を使っていたのは――)


「っ、サイモンさん! みんな登って来ちゃってますっ、!」

「!」


ハッとする。今はそれを考えている場合じゃない。「ど、どうしましょう」と狼狽えるアリア。グレアは臭いがきついのか、不機嫌そうな目で後退っていた。

(ゾンビは見覚えのある顔だが……)

仕方ない。


「“ヴィエーノ”!!」


ゾンビに向って手を掲げる。――瞬間、這い上がって来ていたゾンビ達が弾け飛ぶ。驚く周囲を他所に、サイモンはすぐに結界を張った。起き上がったゾンビ達が結界に阻まれ、唸り声を上げる。「サイモン!」と呼ばれ、振り返る。


「大丈夫なのか?!」

「ああ、一応結界内には意識のある人間以外は入れないようにしてある」


「襲われたくなかったら結界の外には出ないようにしてくれ」と告げ、結界の幅を広げる。ゾンビ達は急に後ろに押し込まれ、戸惑っているようだ。そういう感情、ゾンビにもあるんだな。

船長は「そうか」と頷くと「どうする?」と問いかけた。


「先に荷物を下ろすか? それとも場所を移動した方がいいか?」

「いや、場所は移動しなくて大丈夫だ。この状況じゃ、街のどこにも無事なところがあるとは思えないし。何よりマスターと他の船員がいる店の方が心配だ。荷物を下ろすのは後でもいい」

「お、おう!」


船長は大きな声で船員に船を降りることを命じた。船員たちがどよめいていたが、サイモンたちが先に降りたのを見て、襲われないことに気付いた船員たちが恐る恐る順番に降りていく。


サイモンは急ぎ足で店のある方へと向かった。ゾンビ達が近寄れないように結界を広げながら、道を作っていく。結界に群がるゾンビ達は、まるで水中に作られたドームに群がる魚のようだ。

(ここはゾンビの展示会場か!?)

なんて馬鹿なことを言っている場合じゃない。


「サイモンさん! お店のほう!」

「!」


遠目に見えてきた店をアリアが指差す。店には無数のゾンビが群がっていた。

(遅かったか……!)

サイモンはさっきと同じようにゾンビ達を吹き飛ばすと、店内に駆け込んだ。


「アリア! グレア! 危険だからお前たちは待機していろ!」

「えっ!? でも……!」

「グレア! お前はこれを付けてろ!」


サイモンはミミックボックスに入れていた口輪をグレアに投げ渡し、店に入る。鍵を確認すれば、いくつか壊されているものの、突破されている様子はない。


「マスター! いるか!?」


声は聞こえない。しかし、店内にはゾンビはおらず、荒れている様子もない。

(気配は感じる……が、弱弱しいな)

何かあったのか。サイモンは焦る気持ちで地下へと向かった。


バンッ!


「マスター! 大丈夫ですか?!」

「おー、やぁっと帰ってきたかぁ……」

「!?」


ぐったりとしたマスターの姿に目を見開く。他の船員たちも床や椅子に項垂れている。


「ど、どうしたんですか!?」

「し、しぬ……」

「死ぬ!?」

「は、はら……」

「? 腹を、噛まれたのか?」

「いや、そうじゃなくて……」


「「「腹が、減った……」」」


「は?」







「いやぁ、助かったよ~。まさか食糧庫が尽きて餓死しかけるとは思わなかったからなぁ」

「なんでそんなことになっているんだ……」


はぁ、とサイモンはため息を吐く。

「なんでだろうなぁ。計算じゃあまだ大丈夫だったはずなんだけどなぁ」と笑うマスターは、一人の船員を見た。明らかに一人だけふくよかで元気な船員は肩を揺らし、さっと視線を逸らした。……なるほど。耐えきれず食ってしまったのか。「美味かったか?」と笑うマスターに、船員は顔が真っ青だ。

(まぁ……頑張ってくれ)



――数十分前。

倒れているマスター達のヘルプコールに、サイモンはわけもわからないまま、とりあえず地上へと走り出した。よくわからないが、腹が減っているなら飯が必要だろう。地下から顔を出せば、店の前で困惑している船長やアリア達がいた。全員で団子になって店の中を恐る恐る覗き見ている。


「大丈夫だ! それより――」


サイモンが事情を説明すると、船長たちは慌てて船に戻った。竜宮城でもらった食料を持ってくると、マスター達はすごい勢いで食べていった。食料の半分を食い尽くした彼らは、今ぐったりと店の中で寝転がっている。

(あまりの勢いに、少し引きかけたな)


「ところで、海の神様とやらには会えたのか?」

「あ、ああ。一応な」

「いろいろ大変だったみたいだぜ~」


ガッと背後から船長が腕を組んでくる。重い。


「そうか。それで? 進展はあったのか?」

「あ、ああ。そのことなんだが」


サイモンは海の神の領域で起きたことを簡単に説明し、同時に治療薬のレシピが出来たことを話した。

「そうなのか!」歓喜に声を上げ、マスターは飛び起きた。残されていた船員も起き上がり、喜びに声を上げる。元気そうで何よりである。


「いやぁ、買い出しにも行けないし、店に引きこもってばっかりでどうにかなるところだった。で? 治療薬はいつできるんだ?」

「それが――」


サイモンは治療薬のレシピと材料、そしてその製造方法を教えた。「ちなみにこれは一人分」と続ければ、マスター達の顔が引き攣る。そんな彼らを見た船長がニヒルに笑い、彼らを船へと導いた。大量の珊瑚を見たマスター達は引き攣らせていた顔を真っ青にする。


「こ、これを全部砕くのか……!?」

「まあ、そうなるな」

「正気か!?」


正気も正気。大真面目だ。サイモンはしっかりと頷く。


「ま、魔法でどうにかならないのか……?」

「この治療薬は繊細で、作るのに余計な魔力を入れられないんだ。細かくするまでは出来るが、あとはこの魔力を吸い取りつつ、磨り潰せるすり鉢で粉にするしかない」

「大仕事じゃねーかッ!」


今、マスターの本性が垣間見えた気がする。

手の平に収まるほど小さなすり鉢は、特殊加工されたものだ。今はこうして一つしかないが、すり鉢も量産する必要がある。

(幸い、道具の材料はそこら中にあるからな)


「ああ、それと数日後に梟の爪が届くんだが、それも粉にして欲しい。大丈夫だ、珊瑚よりは少ない」

「……まぁ、街を元に戻すためだからな。仕方ないか」

「話が早くて助かる」


がっくりと肩を落としつつも、頷いてくれるマスターにサイモンはすり鉢を渡した。



――それからは大作業だった。

珊瑚を船から下ろし、サイモンが魔法で小さく切り刻む。途中からアリアが魔法の練習のためにもと切る側に回ってくれたのは、ありがたかった。

爪の先ほどの欠片になったサンゴを、船員たちが店へと運んでいく。粗方の量を運び終えると、サイモンはグレアを呼び止めた。


「ああそうだ、グレア。ちょっといいか?」

「あ? んだよ」

「お前に鍛冶屋としての仕事を任せたい」


グレアの目が輝く。耳がぴんと立ち、尾が千切れんばかりに振られる。


幸い、貿易港として盛んな此処、シマリスの港には数多くの鍛冶屋がある。

サイモンはグレアの他に数人、手先が器用な船員を引き連れて結界を広げつつ、そのうちの一軒の鍛冶屋に向かった。鍛冶屋の店主はゾンビになっていたが、「仕事場使ってもいいか?」と伺いを立てたところ「ウ゛ウ゛ァアア゛」と返事をしてくれたので、大丈夫だろう。


「本当に使っていいのかよ……」

「大丈夫だろ。それより、今から君たちにには作ってもらいたいものがある」


サイモンはミミックバックから一枚の紙を取り出した。書かれているのは、すり鉢の作り方と材料だった。


「材料は持ってくるから、これを作って欲しい」

「これって、鍛冶じゃなくて陶芸じゃねェか! 鉄はどうした!」

「まあまあ。物づくり、という点関しては、あんまり差異はないだろ?」

「あるだろッ!! 職人なめんじゃねェッ!!」


グルルル。グレアが威嚇する。「まあまあ」と落ち着かせ、すり鉢の設計図を指した。「グレアがいないと困るのは本当だ」


「あァ゛?」

「このすり鉢には魔力電導を使っている」

「あ? ああ、さっき言ってた“擦りながら魔力をなくす”ってやつか」

「そうだ」


それを作るためには、グレアの繊細な魔力操作がカギになる。

サイモンはそう説明した。ぐぬぬぬ、と唸りを上げるグレア。どうやら畑違いの産物に手を出してもいいのか、不安に思っているらしい。


「もしかして怖いのか?」

「あ゛ァ!? 誰がッ!?」

「そうか。なら、頼んだぞ」


ポンとグレアの肩を叩く。扱いやすくて助かる。

「すぐに材料を運ばせるから、これを使って先に作っててくれ」ミミックバックから余っている材料を取り出し、机に置く。ドスン……と重い音がし、グレアを始めとした船員たちは皆、顔を引き攣らせていた。


「なるはやで頼むぞ」

「ッ~~!! 好きかっていうんじゃねェ!!」


ついに怒りが爆発したグレアの声が鍛冶場に響く。サイモンはすたこらと鍛冶屋を後にした。怒りの声が背後から聞こえるが、それも徐々に遠くなっていく。

――グレアのことだ。なんだかんだ言って、ちゃんとやってくれると信じている。

(これですり鉢はどうにかなるな)

グレアはああ言っていたが、きっと彼なら作り上げてくれるだろう。職人というのはそういうものだ。その確信があったから彼に頼んだようなもの。

(梟の爪はトトに催促の手紙を送っておいたし、人魚の涙の保管はマスターに任せてきた)


「……まさか進行するなんてな」


想像はしていたけれど、それが本当になるとは思っていなかった。サイモンは結界越しにゾンビを見て、眉を下げる。怪我が至る所にある。……これは意識を取り戻したとして、今度は痛みに悶えることになるだろう。人によっては生死を彷徨うことになる。

さっきは言わなかったが、置いていった船員の中で数名、見たらない者がいた。治療薬の説明の後にマスターと船長がこそこそと話していたが、恐らく彼らについてだろう。

(俺たちにも言ってくれて構わなかったんだが)

過ごしている時間はそう短くはない。それでも、自分たちは彼らにとって部外者でしかなく、気を使われているのだろう。仕方のないことだ。


「……治療薬を撒く場所を探さないとな」


サイモンは切り替えることにした。


浮遊魔法を使い、上空に浮かび上がる。灯台をも見下ろすほどの高さからシマリスの港を見下げた。

(魔脈はまだ残っているな)

世界に祝福を届けていた魔力の脈――魔脈。触れると感じる懐かしい魔力に安心しそうになるが、今回の目的はそこじゃない。


――この魔脈を使い、治療薬を魔力に乗せて街の人間に届けるのだ。


トトは魔力を直接体内に、と言っていたが、それでは対応がしきれない上、手遅れになる人間が出てきてしまう。出来るだけ早く、且つ多くの人間に届けられるようにするには、この脈を使うのが一番いい。

長年、この街の人たちに祝福を届け続けたんだ。馴染むのも早いだろう。


「問題は、魔脈に俺の魔力が拒絶されないかどうかだが……」


そこはまあ……どうにかなるだろう。なんたって元はスクルードの敷いた道なのだから。



サイモンは楽観的に考えると、魔脈のある教会の方へと向かった。薬の調合は教会で行う。魔脈の元はここだ。出来るだけ近い方が異物が入らなくていいだろう。

そのためには、事前に教会内の不純物を排除しなければいけない。――つまりは大掃除だ。

(いい加減、隠れるのが下手だって気づけよな)

黒い魔力の痕跡が、一つ、二つ、三つ……。何を目的で来たんだか知らないが、早々に退場を願おう。

宙を飛ぶと、教会の真上から急降下した。天井を貫き、中にいた白いローブの人間を一瞬で拘束する。ああ、やっぱりだ。


「君たちが洗脳の進行を促していたんだな」

「お前は、五大英雄のサイモン……!?」

「だったらなんだ?」


にこり。笑みを浮かべる。ローブの者たちはサイモンを見て、顔を真っ青にした。「ちっ、ちがっ! 待ってくれ!」「俺たちは指示を出されただけで……!」命乞いをする彼らの言葉を聞き流し、サイモンは彼らの首をへし折った。残念ながら遺言を聞いている時間はない。

動かなくなった彼らを外に放り出す。ここに追加の人間を送り込んできたくらいだ。どこかで見ているんだろう。振り返った足元には、床一面に大きな魔法陣が書かれている。


――教会内で行われていたのは、洗脳魔法の増強と補強だった。

そもそもゾンビ化の原因は、騎士団に扮したラードが持ち込んだ治療薬だ。薬の中ではなく、瓶にかけられた洗脳魔法は口を付けたり、瓶に触れたりするだけで洗脳にかかってしまう。

洗脳魔法は闇魔法の最たるものだ。闇魔法は夜になると、より強い効力を発揮する。その魔法をかけたのが――例の少女だ。

(水晶が割れ、魔力は霧散した。本来なら魔法も消えるはずだが……)

こうして教会で魔法の増強と補強を行っていれば、消えないどころか進行するのは当然だ。


「面倒なことをしてくれたな」


サイモンはすぐさま魔法陣の稼働を停止させると、魔法陣を一掃した。そして、新しく魔法陣を書き始める。

その作業は意外にも細かく、夕方近くまで及んだ。その間にトトからは『ふざけんなバカ。それくらい自分で集めなよ』という小言と、『明日、梟を送る。あとは自分でやって』と投げやりの文が届いた。梟の爪切りが入っていたので、本気で言っているらしい。ケチな奴だな。


同時に、ヤコブからも返事が来ていた。

裏切り者のラードたちの行方を捜しに行っていたヤコブは随分遠くにいたらしく、『さすがサイモンさんっすね! すぐに行くんで待っててください!』とやかましい返事が返って来ていた。ダメ元で水晶を集めてきてくれと書いて、文を返す。

(まあ、無理だろうけどな)

呟いて、サイモンは作業に戻った。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?