目をぱちくりさせて、イヴは目の前に現れた見慣れない男に注目する。たばこの香りと、何かが焦げたような匂いがあたりにただよった。
「ど、どちら様ですか……?」
戸惑う彼女を見て、男は束の間逡巡し、そして自らの手を顎下に伸ばす。アリシアの隣で、「あっ」と何かに気付いたらしいレナルドが声を発した。
めりめりとも、びりびりともつかない、何かの剥がれる音。それは、魔法による化けの皮が剥がれる音だ。
群衆が騒然となった。さっきの、イヴの発言に注目した時とは比べ物にならない。化けの皮を剥がして真の姿を露わにしたのは、村人達が常日頃から信頼を厚く寄せる男、レナルドだったのだから。
「どういうことだ!」
「レナルドさんが二人⁉」
口々に驚きの声を上げる村人達を、姿を明かしたばかりのレナルドは気にもかけず、じっとイヴの姿を見つめていた。
「その話、本当なのか。イヴ……」
さっきは化けの皮の魔法の効果で別人の声だったが、今度は紛れもなくレナルドの声だ。全く同じ問いを繰り返し、男はよろよろとイヴの元へと歩み出す。
「なぜだ!」
鋭い声。それは、レナルド──アリシアの隣にいるほうのレナルドの激昂によるものだった。
「なぜ貴様がここにいる! その魔法を誰にかけてもらった⁉」
アリシアの横に立つレナルドは広場の中央からぐるりと周囲を見回す。
「ルーガだな⁉ こんな指示は出していないぞ! それとも裏切ったか⁉」
鼻をひくつかせ、裏切り者の狼獣人の匂いを探そうとする。だが、レナルドの姿のままではうまくいかない。チッと舌打ちして、彼も顎下に手をかけて魔法による化けの皮を剥がし始めた。
(やっぱり……!)
すぐそばで、アリシアは魔法の解呪を目撃する。村の代表を任されていたレナルドは、やはり偽物だったのだ。
顔周りの皮が剥がれたことで魔法が破られ、レナルドに化けていた彼の変身前の姿──獣人としての全身が露見する。体中を覆う黄色い褐色の獣の毛には、黒い斑点模様が付いている。まるい立ち耳。前方を睨む漆黒の目。低い鼻。骨をも容易に噛み砕ける顎。口元からは白い牙がのぞく。狼にもひけをとらないハント能力を誇る、ブチハイエナ型の獣人だ。魔法が解けたことで、服装の見た目も変わる。ハイエナの彼は焦げ茶色の裾絞りのズボンに黒・白・オレンジ色を組み合わせた幾何学模様の大ぶりの上衣を合わせていた。正体を明かした獣人に驚いた村人達がまたもざわめき、どうも穏やかでない状況に逃げ出す者も出始めた。
「ルーガ! そっちだな!」
言うが早いか、レナルドに化けていた獣人はその嗅覚で群衆の中から目的の対象を捕捉する。強靭な脚力によって駆け、蜘蛛の子を散らすように群衆が逃げようとした。
アリシアは広場中央の男女の様子を一瞥した。姿を明かしたばかりのレナルドはがくりと膝を突き、それを支えるようにイヴが抱きしめている。群衆の中から駆け出してきたニナがすでにイヴ達に寄り添っていて、アリシアと目を合わせるや頷いた。アリシアも即座に頷き返す。
(ニナ、こっちはお願いね)
側付きメイドにアイコンタクトでそう呼びかけてからハイエナ型獣人を追うべく走り出したアリシアだが、自分の向かうべき先はすぐに分かった。まるで目印のように、前方向かって左の位置にレオの頭が見える。
「お待ちなさい!」
アリシアがその場に着いた時、やや遠巻きにしつつも人だかりに見守られる形で、すでに彼らは睨み合っていた。ハイエナ型獣人、狼型獣人、そしてその両名の間に挟まる形で双方を強く牽制するように立つライオン型獣人。 狼獣人は灰色の毛皮で、以前キャスの家の敷地で見かけた時と同じ着古した服を着ている。例の自警団の中で一番の中心人物のように感じられた若者だ。傷跡のある片耳に銀色のイヤーカフを付けているのが印象深い 。王都ではこんな風に獣人達が相対する様子を見かけることはほとんどないから、まるでこういう筋書きの芝居でも見ているような気分だとアリシアは思った。近付いて来たアリシアに向かって、ハイエナ型獣人が「よくもコケにしてくれたな!」と吠える。
「それはこちらのセリフですわ!」
アリシア本人も驚くほどすらすらと、舌戦慣れした言葉が飛び出してくる。
「領主を欺いて村人に成り代わっておいて、何をいけしゃあしゃあと!
不審者情報をでっち上げ、自分の息のかかった自警団を村に引き込み、そこからなし崩しに人数を増やすつもりだったのでしょう⁉ 村の実権をいずれ名実共に自分達側で奪うために!」
「ルーガ! お前、どこまで口を割ったんだ! この単純頭の馬鹿野郎が!」
ハイエナ型獣人が狼獣人へ怒鳴るのを、アリシアが一喝する。
「そこまで! それ以上、ポーレット家の従者を侮辱することは許しませんわ!」
「は?」
思わず問うたハイエナ型獣人に、アリシアが答えた。
「こちらの狼型の
「つーわけだ、悪いな。アナヒェ」
ルーガに名前を呼ばれた、レナルドに化けていた獣人が「おのれ!」と吐き捨てる。