『バイバーイ! あっ、お名前は?』
リデルが挨拶しようとして、名前を尋ねる。
「リアムです。リアム・コルヴィス」
『あむ……びす?』
言い慣れない音の連続に詰まるリデルに、「リアム、よ。リアム・コルヴィス先生とおっしゃるの。リデルと同じ「リ」の音から始まるのよ」とアリシアが助け舟を出した。リアムの小さな咳払いが、通信先から聞こえる。ひょっとしたら、アリシアが名前を呼んだ結果の動揺だろうか。
『リアム!』
朗らかに名前を呼ぶリデルに、「せ、先生とお呼びしてね」とアリシアが付け加える。
「構いませんよ。ではまた、そちらの時間がある時に」
通信が切れる。蝶の形をした金属の
名残惜しそうなリアムの言葉の響きが、令嬢の耳の奥に残っている。きっと研究や聞き取りを深められないからこそだろう、とアリシアは思おうとするのに、なまじリアムと結ばれたストーリーを知っているぶん、落ち着かない気持ちが長く続いたような気がするのだった。
『呼んで!』というリデルからのリクエストに根気よく付き合っているのは、ワント出身のライオン型獣人貴族であるレオ・マンジュだ。
「リデル」
「もう一回呼んで』
「リデル」
『もっと呼んで!』
「リデル」
レオに向かって何度も何度もリデルがせがむのを、「それくらいになさい」と、灰色の薄いウール製ワンピースに革靴を履いたアリシアがたしなめる。畑に入るべく、アリシアは服を着替えていた。レオは「これくらいのこと、構いませんよ」と言うが、アリシアは首を振った。
「いいえ、さっき昼食の時間も、ニナにさんざん名前を呼んでほしいとねだり倒していたのですもの」
アリシアの言葉に、狼獣人のルーガも同調する。
「そーだそーだ、あんまりガキを甘やかしてもいいことねーぞ」
『リデル、ガキじゃないもん! 妖精だもん!』
「こーんなちびこいんだから、ガキだよガキ」
今、アリシア、レオ、リデル、ルーガはピオ村の管理する畑に来ている。畑といっても、すでに作物が実っている畑ではなく、休耕地となっている土ばかりの畑だ。アリシア達は、ここで待ち合わせをしているのだった。
「アリシア様ー!」
聞こえた声に振り返って、令嬢が手を振る。
「キャス!」
空色の髪を揺らして、少女が駆けてくる。ルーク・ロックフォードの双子だという彼女の笑顔は、見れば見るほどアリシアが幼少の頃から知るルークそっくりだ。髪には、以前アリシアがお礼をする気持ちの証だと贈った青いリボンをカチューシャのように編み込んでいる。
『キャスー!』
思いがけず妖精に名前を呼ばれて、少女はびっくりする。妖精はぶんぶんと手を振っていて、やって来たキャスが挨拶するように自分の指先を近付ける。
「こんにちは。ひょっとしたら、私の名前を呼んでくれたのはこれが初めてかしら?」
『えへへ。私もね、名前あったの! リデルっていうのよ!』
キャスが「リデルちゃん、ね。素敵な名前!」と言うと、妖精は得意げに胸を張った。
『ふふ、そうなの! リデルちゃんなの!』
その様子が可愛らしくて、キャスがくすくすと笑う。
「リデルちゃん、何だかおしゃべりも前より上手になってるね」
キャスの父親は少し緊張ぎみだ。「お嬢様! お待たせしました!」と一礼する。すでに畑に集まっているアリシア達を見て、地主の令嬢との約束に遅れてしまったかと心配になったのだろう。
「いえ、時間通りですわ。何の問題もございません」
「思えば、キャスを連れて来てくださった時には動転していてご挨拶もろくにできていませんでした。キャスの父親です、ディーゴと申します」
「ディーゴさん、ですね。ご協力感謝いたします」
挨拶の後、父親は少々声をひそめてアリシアに話しかける。
「あの、お付きの女性の方がお持ちになったお礼についてですが、受け取ってしまいすぎではないかと……! むしろこちらこそキャスを助けてくださったのに」
「いいえ、領民の危険を除くのが領主の務めですし、キャスを救出することによってあの子がわたくしに親切にしてくれた優しさが損なわれることは微塵もありませんわ。どうぞそのままお受け取りになって」
笑顔でそう言うアリシアに、キャスの父親は「では、今回はありがたく……。私共にできることがあれば、何でも協力させてください」と頭を下げた。
さて、あらかじめ約束していた面々は揃った。全員が何となくアリシアが話し出すのを待つ。その雰囲気を察し、令嬢が一同へ会釈した。
「お時間を頂いてありがとうございます。皆さんにお力を借りたいと思ったのは、他でもなく、このピオ村の経営悪化の原因となっている農業のためです」
アリシアは、一人ひとりと目を合わせてゆく。
「わたくしは領主の娘ではありますが、実地の経験は不足しています。少しでも暮らしやすいピオ村を実現するために、どうかご助力ください」