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第18話 真の調和〈4〉

(元々のアリシアの物怖じしない性格に助けられた部分はあれど、とても不安ではあったわね。だけど……)

 不意に、テコナを発つ直前の夜半を思い出す。アレチ座の公演打ち上げが終わって、静まり返った深夜の食堂を。

 あの時、おそらく何の遠慮もなく存分に、初めて自分は不安を吐露したのだ、とアリシアは振り返った。荒唐無稽な話を聞いて半信半疑であってもおかしくないのに、それでも受け止めてくれたレオの表情や言葉の記憶が令嬢の頭の中を埋め尽くす。その刹那に、さっきの喪失感がさらに強まってアリシアの心を苛んだ。

(……す、すごく……落ち着かなくて……息が苦しいような、胸が痛いような……)

 何だろう。感動的なストーリーに心を揺さぶられる感覚を何倍にもギュッと凝縮したような息苦しさ。でも不思議なことに不快ではない、と令嬢は思う。あの夜に感じた安堵が、今この瞬間にも自分をしっかりと包んでいるのだ。

「……マンジュ卿」

 ごくごくささやかなボリュームでその名を口にして、自分でそんな風につぶやいておきながら、アリシアは飛び上がらんばかりに「エッ⁉」と素っ頓狂なトーンで叫んだ。体は妙な緊張で縮こまってしまっている。

「えっ、えっ⁉」

 今、自分がどんな気持ちでレオの名前を呼んだのか、突然客観視してしまってアリシアは混乱した。

「これって……まさか……! わたくしはマンジュ卿を……」

 口元を手で覆い、アリシアは顔を赤らめて動揺する。

 つま先が浮いているような、思考がまとまらないで高揚する感覚には多少なり覚えがある。人前で褒められたりだとか、過剰にときめきを覚えたりだとか、逆に大恥をかいてしまったりだとか……。

「わたくしはマンジュ卿を、いつの間にか……」

 いつの間にか好きになっていたらしい、と気が付いて、なかなか容易には受け入れられない。

「そ、そんなの、わたくし、だって、全然……」

 誰に言い訳するわけでもないのに、つらつらと言葉が唇から零れ続けてしまう様子は早口オタクそのものだ。

「だって、そもそも推しはジェイドで、獣人ケモキャラ好きってわけでもなかったし、そ、それに元々のわたくしはケイル王子と婚約していた身ですし、別に誰かと恋愛しようとかそんなつもりなんて……!」

 その瞬間、ふと優子の学生時代の記憶がフラッシュバックした。

 ──そんなつもりなかったんだけどさ。

(……あれは、わたくしの……わたくしの言った言葉だわ……。今さっき、口走った内容とよく似てる……)

 鮮明に思い出されてくる。当時、優子の妹・美結と共通の友人が、『魔奇あな』を遊んでみないかと姉妹にソフトを貸してくれたのだ。

 美結は「ケイルが一番カッコイイかも」と言いつつ、ゲームプレイにはそこまで積極的ではなく、「お姉ちゃんやって」と隣で優子がプレイする画面を見ていた。妹が話の展開を楽しみにしてくれるのが何だかんだ嬉しくて、姉妹でストーリーを追いながら優子はゲームを進行させていたのだ。思えば、優子がジェイド推しになったのは、美結がケイルを好きになって、じゃあ自分はお姉ちゃんだから、みたいな心理も働いていたような気がする。

(ああやって遊び始めた時、別にゲームにそこまでのめり込むつもりなんて、なかったな)

 でも、ゲーム全体の雰囲気やビジュアル、ストーリーにすっかりやられてしまったのだ。メインシナリオを遊び終わってソフトを友達に返したあと、優子は自分でソフトを買って、各キャラ攻略のシナリオをやり込んだ。

 多感な時期に大いに影響を受けたのだ。社会人になってからも作品タイトルの話題を見かけたらついついチェックして、アプリ版のリリースを楽しみにして事前登録するくらいには。

 いろいろ思い出して、アリシアは少しずつだが気持ちの整理がついてくる。

「最初はそんなつもりなかったって……そういうものなのよね、きっと沼落ちって」

 最初、といってもアリシア自身が初めてレオを見かけた記憶は、優子の意識と重なる以前のものはやや記憶の彼方でぼんやりしている。異種族だと見下していた感覚はあるから、とんでもなく無礼だったことだろう。

「でも、そんな無礼なわたくしにも親切になさってくれたわ……」

 回想するのは、本来のアリシアの魂が断罪されて肉体から追放されて以降の場面の数々だ。

 アリシアの魔法が暴走した時。

 ケイルから婚約破棄を言い渡されて王家に歯向かう態度だと誤解された時。

 ピオ村で、不審者対策の見回りや土壌改良のために力を貸してくれた時。

 森で大蜘蛛のアラーニェと対峙した時。

 テコナの街のバザール併設の芝居小屋で、一緒にアレチ座の舞台に立った時。

 自分の人格は他の世界からやって来たのだと、自分の抱えていた事情を打ち明けた時……と、回想できる場面は数え切れないほどだ。中でも、舞台で美女と野獣の物語を下敷きにしたシーンを演じた記憶やその時の感情は、今のアリシアにとって強烈すぎた。

「けっ……軽々にも、あの時のわたくしは、まるでマスコットに接するかのように、あのマンジュ卿の柔らかく温かでふわふわのたてがみに……!」

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