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最終話 冬立つ終幕〈2〉

「お、お願いさせて頂こうかしら……」

 アリシアがそう応じかけた瞬間だった。群衆が歓声を上げ、アリシア達はその音の波を受けてとっさに身構える。何事だろうかと考える必要はなかった。目の前に、臣民達が厚く信頼を置く人物が佇んでいたからだ。

「……ジェイド……」

 アリシアがつぶやく。ロアラの第一王子は、きびきびと、しかし優雅さを交えた所作でアリシア達の元へと歩を進めた。

「ポーレット嬢」

 金髪で、白を基調としたトレードマークの礼服を着こなすジェイド。元の世界の優子にとって、ゲーム『魔法も奇跡も貴女のために』の中でもっとも愛着のあるキャラクターだ。その彼が、いささか動揺しながらも誠実にアリシアへと言葉を尽くす。

「怪我は……もう癒えているというのか? 治癒の魔法を?」

「えっ、ええと……よく分からないのですが、多分もう回復しているみたいです……!」

「そう! 怪我してないよ!」

 無礼を働いてしまいそうなリデルをレオがさっと引き寄せて、ジャケットの内側へ隠すように自分の傍らへ導く。その動きをフォローするべくアリシアが素早く足を斜めに揃えてステージ上に座り直し、立ち上がれないながらも礼を失しない姿勢を取った。アリシアが立てない事情を察したのか、令嬢と視線を交わすためにジェイドが少し屈んで「そのままで。楽にしてほしい」と囁く。「はいっ」と答えるアリシアの声が上擦った。

「ポーレット嬢。全ては私の責任だ。加えて、自分は浅慮にも、君に命を救われるなどと、正直なところ思いもしなかった。婚約破棄を不満に思いこそすれ、私を庇うとは」

(ひ~っ、きょ、距離が近いよぉ! 福利厚生が充実しすぎてる! ビジュが良い……っ!)

 アリシアは真剣に話を聞いているのだが、いかんせんミーハーな気持ちが邪魔をする。妙にどぎまぎしてしまって、彼女はレオが自分達を複雑そうな表情で見つめていることに気付くこともない。

 ジェイドは、過去にアリシアの存在を軽んじたことを心から悔いていた。

「どうか、さっき君を傷付けたことも、いたずらにかつての君の名誉を棄損したことも詫びさせてほしい」

 ジェイドが一言話すごとに、キラキラとしたパーティクルエフェクトが目の前を舞っているような錯覚がして、アリシアは頭がくらくらする。ひと昔前のサブカル的表現ならば、精緻な描き込みの点描や薔薇を背負っているページと表現するのがふさわしいだろう。

(何て誠実なの、ジェイド……っ。こういう、身分を越えて筋を通す人柄、ほんっと推せる……!)

 「そんなこと、ありません……」と返答するのが、後方腕組み古参目線の今のアリシアには精一杯だ。それでも気になって「あの、ケイル様は大丈夫ですか? 良からぬ輩が、ケイル様をそそのかしたようなのです」と申し出る。

「……ケイルは、さっきよりは落ち着いているよ。少し下がらせて様子を見るつもりだ。

 君が何か知っているなら、ぜひ知恵を貸してほしい」

 ジェイドの目は真剣だ。さすがは、いずれこの国を背負う兄弟王子である。アリシアは「はい。もちろんです。お役に立てるか分かりませんが」と慌てて答える。

 ジェイドは、そんなアリシアをわずかな時間見つめてからすっくと立ち上がり、また口を開いた。

「……これはまだ父上や母上にも伝えていない、私個人の考えなのだが」

 前置きしてから、ジェイドが一瞬言いづらそうに、しかし決意をもって申し出る。

「ケイルとの婚約は破談となったが、代わりに私から君への求婚を考えている。ポーレット家の名誉回復と、恩人である君へ報いる感謝として、今の私にできる最大の鄭重ていじゅうだ。アリシア」

「え……⁉」

 アリシアは予想外すぎる急展開に、あたふたと言葉を探した。

「あ、あの、わたくしは……」

 その時だった。強い一陣の風が吹き通って、アリシアの髪を揺らした。

(今の……)

 先ほど自分達の周りに集め始めていた、レオの風の基素エーテルだとアリシアにはピンとくる。同時に、前にもこういう風を浴びたことがある、と不意にアリシアは想起した。

(そうだわ、あれは……)

 グラセリニ邸で婚約破棄を言い渡されてしまった日だわ、とアリシアは妙にはっきり思い出す。

(あの時、マンジュ卿と二人きりでテラスでお話していた時にも、今のような風が……)

「──畏れながら、殿下」

 レオだった。ライオン型の獣人は、アリシアの隣へ跪き、ロアラ国の第一王子へ拝礼する。柔和な雰囲気は残したまま、一切意志を曲げないような頑(かたく)なさを帯びたトーンで、レオの声が空気を震わせた。

(マンジュ卿⁉ そ、そんな表情……!)

 つい今まで、ジェイドに対する感慨で胸がいっぱいだったアリシアは、突然心臓が勢いよく跳ねるようなときめきに襲われて息が苦しくなる。種類の異なる感情に大きく揺さぶられて、アリシアはちょっと冷静ではいられない。そのわずかに頬を染めてうろたえる様子を、アリシアがずっとジェイドを密かに思い続けていると勘違いしているレオは、見ていられなかった。口を挟んでしまう。

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