約束の時刻までに、あとわずか時間が残っていた。集合場所の馬車待ち合いにはすでにアリシア、リデル、ターキがいて合流する。ベンチにアリシアとリデルが座り、その側にすらりと背の高いターキが控えている。
「ただいま戻りました! リデル様、お加減はどうですか?」
ポーレット家としてリデルの面倒をみると現当主のジョージが決めた時から、ニナはリデルに敬称をつけて呼ぶようになった。リデルとしては少し慣れないようだが、ニナは譲らず、令嬢付きの仕事に加えてリデルのサポートも引き受けている。
「うーん、まだちょっと頭は重いんだけど、ましにはなったかな……」
こめかみのあたりに指先を添えてリデルが答える。その傍らで、エリックがターキに話しかけていた。
「あの、親父、あと少しだけいいかな。すぐ戻るから」
息子が小さく指差した先に、馬車待ち合いの客向けの
「なぁに、これ」
「干したナツメの実とかぼちゃの種です。俺はあんまり詳しくないけど、店の人に酔い止めの薬効があっておいしいって聞いたから」
気の利いた差し入れに、アリシアも礼を言う。
「ありがとう、気を遣わせてしまったわね。
リデル、こういう時は何て言うのだったかしら?」
少女に促すと、リデルは小さく首を振った。一瞬、一行の間に、おや、という心配な雰囲気が満ちる。
「ううん、先にお名前を聞きたいわ。お友達になりたいもの!」
あまりに素直な返答で、年相応に仏頂面が板についてきていたエリックも思わず破顔した。
「俺はエリックです。リデル様」
初めて、幼い主人の名前をエリックがはっきりと呼ぶ。
「エリック! ありがとう!」
リデルは顔をほころばせ、アリシアもにっこりする。そこでターキが「では、馬車を回してきます」と席を外す。ベンチではアリシアが、ナツメの実は種を外してから食べることをリデルに教えている。
「ニナ」
エリックが、さっきと同じ小さな包装をニナにも差し出した。
「えっ?」
思いがけない流れにニナは目をしばたかせ、エリックが「さっきの見立ての礼。それに、こないだのお前の酔い方ひどかったから」と再び包みを示す。
「いやはや、私にまですみません……」
頭を軽くかく仕草をしてから、ニナが紙包みを受け取った。
「ありがとう、エリック」
ニナからの感謝に対する少年の答えは「別に」とそっけなく、馬車回しの向こうにターキの姿が見えたので駆けて行ってしまう。
アリシアはその一部始終を見ながら、周囲の者達に恵まれた今の環境を噛みしめていた。この世界で生きると決めた自分にできることがきっともっとあるはずだ、という確信がある。隣のリデルの頭を撫でながら、これからの荘園運営を思うのだった。
木枯らしが吹く中、アリシア達は夕刻にピオ村に入った。しばらく留守にしていたからポーレットの別邸は埃まみれではないかと心配していたニナだったが、留守を任されていたルーガが意外にちゃんとしていたらしく、大掃除は不要だった。一夜明けた今日、ターキとエリックは王都へ戻り、アリシア、ニナ、リデル、ルーガの四名でレナルドとイヴの家に向かっているところだ。季節はすっかり晩秋で、見かける木々の葉は気温の低下に合わせて黄や赤の色が目立っている。低い空に、小さな雲の塊が連なっていた。
「アリシア様!」
大通りを歩いていると、前方にこちらへ手を振る人影が見える。淡い水色の髪色の少女。キャスだ。
「今日来られるとルーガさんに聞いていましたから、ここで待っていたら会えるはずと思っていたんです!」
挨拶をしてから、キャスは「ああ! こちらが、リデルちゃんね⁉」と妖精だったときの彼女を思い出して声を上げる。
「キャスだぁ! ひさしぶりーっ」
「ルーガさんから聞いてはいたのですけど、本当にアリシア様そっくりですねぇ!」
手を取り合ってきゃっきゃと笑うリデルとキャス。その微笑ましさに、アリシアとニナは目を細めた。
キャスも合流し、レナルドとイヴの家を目指す。ピオ村の大通り沿いを初めて訪ねた日が懐かしい、とアリシアは思った。やがて、目的の家の前にたどり着く。隣家と壁を共有して列をなす形式の、よくある長屋だ。軒先のU字蹄鉄を象った木の看板の下に、無垢材の看板が新たにぶら下がっている。一週間ほど前の日付と「タチェ」という男児の名前が刻まれ、白いリボンが飾ってあった。子供が生まれたことを周囲に知らせる風習だ。
アリシアが、ドアに付いている金属環でコンコンと少し控えめなボリュームでノックする。ドアが開きかけたタイミングで「おめでとうございます!」とアリシアが満面の笑みで、持参していた祝い花のリースを掲げた。
「ア、アリシア様……」
令嬢を出迎えたのは、レナルドでもなく、イヴでもなく、およそアリシアの予想できない相手だった。
「……マ⁉」
(マンジュ卿⁉)
ピオ村にいるとは思いもしなかったライオン型獣人が、アリシアの目の前にいる。レオは、貴族としての大仰な正装ではなかったが、きっちりとジャケットを着ていた。