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第59話 見えない傷跡

「いいじゃないですか。ちゃんと『練習』しないと、本番にどういうメイクをするにしたって、確実にその練習は必要でしょう。打ち合せの時間なんて、そう何度もとれません。ちゃんとこういう時間を有効活用したほうがいいですよ」


アルは口先だけでは最もな事を言った。その実際はどういうことを考えているのかななんて、桃花にはわからない。

ただ、京志郎を挑発して面白がっていることだけは、その言動からしても理解できた。そしてそれが挑発だとわかっていたとしても、それでも京志郎は拒絶できないということもよくわかっているらしい。


「……言っとくけど、あの時の俺と違うからな色々と場数を踏ませてもらった。結構やばい仕事もやったんや。あんたの顔かてどんなになっても知らんぞ?」

「かまいません。それともいっそ、お得意のゾンビメイクをしてみますか? あなたの入り浸っているクラブは、そういうのがけっこう流行ってるようですし。桃花には少々刺激が強いようですけれどね」

「……いつの間に調べたんですか、それ?!」


どうやら桃花が京志郎と会っていたクラブさえも、彼はわかっているようだった。

そんな恐ろしいほどの収集能力に桃花もまた驚かされてしまう。ここ1週間は何もお礼ができないと言っても、それで構わないと言いつつ、普通にこの会社に来て一緒に事務仕事をしてくれていたのである。そんな状態のアルがそんなことを調べるタイミングがあったとは到底思えないのではあるが。


「いろいろとやり方はありますからね。例えば、そうですね……聞いてみたいと思いますか?」


桃花ににこやかに機嫌よく話しかけるアルに素直にうなずくことができなかった。もしもここで聞いてみたいなんて言ったら、何を言われるのだろうか。


(というか、そういう手段に詳しいのって、やっぱりストーカーに付けられていたときに、自分でもいろいろ覚えたとか、そういう話なんだろうか?)


嫌なことまで想像してしまって、また背筋がゾクリと寒気がした。

なんだか、アルの過去を知ってしまったがために、彼がどういう気持ちでそういう風に話をしているのか、なんとなくであるが察してしまうところがあって、それがすごく自分の中で引っかかるのだ。


(放っておけない、とも言えるんだろうけれど)


 単に不気味とか不穏とかそういうものとは、また違うのだ。

 なんだかアルをそのままにしておけないと思ってしまう、そういう感情がずっと渦巻いている。目を離したら、そのままふらっといなくなってしまいそうな。そんな不安感を桃花はアルに抱いている。自分でもそんなことを思うなんて、おかしいことだとわかっているのだけれど。


「そないなもん、聞きたいと思うわけないやろうが! それよりも、ほら、さっさと顔を貸せ。お前、スキンケアきっちりやっとるやないか、ほんまムカつくなあ」


 そう言いながら、京志郎はちゃんと自分の手を会議室のすみにある流しで洗った後に、アルの顔に触れてその肌の状態を探ってきた。そういう手付きはちゃんと真剣で爪を立てないようにしている。

 よくよく京志郎の指先を見てみると、ネイルはされていて、派手に見えるが、その爪の先は全く伸ばしていないのである。


(ちゃんと自分の爪でせいで傷ついたりしないように、そういうところには気を遣っているんだ)


 桃花にも彼の気遣いがわかるようだった。


「化粧品は何使ってるん?」

「傷跡を隠すためのコンシーラーと。それからファンデーション、少し後は基本的には扱っていないですよ。あんまり使っているとけばけばしくなってしまいますからね」

「はっ、言うてろや」


 その間にも仲が良いのか悪いのか全くわからない会話が繰り広げられている。

 そんな間にもさっさと京志郎はメイク落としを用意して、すぐにアルの顔を拭いていく。その時にも無理に擦ったりはせずに、どちらかと言えば傷つけないように配慮しているのがわかる。


「はっ、えっぐいなあ。こないなもん、普通にコンシーラーだけで隠し通せてる。自分化けもんやで、ほんまに」

「っ!!」


 思わず、桃花は声を上げそうになってしまった。

 アルの顎の下あたりには、言われなくてもわからないことではあるものの、それでもはっきりと傷が残っていたのである。そんなところは見ていなかったからわからなかったけど、しかし明らかに真ん中の手術をしたであろう痕が、そこにはくっきりと残っていた。


「驚いて声を上げてもらってもよかったんですけどね」

「……それが、その、襲われた時にできた傷なんですか?」

「はい。手術でほとんど消せたはずなんですけれど、それでもやはり多少は残ると言われていまして本当に残りました。まあ、それでもかなり薄くなった方ですよ」


 アルはそれに対して、特に気にしていないかのような発言をしてくる。感情がそこにこもっていない。どこか他人事のような話し方をしてくる。


「最初の時はもっとひどかったんや、これ」


 京志郎は逆に自分の事のように、顔を歪ませてぽつりと言った。


「俺は病院の外側でしか見られへんかったけど、それでもひどいってわかった」

「そういうことをバラさないでいいですよ。ほら、早く始めてください。せっかく落としたのに、やる気がないなら、僕はそのまままた、同じように化粧するだけですよ。これから衣装の合わせの方も来られるんでしたら、その方にこんな傷を見せるわけにもいけませんからね」

「うるさい、わかっとるわ」


(本当に対照的な二人なんだな)


 そんなチグハグのやりとりを見ながら、桃花は呆然とすることしかできなかった。

 もちろん京志郎は突然消えてしまったアルのことを口では厳しく言っているものの、それでもこうやって化粧をしているところを見てみると、やはり彼自身がアルと仕事をするのを心から拒絶しているわけではないとわかる。逆にアルは穏やかに煽っているだけに見えるが、何かを見極めようとして言うにも感じるのだ。

 まるで、かつて桃花にしていた時のように。


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