「ほら、やったらまずは保湿したるから、目を閉じとけ。あと、ここからはおしゃべり禁止や。あんま話すと化粧がよれるからな」
一応ケープ代わりのタオルを首に巻いて、化粧水を手に取る京志郎。
それに今度は煽ることなく、アルも従う。
「……」
それを見ながら、桃花はこの角度で髪を上げてもなお綺麗な顔に思わず見惚れていた。
確かに「櫻木昴」とは輪郭がやはり違う。それでも、顔のパーツの配置は完璧で、しかも傷さえ隠していたら、肌荒れもほとんど見られないのである。しかも保湿液を塗るために、目を閉じたときに強調されるまつげがまた長く、明らかに桃花よりも、なんなら化粧をしてある程度マスカラやつけまつ毛などで強調しているであろう京志郎よりもさらに長いのだから恐ろしい。
(動画投稿サイトで地味な顔立ちをした女の子がとても可愛い感じになるのもあるけど、その真逆なんだよなあ……それも王子様らしいといえばらしいのかもしれないけれど)
「一つ、いいですか?」
「なんや?」
「桃花をもう少し近くに連れてきてあげられませんか?」
「え?」
こういう姿もきれいに整っているから、もしかしたら少しぐらい「作品」として撮ることができるかもしれないと思案を巡らせていた桃花は、自分の名前がいきなり呼ばれて動揺した。
アルの澄んだ瞳が、桃花にぶつかって思わず肩が揺れた。
「いえ、こうしているのも、彼女はなかなかと退屈しているかもしれませんし……そうでなければ、きっとどうやって写真撮影をしようか考えているところだと思うので、それならばぜひ近くで見ておいてもらったほうがインスピレーションも湧くかと思いまして」
「ええけど……そうなん?」
アルの言葉を信頼してもいいのか、迷っているように京志郎が桃花に改めて尋ねてくる。
それに桃花は頷いた。
こうしてアルがどうやってさらに綺麗になっていくのかを見ていくのは確かに楽しみだった。
「えっと、よろしければぜひ」
「わかったわ。せやったら、こっち座ってな」
そう言いながら京志郎は桃花が座りやすいように、椅子を引き出してくれた。その椅子に腰かけると、まるで桃花の緊張をほぐすように声をかけてきたのである。
「まあ言うても、今回はベースメイクだけやから、そこまでゴテゴテしたもせへんし、それにこいつ腹立つくらいに元がええから、そこまでいろいろせんでもええんよ」
それがまた気に食わないとでも、言いたげに京志郎は苦笑いを浮かべている。
その目元の黒いアイラインがわずかに歪む。
(京志郎さん……緊張してる……?)
その微妙な指先の動きが妙に気になった。彼がこんなところで緊張すると思えない今の今までこれだけの大口を叩いてきたのだ。そんなことしなくても、アルは逃げたりはしないし、別に抵抗するわけでもないだろう。それなのに、どこか指先に力が入っているような気がするのだ。
「僕にはそういう言葉をかけてくれないんですか?」
「お前にかけてどうすんねんな。それに、お前はそないなことせんでも慣れてるやろ」
「ふふ、そうですね」
すっと通った鼻筋、端正に並んだ睫毛、静かに閉じられた薄い唇。アルの王子様のようなその顔立ちは、まるで最初から完成された芸術品のようだった。
「始めるからな」
京志郎の指先が、淡い色合いのスポンジを手に取る。確かに緊張はしている。しかし丁寧に、そのスポンジが青年の頬を滑った。
下地に、コンシーラーを重ねて傷跡を消す。先ほどよりもその時点で、抜けるような透明感があった。彼の肌は驚くほど滑らかで、ファンデーションもまるで絹の布を纏うように馴染んでいく。余分なものは一切乗せず、ただ素の美しさを際立たせるために薄く、薄く。
(それだけで、印象が違っていく。傷跡がすぐに消えていって、しかもその後にファンデーションのせているだけなのに、肌が薄く透けるような感じがする)
いつものアルよりも透明感がある気がする。それがまるで。人間のものというよりかはどこか人間の形をした綺麗な存在のような気がしてしまう。いつか自分の目の前から聞いてしまいそうなほど儚い存在。それでいてしっかりとそこに存在しているかのような。そんな存在へと変えていく様を見ているような気がしてしまうのだ。
「目、少し開けるな」
京志郎の言葉にアルが静かに瞼を閉じる。メイクアップアーティストはブラシを持ち替え、彼の目元に淡い色のシャドウをのせていく。決して派手ではなく、それでいて目の奥に潜む光を引き出すような微かな影。筆先は迷いなく動き、そのたびにアルの顔が少しずつ変わっていく。
唇に薄くグロスが置かれると、わずかに光が反射して艶めいた。
「こんな感じやな」
「もういいんですか? もっといろいろ試してみてもよかったんですよ」
そう言われて、桃花もはっとする。時計を見てみるとアルの化粧の時間は実際には満たない短い時間になった。
だが、そんな短時間であっても、顔の印象はまったく違う。先ほども確かに美しかったが、今はどこか幻想的な雰囲気を纏ってしまっている。そんな風に化粧ができることは確かに、事実としては桃花も知っていたものの、だからといって、それを本当に実践できる人がいるとは思ってもみなかったのである。
「あんまりゴテゴテさせるんは、俺の趣味やない」
そういっている京志郎の額には、うっすらと汗が滲んでいた。そこまで緊張していたらしい。そうしてようやく落ち着いたかのように息をはくと。ゆっくりと自分の手からメイク道具を話して、そして全体を確認するようにアルの顔をじっと見つめている。