「もしかした写真を撮りたいなんて言うかもしれませんね」
桃花だけが「作品」を作りたいと思っているわけではないのだ。ほかの人たちだって、同じようにカメラマンとして自分の気に入った写真を撮りたいと思ってる人が大勢いるはずだ。
『いやですね』
「え?」
軽い言葉で言ったはずなのに、いきなり否定されて桃花は思わず聞き返してしまう。
アルは少し声の調子を落としてまた言った。
『僕は桃花に撮ってもらいたいんですよ。だからそういう人達にはお断りを申し上げておいてください』
その言葉に胸がざわつく。
嬉しいはずなのに、本当にいいのか、とそう問いかける自分が心の中にいる。
「……あの、いいんですか。そんなことを言って」
そもそもここまで話をしているが、アルは桃花が自分を納得させる写真を撮ることができなければ、「櫻木昴」として、また活動し始めると宣言しているのだ。
それがアルの一番大好きな人を傷つけ、アル自身も壊したストーカーたちを、また喜ばせる結果になったとしても、それでも構わないと彼は覚悟している。そんなアルがそんな言葉を言ってくれると思ってもみなかったのだ。
『ええ、これは本心ですよ』
それなのにアルは言ってくれる。
『僕は桃花以外に誰かに写真を撮ってもらいたくないんです』
桃花の一番欲しい言葉を言ってくれる。
『もちろん、それは僕の納得できる写真を一番撮ってくれそうという意味ですけれど』
浮足立たないように、最後にそうやって言葉を添えてくれる。
それがうれしかった。
「手厳しいんですね」
『そのほうが桃花が喜ぶかと思いまして』
きっとアルには見抜かれている。桃花が何を願っているかまで、アルにとっては手に取るようにわかっているのかもしれない。しかし、そうあったとしても邪魔しようとしない。もしかしたら自分のその計画が止まってしまうと思っていても、桃花の納得できる方を選んでくれている。
それが嬉しかったのだ。
『その代わり、写真を撮り終わったらもう一度、僕といっしょに付き合ってくれますか?』
「どこへですか?」
『それは全部終わった後のお楽しみということで』
まるで茶化すようなその台詞は?しかし、それが何であるのかを期待を持たせていて。
「いいですよ」
それに桃花は思わずうなずいてしまっていた。
「あかん、そういうのは絶対詐欺や」
二度目の会議は極秘会議だった。
アルには見られてはいけない衣装やメイクなどがたくさん集まるので、彼を呼んだりはしなかったのである。
そこで中百舌鳥京志郎は、アルと桃花の会話を聞いてはっきりとそう否定してきた。
「詐欺って……そんな大げさなものじゃないですよ。さすがにお互いの意思確認といいますか、頑張ってねみたいな……励まされたんだと思うんですけど」
「励ますだけで、わざわざこっちの生活監視しているようなタイミングで電話してくる方が恐ろしいやろ」
「……ま、まあ……アルはそういうところの妙な勘はありますが……」
「やったらやっぱり詐欺や!」
今日も派手な格好をしている京志郎は、また派手に叫んだ。
どういう心境の変化なのか、京志郎の髪は根元が白く、毛先に向かって緑になるのは同じだったが、髪の色がひと房だけ金色になっている。
「お姉さん、騙されたらアカンで。ほんまにあの男は、人の油断や弱みに漬け込むことを趣味としてような男や。そんな男がそんな風に優しいに言われたから言うて、靡いてもたら、ただの相手の思うつぼなんやで」
「ものすごい印象になっていますね」
京志郎にとっては、アルはとてつもなく警戒すべき男。
既にお互い正体がわかっている状態であったとしても、それはどうやら変わらないことであるらしい。
「当たり前やろ。あの男にどれだけだまされて思ってるねん。しかも面倒くさいことばっかりしよって。だから俺がここまでしてんのやからな」
「えっと、その頭のマネキンも、ですか?」
京志郎の手には人の頭部を模した模型が握られている。しかも普通の模型ではない。
どうやらマネキンの頭部に、人の皮ようなものをかぶせた代物であった。一見して見れば、人の頭部にさえ見えるようなそれぐらい生生しいものである。
しかもよくよく見てみれば、その目鼻立ちの位置は大体アルと同じなのだ。
そんなものをどこで用意してきたのか、桃花は京志郎が取り出した時から気になっていた。
「ああ。あの男は基本的な目鼻立ちの位置が整っているから、そこまでいろいろ弄らんでもよかったんや。そういう意味ではあの顔も、ええ仕事するんやけどな」
「ということは、特注とかですか?」
桃花もファッションフォトグラファーとして、マネキンがどれぐらい高いものであるのか知っていた。デパートなどでも当たり前のように存在しているマネキンではあるが、実際は恐ろしい値段がするものも少なくないのだ。
トルソーだけでも、数万円の値段がする。
全身のマネキンであるならば、数十万円のものだってある。
今回の人の頭部だけだが、特注である。それなら、そのマネキンはどれぐらいなのだろうかと、思わず桃花も勘ぐってしまった。
「ああ、お姉さんそこまで心配せんでもええで。これは豊かで手作りやから、そこまでお金かかってへんねん」
そういいながら、京志郎はマネキンの頭部をめくりあげる。
人の皮がめくれ上がっていると思うとグロテスクにも聞こえるかもしれないが、実際には単にゴムと樹脂でできたものがめくれあがっているだけなので、そうして作り物めいた場所を見せられると現実感が薄れた。
「え、そうなんですか?」
「まあ、こっちもメイクしてるだけあって、人の顔とかそういうのないと練習できへんやろ? やけどそのたびにマネキンなんか特注しとったら、そりゃ頭部だけでもものすごい値段や。だから、ある程度はこうやって自分で作れるようにしてねん」
「へえ、そうなんですね」
「そうやで。まあ見えへんとこでいろいろ練習してるっていうこっちゃ」
京志郎は桃花が面白そうに観察しているのが嬉しいのか、軽く胸を張って言った。