「だいたい、私たちはその、今回の仕事が始めてですし……」
「そう言うカップルって、気づかないうちにそうなってるパターン多いんだよね」
「そっすね〜、特に京志郎さん、桃花さんにめっちゃ信頼寄せてますし」
その言葉に、また桃花の心が大きく揺れる。
(そ、そんなこと……京志郎が、私に……?)
「で、でも、京志郎はそんなふうに言ったことないですし……」
「そりゃあ、言わないでしょ、あの人が素直にそういうこと言うわけないし」
「確かに」
二人は顔を見合わせ、楽しげに笑う。
「でもなぁ、京ちゃんってさ、意外と態度に出るんだよね。気に入ってない人にはあんなに優しくしないし」
「そうそう。ほら、だって、京志郎さんが自分から『桃花姉さんなら間違いない』とか言うの、聞いたことあるっすよ」
桃花はその言葉に、彼がそこまで言っていたと聞いて、桃花は不思議な感覚を覚えそうになって、慌てて頭を振る。
「もう、二人とも! からかうのはやめてください!」
真っ赤になった顔を隠しながら叫ぶと、右京と左京は笑っていた。
「でも、ほんとにありがとね」
「そうそう、感謝してますっす!」
「え……?」
いきなりお礼を言われて、何のことかと目を丸くする。すると二人は目を合わせて言った。
「何しろあの人はやる気のない仕事には本当にやる気がないですからね。そういう中百舌鳥さんがやる気出してくれたのは、うれしいんですよ」
「そういうこと。だからさ、京ちゃんのメイクも期待していてね!」
二人がそう笑った時だった。
「お待たせしました、桃花」
スタジオの扉が静かに開く。
そこに立っていたのは、もはや「アル」としての姿ではなかった。
「……アル、やっと終わったんです……ね……」
覚悟していたにも関わらず、言葉を失う。
目を引いたのは、その異形の美しさ。アルの顔の半分。
左側が、大きく変容していた。
まるで魔王か、あるいは神話に登場する悪魔のように、紫紺の色を帯びた肌。
高貴な紫の色合いが妖しく輝き、光の当たり方によっては金色にも見える。
美しく整った顔立ちはそのままに、しかしその半面だけは異世界の者であるかのような気配を纏っていた。
それは、ただ「美しい」だけではない。威圧的なほどの存在感と、背筋が震えるほどの気高さ。魔王と王子が一つの身体に宿ったかのような、圧倒的なオーラがそこにはあった。
「どう、でしょうか?」
アルが軽く微笑んだ。
その表情すら、まるで人間のものではないように見える。
理性と本能を併せ持つ魔の者が、こちらを優雅に見下ろしているようだった。桃花は息を呑んだ。
「……すごい……」
言葉にならなかった。
目の前のアルは、彼女が今まで見てきたどんな彼とも違っていた。
「そりゃあそうや、自信作やからな?」
京志郎がにや、と笑う。京志郎のメイクによって、アルの本来の美しさを引き出しつつ、そこに異形の神々しさを加えている。
彼の衣装もまた、それにふさわしいものだった。
深い漆黒のローブに、金糸で細やかな紋様が縫い込まれている。まるで中世の王族が身にまとうような、豪奢で荘厳な装い。
そして、左肩には紫紺のマントが掛けられ、その先端には黒曜石のような宝石が輝いていた。
足元は騎士のようなロングブーツ。
胸元には、まるで魔王の証のような漆黒の装飾が施されたブローチが光っている。
その姿は、もはや「モデル」という枠を超えていた。
舞台の上に降臨した王。
あるいは、魔王の戴冠式。
「いやあ、ここまで着こなすなんてねえ。ねえ、桃花、ほんとすごくない?」
「う、うん……」
感動したように目を輝かせている綾乃に、桃花は思わず息を呑む。
スタジオに広がる退廃的な雰囲気と、彼の姿にまったく違和感がない。
いや、それどころか、彼こそがこの世界の支配者であるかのようにすら見える。
「桃花?」
アルが、まるで彼女の反応を確かめるように顔を覗き込んできた。
桃花はハッとして、言葉を探す。
「……その、すごく……」
彼女はようやく言葉を紡ぎ出した。
「圧倒され、ます……」
アルの唇がわずかに持ち上がる。
「気に入ってくれたなら、嬉しいですね」
その声すら、普段よりも深く、どこか妖しく響く。魔王が囁くような、静かで威圧的な声だった。
「うわぁ、ほんとにすごいな!」
「京ちゃん、やるじゃん!」
後ろで見守っていた右京と左京が、興奮したように声を上げる。
「いやあ、我ながら、最高に仕上げたと思うわ」
「ほんと。これ聞いた時、合わせられるのかわからなかったけれど、ここまで仕上げてくるなんて」
綾乃の言葉に、京志郎が腕を組み、満足げに頷いた。
「そりゃあそうやろ。もともと整った顔しとるけどな、それだけじゃつまらんやろ? たっぷりといろいろと壊したろ思ってなあ」
京志郎は不敵に笑いながら、鏡の前のアルを見やる。
「どや、魔王になった気分は?」
アルは薄く微笑んだまま、ゆっくりと肩をすくめた。
「そうですね……まるで本当に、別の存在になったような気分です」
「ええやん。それでええんや」
京志郎は満足げに頷く。
「今日の撮影、最高のもんにするぞ」
右京と左京も、頷きながら興奮を隠しきれない様子でアルの姿を見つめていた。
だが、その場で一番強く、心を奪われていたのは、きっと桃花だった。
彼女は、アルの姿を改めて見つめ直した。
魔王のような美しさ。
それなのに、どこか儚げで、危ういほどに魅力的な存在感。
今この瞬間、彼は「アル」ではない。
モデルでもない。
この世界に実在する王のような存在だった。
(すごい)
桃花は思った。
これは、今まで見たどんなアルとも違う。そして、彼女の作り上げたこの空間でこそ、彼は最も輝くのだと確信した。
だからこそ、最高の「作品」にしなければならない。現実と虚構の中で、完全に完璧な「王子様」を撮りたい。
「……撮影、始めましょう」
桃花は静かに、しかし力強く言った。
アルが微笑む。
まるで、全てを見透かしたような微笑みで。
スタジオの空気が、一気に緊張感を帯びたような気がした。
しかし、桃花はそんな雰囲気にすら、興奮を隠せなかった。