そうやって破滅させるかもしれない状況を楽しむアルは、最後の懸念もまったく問題なかった。
「それでは最初はこちらを見て、珍しいものを見て、驚くかのような表情して……それから、手招きをお願いしてもいいですか?」
「ええ、わかりました」
アルは完璧に求められたものに応えていく。桃花が望めば、それ以上の役柄をこなす。
衣装だって決して軽いものではないのに、その先までもを見越しているかのような動きでアルは手を伸ばし、カメラに向かって笑いかける。
半分だけ異形の輪郭が歪む。
それがまた美しいのに、禍々しい。人ではない何か。
早く逃げなければいけないと本能が釣れるようなその姿に目を離すことができない。一歩でも動いてしまえば、そのまま取り込まれてしまいそうな、そんな印象を受ける。
「すごい……あんな衣装で……あそこまでなんて……しかも、本当に人じゃないみたいな」
それに綾乃もじっと見つめている。
隣で京志郎が「ほんま、あれだけぐちゃぐちゃにしてやったのに、ここまでの演技、仕上げるか」と憎々しげにつぶやいていた。
「まあ、そりゃそうやわな」
「え、何かあるわけ?」
綾乃は思わず京志郎に聞いた。
一応メイクアップアーティストとしてかかわるので敬語の方がいいかと思ったが、京志郎は「桃花お姉さんが勝手に気を使って敬語にしてるだけやから、軽くしゃべってな」と言われた。
「あいつの場合は、顔立ちが整いすぎてるからな。最初に普通の化粧やったらシミとか肌のトラブル隠すんやろうけど、逆にあいつの場合は『粗』がないから、そのままそれを強調するようにするんや」
「えっと、それはコンシーラーとかってことですか?」
「そう。あいつは本来、ほとんど化粧なんて本来せんくてもええんやけどな。それをあえて化粧して、あいつの人間離れしたところを目立たせる。それから衣装に合わせて肌の色も人ではない色にする」
京志郎は腕を組みながら、アルをじっと見つめる。その目はどこか職人のそれに近かった。
「ほら、普通のメイクっていうのは、基本的に“補正”するためのもんや。クマやシミ、肌荒れを隠したり、顔立ちをはっきりさせたり、光の加減で立体感を出したりな。せやけど、アイツの場合は、元の顔立ちが整いすぎてて、そのままでも充分すぎるほど完成されとる。」
「……確かに」
綾乃はアルの横顔を見つめる。彼は撮影の合間に何気ない表情を浮かべていたが、それすらも彫刻のように美しかった。普通の人間ならコンシーラーやファンデーションで「隠す」部分があるはずなのに、彼にはそれが一切ない。
「だからな、隠すんやなくて、むしろ作るんや」
京志郎は指を立てて続けた。
「アイツの顔は、そもそもが非現実的なバランスしとる。せやから、それを逆手に取るんや。人間味を減らして、逆に異質な印象を強めるように、化粧を施す」
「……ふうん、それであそこまで人間じゃない感じになってるわけなんだ」
「例えば、普通のメイクやったら、ハイライトを入れるところを逆にシャドウで落としたりする。鼻筋や頬骨のハイライトは敢えて控えめにして、骨格をよりシャープに見せる。眉毛も、しっかりとした形にせんと、不安定な角度をつける。そうすると、『なんか違和感あるな』ってなるやろ?」
「……言われてみると、確かに。普通ならメイクでバランスを整えるのに、あえてバランスを崩すような?」
綾乃は化粧については、プロではない。勿論毎日化粧しているから何も知らない。その辺の男よりは確実に知識はあるのだ。
しかし、こうして京志郎と話をしていると、それ以上なのだと痛感させられる。
「そういうことや。バランス崩すって言うても、ただ滅茶苦茶にするわけちゃうで? ちゃんと計算して、どこを強調するか、どこをあえて削るかを見極める」
京志郎は少し得意げに続ける。
「それから、肌の色も重要や。衣装が異形っぽいなら、それに合わせて肌もちょっと普通じゃない色にする。せやけど、単に白塗りするだけやったら、それこそただの仮装にしかならん。だから微妙にグレーを混ぜたり、ブルーの下地を仕込んで、血色を落としつつ、異質な冷たさを出す」
「グレー……?」
「せや。普通の人間の肌は、血の流れがあるから、どんなに色白でもほんのり赤みがある。でも、アイツの顔をただ白くしたら、それこそ綺麗な人で終わってしまう。せやから、あえて冷たい色味を足して、血の気が感じられへんようにする。そうすると、人間らしさが一段階落ちる。それをしているからこその色合いなんやで」
「そこまで計算しているなんて……」
綾乃はアルの姿を改めて観察する。彼の肌は、確かに単なる白ではなかった。微妙に青みがかっているような、それでいてどこか陰影が際立つ、不思議な色合いをしている。
「それから、唇の色もポイントやな」
「唇?」
「せや。血色を落とすんやったら、唇も生っぽい色を消す。普通はリップを塗ることで健康的に見せるけど、今回は逆に、この唇に血は通ってるんか?って思わせるような色味にする」
「確かに、ちょっと不気味な感じはあるよね」
「せやろ? 普通の人間なら、唇はピンクがかってるのが自然や。でも、アイツの場合は、肌と唇の境界を曖昧にすることで、何か違うって印象を与える。だから、少し紫がかったグレーを薄く重ねて、不気味さを演出するんや」
京志郎は満足げに腕を組んだ。
「ここまでやると、もう人間っぽく見えへん。ちょっとした違和感が積み重なって、これは人間じゃないって感じさせるんや」
「……でも、どうしてそこまで徹底してるの?」
桃花が尋ねると、京志郎はニヤリと笑った。
「そら決まっとるやろ。せっかくここまでやるんや、徹底的に人間離れさせんと意味ないやろ?」
「……なるほど」
そこまでいくとほぼ執念である。そこまでの妄執。
それだけのの感情を抱かせる何かがあるのだろうか、と思ったが、綾乃にはそれはわからなかった。
「まあ、アイツがあれだけ完璧に演じるからこそ、こういう化粧が活きるんや。適当な奴にやっても、ただの変な化粧で終わるからな」
桃花は、改めてアルの演技を見つめた。京志郎の言葉通り、彼はただの美形ではなかった。メイクによって際立った人ならざるものの雰囲気。それを、彼は自らの演技でさらに深めていく。
「……すごいね、本当に」
「せやろ?」
京志郎は得意げに笑ったが、その目は鋭いままだった。
「でもな、こんなこと言うても、アイツは結局、どんなメイクをしても人間離れで止まっとる。せやから、最後の仕上げはカメラマンの腕にかかっとるんやで?」
その視線の先には真剣な表情をした桃花がカメラを構えていた。