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第88話 二人の感情

「異常、やなぁ。桃花お姉さん、あれについていけるってすごない?」


 それを見ていた京志郎は呆れたように呟いた。

 目の前で繰り広げられている世界は、何も知らない人が見てしまえば何をしているのか?と目を疑いたくなるような光景である。

 特殊メイクによっておおよそ人間には見えない姿をしたアルと、それを夢中でファインダー越しにのぞきこんでいる桃花。

 コスプレでこういう描写は何度か見たことがあるが、その中でも彼らは飛び抜けてすさまじいものだった。


「まあ……あれはすごいけど。桃花があそこまで夢中になるなんて、そこまで素材が良いって事なんだろうけれど」


 綾乃もアルの正体がまさか、自分が昔好きだったアイドルの櫻木昴だとは思ってはいないようだったが、それでも二人の姿に圧倒されているのは確かだった。


「もしかして、あんまりああいう感じにならんとか?」


 綾乃の微妙な言い方に、京志郎は尋ねる。

 京志郎だって桃花への最初の印象は、どこか不安げな女性といった印象だった。

 あの時だって 、アルのことがなければ、そのまま目元メイクを直してそれから一応自己紹介をして、何かの仕事でもしも一緒になれたら、それはそれで面白いだろうなという程度のものであった。

 だが、今の彼女はどうだろうか。

 そんな印象とは正反対の、情熱を傾けすぎているような、そんな凄まじい印象を見せてきている。アーティストとしてはそういうタイプは少なくないが、それでもあそこまで豹変するタイプはまあまあ珍しい。

 少なくとも、もう少し片鱗を見せていてもいいものなのに、それがなかったのだ。


「まあ……というか、ああならないようにしていた、というのかな……うん」

「ああならないようにしていた?」


 京志郎は綾乃の言葉に首をかしげる。

 あれ程までの集中力を発揮して写真を撮っているのだ。それこそ、この業界では重宝されたはずだ。

 それが、桃花はアルの撮影が初めての写真集の撮影であるようなことは、会議の中や、京志郎を説得するために比べに来た時にも言っていた。


「……私がこれをどこまで言って良いのかわからないんだけどね……」


 綾乃は、少し迷うように言葉を選ぶように考える。


「彼女は意図的に、写真を撮るっていう情熱を封印して撮影していた」

「どういうことや?」


 京志郎は眉を顰める。

 メイクアップアーティストとファッションフォトグラファー。

 表現方法が違ったとしても、同じく芸術的感性が必要なものである、ということは京志郎だってよく理解している。だが、それを否定するかのような言葉が、桃花の友人である綾乃から出てくることに、驚きを隠せなかったのだ。


「最初に、彼女が恋をしたのも、多分、『作品』だったから。それに応えられる人って、そんなに多くないと思う。特に、時間も、何もかも忘れて、それでも桃花の『作品』に応えられるのは」

「……それは……」


 京志郎もその言葉になんとなく当てはまるものを感じた。

 確かに芸術的な才能というものは、それだけですごいものだと言われがちである。しかし、そんな単純なものではないのだ。

 単に美しいもの、綺麗なものを表現するだけであれば、単に綺麗なものをカメラでとってしまえばいい。美しいメイクをすればいい。そういうものである。

 だが、そこに作家の魂をのせる、となると、そこにあるものは、「情熱」を超えたもの。「狂気」と表現していいものだ。

 それをぶつけられて、正気を保ち続け、なおかつ、作家に付き合い続ける人間というのは、同じくらい狂った人間なのだ。

 そうでなくては、作家の「狂気」に充てられる。いとも簡単に、自分のことを見失う。そうなってしまえば、作家の「狂気」に飲まれるしかない。


「あの人は……アルさんは、それを取り込んで、魅力に変換しているような人だから。……私にはよく分からないけれど、なんとなく惹かれるのわかる気がする」

「まあ、どこまで聞いてるのか知らんけど、あいつも狂てるやつやからな」


 京志郎もアルの感情など、そのすべてを理解しようとはしていない。できるとも思ってないのだ。

 アルはどこまでいっても、京志郎にとってはあの「櫻木昴」としての強烈な印象が消えないし、 彼が「櫻木昴」に戻ろうとすることも腹立たしいことにその理屈はわかってしまっているのだ。


「だろうね。じゃないと桃花と噛み合わない」

「なんや、そないにヤバそうやのに止めへんの?」

「そう、だね」


 綾乃は桃花とアルの姿をじっと見つめていた。

 彼らのことをじっと見つめて、なんだか妙に嬉しそうに笑っている。

(このお姉さんも、多分同じ穴のムジナなんやろうなあ)

 どれだけ訳知り顔でそんなことを語っていたとしても、この場にいて、すさまじい短期間でアルの衣服を作り上げた時点で、狂気のような情熱がないとは思えない。

 むしろ自分の魂を込めて作り上げられた服がこうして美しく昇華されていくことに対して、喜びを覚えるタイプだ。


「それに、あれはそこまで長くはないから」

「え?」


 なんとなく不穏な言葉に京志郎は綾乃の言葉を聞き返した。


「見ていたらすぐわかるよ」


 綾乃は意味深に笑って見せた。


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