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第90話 愉悦そのもの

「あれは……やりすぎやろ……」


 桃花が出て行った後の姿を見て、京志郎は呆れたように呟いた。

 確かに桃花も変わりようはかなりすさまじかったが、そんな桃花の狂気も取り込んで、自身の魅力を引き出せていたのは、さすがは元アイドルの「櫻木昴」といったところだろうか。


「そうですかね? もう少しすごいこともできたんですけれど」

「……それやったら、後ろからどついたるわ」


 アルのさらりとした一言に、思わず京志郎は突っ込んだ。

 多分、その気になればそれができてしまうことがわかるのがまだ腹立たしい。自分でしたとはいえ、魔族の王子を思わせるメイクもよく似合っていた。

 様々な人を狂わせるほどの魅力を溢れさせているアルにとっては、その程度のことであれば、何でも無いのだろう。


「まあ、今のうちに化粧直しをしましょうか。こちらも、ほら、このあたりのスケジュールに書いてありますし」


 さらっと資料を指さすアルの姿は先ほど、桃花を惑わせた姿とは別の存在のようにさえ見えてしまう。しかし、その中でまだ熱がくすぶっていることを、京志郎は見抜いていた。


「……お前、今日まで撮影の内容何も知らんかったって、ほんまなんか?」


 どんなに天才的なモデルだったとしても、何の下調べも練習もなく、ここまでの魅力を発揮することなんて不可能である。

 撮影の場所では一切のその痕跡を滲ませなかったとしても、彼が相当な努力をしているのは明らかだった。


「そういうことにしておいた方がいいでしょう? 調べる方法はいくらでもありましたが、それをしてしまっても面白くないのは本当です。だからあえて調べずに、いろいろと考えて、自分なりに行動してみました」


 それは一見、前向きな言葉のようにも聞こえた。


「……最悪や」


 だが、それは「あえて面白い方を選んだ」という彼の愉悦そのものだ。

 嫌でも京志郎にはわかってしまう。

 きっと「こんな撮影になるだろう」と、勝手に「想像」した挙句に、その役柄になれるような練習を、彼は全てこなしてしまったに違いないのだ。きっと彼が調べられる限りの「王子」という概念のすべてを練習したのだろう。それこそ、神話や昔話からある程度の類似性を含めて。

 普通ならば、そんなことをする者などいないはず。あまりに費用対効果が違いすぎるのだから。

 しかし、アルは平然とやってのけてしまう。そして楽しそうに笑っているのだ。

 そんな狂気を口にせずともわかってしまうことに、京志郎はどうしようもない嫌悪感がわいた。

 こんな男のこういうところが京志郎は大嫌いだった。


「それがうまくいって本当によかったです。これならばきっと桃花もいい撮影ができますね」

「……いい撮影どころか、お前の熱に充てられて、暴走してたようにしか見えへんかったけれどな」

「それくらいの熱量を持ってこちらに接してくれれば、こちらも答えたいと思うのは当然ですから」


 アルはそれに悠然と頷くばかりだった。その衣装とよく合っているその顔は、またさらに京志郎を不機嫌にするしかないというのに。


「ほんまに、もっと俺も腕を磨かんとなって突きつけられる」


 その言葉に、京志郎は唇を尖らせた。

 髪色やメイクのせいで、年齢不詳にも見える彼だが、こうして素の表情を覗かせると、確かに年下だな、とアルでも思うことがあった。ただし、それをアルは口には出さず、京志郎ににっこりと笑いかけるだけだった。


「おや、そこまで謙遜する程、腕が落ちたと思っていませんよ。むしろあの頃よりもよっぽど、メイクの腕前に関しては評価できるようになったと思いますけれどね」


 そうしないと京志郎のせいで、撮影が中断してしまうかもしれない。せっかく面白くなってきたというのに。このまま中断してしまうのは、あまりにも惜しい。そういう感情につき動かされて、アルは本心を隠した。


「アホか。そないなことは言うてないんや。……はぁ、もっとえげつないメイク。お化け屋敷におった時にちゃんとためしておくべきやったと思ってるんや」

「……えげつない?」

「そう。もっと化け物じみたやつをな」

「それは酷い」


 アルは心にも思っていないことをいう。


「化け物にはそれくらいせなアカンやろ」


 それを見透かして、京志郎も言い返す。

 この男は化け物じみているのだ。才能も経済力も何もかも完璧で、その上、顔立ちまでものすごく整っている。

(それやのに、こいつはほんま……どないなってるいうんや)

 人が羨む何もかもを持ち合わせているにもかかわらず、知れば知るほど憧れとはとう印象を持ってしまうこの男に対して、京志郎は本日何度目かもわからないため息をついていた。


「そうですか?」


 それにアルは桃花には見せたこともないような、どこか面白がるような笑みを浮かべてそれから言った。


「だったら、 そうした方がいいかどうかちゃんと聞いてきましょう」

「聞いてくるってどこに行くつもりや」


 なんだか嫌な予感がする。京志郎は思わず、自分でメイクを施したとはいえ、半ば人間離れしてしまったアルの顔を見つめた。


「もちろん、桃花に直接聞いてみるんですよ。 このまま撮影した方がいいか。それとも、メイクを変えるべきか。もし、もっと派手な方がいいと言われたら、もっとぐちゃぐちゃにしてくれて構いませんよ」


 自分のことであるのに平然とアルは言ってのけた。

 そしてその姿のまま、堂々と桃花の出て行った部屋の方を歩いていく。


「……ほんと、あれで無自覚なんはあかんやろ……」


 京志郎は彼に聞こえないように小さくつぶやいた。



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