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第112話 凛

 似ている。

 けれど、まったく同じではない。

 アルよりも少し若く見えるその青年は、深い黒髪をラフに撫でつけたまま、仏頂面を浮かべていた。少しだけ目尻が鋭く、頬の輪郭もシャープで、整った顔立ちがむしろ近寄りがたい印象を与えている。

 どこかで無口そうという言葉が浮かんでくる。

 桃花は、挨拶を口にしようとして、ほんの一瞬だけ言葉を探した。


「はじめまして。望月です」


 すると、その青年が、ふいにアルをちらと見たあとで、まっすぐに桃花を見据えて言った。


「……あんたが、兄さんの写真を撮ったの?」


 それは驚くほど真っ直ぐで、けれどどこか敵意とも警戒ともつかない温度を含んだ言葉だった。

 声は低く、まだ硬さがあった。

 桃花は、その言葉に思わず一歩、足を止めてしまった。


「……はい。あの写真集を、撮りました」


 名乗るようにしてそう答えると、青年はその整った眉をわずかに動かした。

 そして、何かを評価するように、静かに視線を上下に巡らせた。


 (な、何、この空気……)


 あまりにも違う空気に、桃花は思わずアルに視線を送る。けれど、彼は苦笑のような表情で、なぜか口を出そうとはしなかった。ただ黙って、弟の横で桃花と青年との間に流れる緊張を受け止めている。

 やがて、青年はふっと視線をそらし、ソファに背を預けた。


「……思ったより、普通の人だった」


 それは失礼なのか、素直な感想なのか、わからない。

 けれどなぜかその言葉に、桃花はほんの少しだけ、緊張がほぐれた気がした。


「えっと……ありがとうございます、たぶん……?」


 思わず自分でも笑ってしまう。青年は口元を動かさなかったが、その目だけがすこしだけ柔らかくなったように見えた。

 その様子に、ようやくアルが言葉を挟む。


「彼は、凛です。僕の弟で、少し不器用なんですけど……昔から写真の目には鋭いんです。今日、どうしても桃花に会ってみたいって」

「……俺なりに、確かめたかっただけだから」


 凛がぽつりとそう言った。その言葉には、単なる興味以上の何かが込められている気がした。

 桃花は、その視線をまっすぐに受け止めて、深くうなずいた。


「私も、会えてよかったです」

「……そう」


 そう言うと、凛は、まだどこか警戒を解ききれないような視線を桃花に向けたまま、静かに言った。


「……なんていうかさ。見た目は普通だけど、目が違うよね。……何見てるの?」

「え、えっと何って言うのは……?」


 桃花は思わず眉をあげた。けれど、それが嫌味や揶揄ではないとすぐに気づく。凛の目に宿っていたのは、むしろ探るような、何かを確かめようとする視線だった。

 そうして数十秒、たっぷりと見つめてからうなずく。


「……うん。あんまり媚びないっていうか。兄さんが、なんでこの人に撮られたのか、ちょっとわかった気がする」


 その言葉に、桃花は息をのんだ。まさかそんな風に言われるとは思っていなかった。


「……そっか、ありがとう……ございます?」


 言い終えてから、変な語尾に自分で笑ってしまった。凛は、少し眉をひそめたように見えたけれど、どこか戸惑ったような表情で目を逸らした。


「……変なの」

「凛、それは少し失礼だよ。桃花にそういうことを言うのはやめなさい」


 さすがにと思ったのか、隣に座っていたアルが穏やかにたしなめるように言った。けれど、声にとげはなかった。兄弟の距離感をそのまま言葉にしたようなやさしい響き。

 凛は「別に悪く言ったわけじゃない」と口を尖らせながらも、椅子に深く座り直した。

 アルはそんな弟を一瞥し、少しだけいたずらっぽい笑みを浮かべながら、桃花の方に視線を戻した。


「……彼、実はアイドルなんです」


 その一言に、桃花は一瞬きょとんとした。


「アイドル……あ……っ?」


 ゆっくりと頭の中を情報がめぐる。確かに、どこかで見たことのあるような顔だ。そういえば、最近人気が出てきたアイドルグループ、「サクラメンツ」だったか……。


「そう。俺はサクラメンツの凛。知ってるの?」

「最近、人気が出てきたグループの一人です。芸名で活動してるから気づきにくいかもしれないけど……櫻木昴の弟、というのは今のところ伏せています」


 そこでようやく、点と点が繋がった。


(あ……!)


 テレビや雑誌、SNSでもときどき目にするあのアイドルグループ。可愛くて愛想のいいルックスで注目されている若手の一人。その中に、確かに似たような顔があった。鋭い目つきと、どこか近寄りがたい存在感。あれは、凛だった。


「……えっ、ええっ!? 本当に……あのサクラメンツの?」


 桃花が目を見開いて言うと、凛はわずかに口元を引き結んだ。


「なんで今さら気づくの……失礼な人」


 ぶつぶつと文句を言いながらも、どこか少しだけ肩の力が抜けたようにも見える。


「ご、ごめんね……まさかそうだとは思ってなくて……」


 そう言う桃花に、アルが笑みを深めながら言葉を重ねる。


「昨日の夜、僕が写真集を出したって話したんです。そしたら、ずっとスマホで写真を見返してて。『この写真、撮った人って、どんな人?』って、ずっと気にしてました」

「兄さん……!」


 凛が恥ずかしそうに抗議する声を上げたが、アルは気にする素振りもなく、続けた。


「たぶんね、自分と違う立場で、でも同じくらい僕を見てる人がいるって思ったんでしょう。それが気になったんだと思います」


 そう言って、また穏やかに笑う。桃花はその視線を受けながら、そっと凛の方へと目をやった。すると、凛は少しだけ頬を赤くして、目を逸らしていた。

 なるほど、そういうことか。

 桃花は思わず笑ってしまう。


「……凛くんは、お兄さんのこと、すごく大事にしてるんですね」


 ぽつりと、桃花がそう言うと、凛は一瞬きょとんとした顔をして、それから、すぐに視線を逸らした。


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