「……別に、そういうわけじゃ……」
口ごもるその様子は、あまりにも分かりやすくて、桃花は思わず微笑んでしまった。
「……でも、兄さんは……こういうの、あんまり興味示さなくて。俺の持ってきた仕事も断っちゃうし」
「あれは……気が乗らなくて」
「……この人の依頼には気が乗ったの?」
「そういうことになるかな」
(……アルって家族にもこんな感じなのか)
にこにこと優しそうに見えて、どこかマイペースで、肝心なところでは一歩も譲らない。
桃花はその会話のやり取りを聞きながら、思わず微笑んでしまった。
「……そうなんだ」
凛の口調には不満と皮肉が半々に混ざっていたが、アルのことが気になって仕方がない。だけどそれを素直に言葉にするのは、どうしても照れくさい。そんな年下の弟のような、そんな印象があった。
「あの、さ」
「……は、はい」
「兄さんってさ、昔から空気みたいにいなくなるくせに、勝手に戻ってきて、周囲に溶け込んでるんだよね。誰にも言わずに、ふらっと。でも、なんか……今回は違った」
「違った?」
桃花が反射的に問い返すと、凛は少し黙ってから、低い声でぽつりと呟いた。
「……あの写真、見たとき思ったんだよ。ああ、これは、誰かに見つけられた顔だなって。そう思った」
その言葉に、桃花の呼吸がふと浅くなる。
見つけられた顔。
それは、桃花の写真集をちゃんと見ていてくれて、そしてアルの内面までわかっているからこそ、言葉にできたものな気がした。
「……凛くんの方こそ、兄さんのこと、ちゃんと見てるんだね」
静かにそう言うと、凛はやはり目を逸らして、無愛想に呟いた。
「別に……俺は兄弟だから。……それだけ」
その「それだけ」の中に、どれだけの想いが詰まっているのか。桃花は、ただ微笑んでその言葉を受け止めた。
「……あんたさ、兄さんのこと、どう思ってるの?」
不意に、凛が視線を戻してそう言った。
「え……そ、れは……」
唐突に突きつけられた凛の言葉に、桃花は息を呑んだ。
「……金儲けの道具にしたいのなら、やめて。もし、カメラマンとして偉くなりたいなら、それは俺が引き受ける。売り出し中だし……できるから」
その声には、どこか不器用ながら兄へ向けられた言葉が混じっていた。まるで、真剣なまなざしで兄を守ろうとしている。根底には深い情がある。
(この子も、アルと……昔のカナさんのこと、知っていたんだろうか)
桃花は言葉を探しながら、そっと口を開いた。
「……アルのこと、そんな風に考えたこと、一度もない」
声にわずかな震えが混じっていた。けれどそれは動揺ではなく、言葉の重さをきちんと伝えたいという気持ちの現れだった。
「私は……写真で誰かを利用したいなんて思ったことないよ。あのときも、いまも。アルを撮ったのは、ただ……見つけてしまったから。それだけ」
凛が一瞬、視線を伏せた。けれど、すぐにまた桃花を見据える。
「……じゃあ、どうして写真を撮るわけ?」
「それは……好きだから。全部、作品になってくれる……それがずっと好きなんだ」
桃花は胸に手を当てて、まるで自分の奥底にある想いを確かめるように続けた。
「私は、アルがただ綺麗だから撮ったんじゃない。最高の『作品』にしたいって、それを望んだから。そして、それをアルが受け入れてくれたから」
凛の顔に、すこしだけ複雑な陰が落ちる。それは信じたいけど、まだ心のどこかで何かが引っかかっている、そんな色だった。
桃花は、ふっと息を吸い込んだ。
「……もし、それでも信用できないなら、凛くん。あなたのことも、撮らせて。私の写真で、ちゃんと証明する」
その言葉に、凛の目が見開かれる。思いもよらなかったのだろう。彼は明らかにたじろいだように、少しだけ背を硬くした。
「……俺を、撮る?」
その低くつぶやいた言葉に、桃花はこくりとうなずいた。
「うん。凛くんも作品になると思う。それを私の目と、レンズで届ける。それで……信用、してくれる?」
「……」
凛の視線が揺れた。しばらく口をつぐんだまま、彼はゆっくりと拳を握りしめ、それから開いた。何かの葛藤と向き合っているような感じだった。
(これってもしかしてまずかったり……? いや、確かに作品にしたいとか……これで前も失敗したんだし……そもそもアルが受け入れてくれるから嬉しくなっていたのもあるし……まずいんじゃ……)
そう桃花が思い始めた時だった。その静かな時間の中で、ふいに横からやわらかな声が入った。
「……だったら、凛のこともお願いしますね」
「は……?! 待ってよ、兄さん!」
思わず、桃花はアルの方を振り返る。彼はいつの間にか、頬にほんのり笑みを浮かべていた。いつものように穏やかで、それでいてどこか楽しげで。
「え……アル、今の、ほんとに……?」
「ええ。桃花なら大丈夫だと思うので。きっと、凛がどういう人なのか、写真に映し出してくれる」
あまりにも自然に言うものだから、桃花は返す言葉を失ってしまった。目をぱちくりとさせたまま、わずかに頬が熱くなるのを感じる。