KEYの撮影日。
スタジオには、夜を模した照明がすでに仕込まれていた。
黒を基調とした背景布、星を模したスポットライト、そしてドライアイスによる靄。桃花の指示でスタッフがきびきびと動き、天井の照明にフィルターがかけられていく。微かに青みを帯びた光がスタジオ全体に広がり、まるで夜空の断片を閉じ込めたような空間ができあがっていく。
「ふぅん、悪くないじゃん。……てか、やっぱそういう系好きだよな、お前」
「そう、ですね」
スタジオの中央に立つKEYは、いつものように黒のレザーとシルバーのアクセサリーで固めた姿。今日は長いジャケットの背に、夜を意識したのか星型のピンがついていた。
これは綾乃のものではないが、それでも趣味は悪くない。
「資料にも書いたとは思いますが、テーマは夜空でいきます。照明と合わせて、少しずつ明暗を変えながら、深さを出せればと」
「ま、言われたとおりやるけど。ああ、昼間の方が映えると思うんだけどな、俺」
KEYはそう言いながら、ライトの角度を確認するカメラマンの前を横切るように歩く。
「……外でも撮りますよね?」
どこか挑発的な口調だった。桃花はレンズの調整をしながら、反応を抑えてうなずく。
「ええ。夜のストリートと、空の開けた場所。時間帯を見て、移動していきます」
「なるほど。外ならさ、俺のオーラ、もっと引き出せるよな。もしかして人だかりとかできるかも。感謝しろよ?」
自信たっぷりの笑み。だが、その言葉の裏にある微かな圧力を、桃花はもう何となく読み取れるようになっていた。
(この人は、誉めてもらいたいわけじゃない。ただ、自分の価値を押しつけたいだけ)
「……じゃあ、まずはスタジオ分、いきましょうか」
桃花は、そう言って撮影の合図を出す。フラッシュが走り、レンズの中のKEYがいつものように目を細め、唇を片端だけ持ち上げてポーズを取る。
シャッター音の連続。スタジオに響く音。
できるだけ無心に。でも、絶対に手を抜きたくない。
その途中だった。
「……ちっ」
唐突に舌打ちの音がした。
桃花が顔を上げると、KEYがスマートフォンの画面を睨んでいた。照明の合間の休憩中、彼は肩に羽織ったジャケットを少しだけ脱ぎながら、スマホをいじっていたらしい。
表情が、わずかに険しくなっていた。
「……どうかしました?」
無意識に聞いていた。声の調子が、ほんの少し硬くなったのを自覚する。
KEYはスマホを胸元に戻しながら、口元を歪める。
「いや……変なストーカー。なんか、こっちの動き把握してるみたいな感じでさ」
「え?」
桃花の指が止まる。
呼吸が、少しだけ乱れる。
警察にも一応言った。あの金槌の、奇妙な女。
「この前の撮影場所、なぜか知ってて、現場の外にいたとか。スタッフの誰かが流したのかと思ったけど、そういう感じでもなくて」
「それ、SNSとかで……?」
「いや、それがさ、何にも載せてないやつだったんだよ。時間も、場所も、事前には出してない。写真も当然、非公開」
KEYはスマホを再度取り出し、何かを確認するように画面をスクロールする。
「……なのに、今日のスタジオの入り時間も知ってたっぽい。意味わかんねえだろ」
その言葉に、桃花の脳裏に、一人の少女の顔が浮かんだ。
ピンクがかった髪、過剰なアイメイク、白いペンダント。そして、金槌。
(まさか……あの子)
寒気が走った。
まるで現実が、じわじわと繋がっていく音がした。バラバラだった点が、一本の線を結び始めていた。
「……その人、何か言ってました?」
「直接は会ってない。けど、事務所に変なメッセージ来てた。今日も綺麗でしたとか、黒い服の方が似合うとか。やたら具体的で、気持ち悪い。そういうの結構いたんだけどな」
吐き捨てるような声。それでもどこか、彼はそれを当然として受け入れているようにも見えた。
「ファンとかじゃなくて……何か、もっと……」
桃花は、喉元まで出かかった異常な執着という言葉を、寸前で飲み込んだ。
(それって……あの……?)
思わずそう考えて、桃花はKEYにたずねた。
「ねえ……その人の名前って、知ってるんですか?」
「あ? なんだよ、興味あるの?」
できるだけ桃花が関わらないようにしていたはずなのに、いきなり名前を訪ねてきたのがKEYには少しおかしかったらしい。だが、すぐに気をよくしたように言った。
「まあ、いいか……確か、前に手紙もらったんだよ。そこに書いてあった。多分、そいつ」
「手紙……」
「そ。夜啼、鈴芽だったかな? そんな名前だったはず」
夜啼、鈴芽。
よなきすずめ。
口の中でその名前を繰り返した瞬間、桃花の胸の奥に、ひやりとしたものが差し込んだ。冷たい刃物のような違和感。やっぱり、あの子はただの通りすがりではなかった。確かに何かを、ずっと見ていた。
(……アルに、聞いてみたい)
あのペンダントのことも。昴という名前を、あんなふうに口にしていた理由も。何かが裏で繋がっている気がする。
そう思うのに、今はそれを確かめる術がなかった。