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第百九十七話 天才王子の不運

 過去最高の盛り上がりを見せた『WTDT杯』が幕を閉じて数日。


 解説役の三岳六段も絶賛するほどの対局内容はネット中に拡散され、その棋譜は多くのアマチュアに刺激を与えた。


 特に、将棋戦争で唯一の『十段』保持者である自滅帝が世に出たという噂は絶大な反響を呼び、黄龍戦以上に大きな盛り上がりを見せていた。


 これまで日陰を見ていた多くのネット将棋プレイヤー。もしかしたら彼らも現実の大会で通用する実力を持っているのではないかと、そんな議論も交わされ始める。


 そんな中、一人の将棋配信者が将棋戦争の大会ページを閲覧していた。


「──『霜楓そうふう杯』?」


 そう呟くのは、有名将棋配信者の男──高月たかつき天馬てんま。ネット将棋で数々の大会を優勝してきた、トップランカーの一人である。


「んー? これ、ネット将棋じゃなくて実際に現地で指すってこと?」


 >そうだよ!

 >そうです!

 >天馬様も出るんですか?

 >天馬様出場したら絶対優勝しますよ!

 >現実で行われる大会です!

 >首都圏以外だから、去年は参加者数名しかいなかったみたいですね


「……へぇ、そんなのがあるんだ。結構ここから近いじゃん」


 ──『霜楓杯』。ネット将棋が主戦場である将棋戦争が珍しく現実で開く大会のひとつである。


 将棋戦争の運営は他にも地方に分けていくつか大会を開催しており、仮にそこで優勝することができれば、将棋戦争内で年に一度開催される『チャンピオンシップ杯』への参加権を獲得できる。


 いわばそれは、ネット将棋界におけるWTDT杯と言っても差し支えない。


 これまで配信業を中心に活動していた天馬にとって、ネットから遠く離れた現実の大会には全く興味が無い。


 しかし、それが『チャンピオンシップ杯』への足掛かりとなるのなら話は別だった。


「……いいね、出てみようかな」


 >マジ?

 >本当ですか!?

 >出るなら応援しにいきます!

 >絶対見にいきます!

 >生の天馬様みれるってこと!?

 >うそ!?

 >神回

 >出ましょう!絶対見に行きますから!

 >うわあああ!めっちゃ楽しみです!


 天馬の参加表明に盛り上がるチャット欄。


 好青年な口調に美男子のような顔立ち、それでいて知能派な指し方で相手を翻弄する天馬の将棋は女性を中心に多くのリスナーを惹きつけていた。


 ……が、天馬にとってそれらは金の生る木に過ぎない。


(最近ネタにも困ってたし、たまには趣向を変えて外で指すのも悪くないか)


 天馬は軽快なトークでリスナーを沸かせつつ、『霜楓杯』と呼ばれる大会の概要を流し見する。


 昨年の参加者の平均棋力を見る限り、今の天馬のであれば余裕の優勝──いや、大会をどう勝ち切るかの演出まで行えるほどの棋力差がある。


 加えて、天馬にはある目的があった。


(チャンピオンシップで優勝しようにも、事前に認知度を高めておかないと去年の『アレ』は払拭できないからな……。このちっぽけな予選大会で少しでも場を沸かせてやんねーと、高月天馬の名が泣くぜ)


 天馬は去年の『チャンピオンシップ杯』に一人の代表選手として参加し、その結果は惜しくも4位だった。


 対戦相手は『自滅狩り』。史上最強の対自滅帝特攻とも呼ばれるそのプレイヤーは、プロ棋士すら入選できなかった『チャンピオンシップ杯』にて2位という快挙を成し遂げた。


 そして、去年のその大会での優勝者は天馬もよく知るネット将棋プレイヤー。


 そう、『ライカ』である。


 同じ将棋配信者でありながら天馬を上回る優勝という冠。ネット将棋に特化したその容赦ない指し回しは、あの自滅狩りですら敗北へと追い込んだ。


 その後、界隈ではまるで格付けが済んだように『ライカ>天馬』のイメージが定着してしまい、それまで天馬に拍が付いていたネット将棋最強の配信者の肩書は崩れ落ちた。


(あの女がいなけりゃ、俺は今以上に登録者を増やせていたんだ)


 何も将棋だけがメインのチャンネルではない。天馬の配信はゲームやコラボ動画など多種多様に行っている。


 しかし、その根底には間違いなく"最強の将棋配信者"としての格があった。


(何やら最近WTDT杯とかいうので盛り上がってるらしいが、あっちはプロ棋士が戦っているわけじゃない。対するチャンピオンシップには素性を隠したプロ棋士や奨励会員が何人も出ている。根本的に優勝する難易度が違うんだよ)


 天馬は自分に言い聞かせるように心の中で吐き捨てる。


 天馬の目的、それは『チャンピオンシップ杯』での決定的な優勝。少なくとも将棋配信者の中では最強だということを証明する必要がある。


 前期優勝者であるライカは多忙なのか、ここ最近ほとんど配信を行っていない。


 そのおかげもあってか、日常的に配信している天馬の方に少しずつ視聴者が流れてきており、天馬の配信は復調傾向にある。


 後はこの『霜楓杯』で多くの注目を集め、その勢いのまま『チャンピオンシップ杯』で優勝すればめでたく格も復活。


 めでたく天馬は名実ともに最強へと返り咲く、完璧な寸法。


「……うん、決めた! みんながそこまで言うなら、僕この大会に出てみるよ! そしたらみんなも応援してくれるかな?」


 >きたああああああ

 >ありがとうございます!ありがとうございます!

 >めっっっっっっちゃうれしい!!地元だから絶対応援しにいく!!

 >ありがとう天馬様♡

 >絶対みにいきますー!!

 >今からすっごい楽しみです……!

 >もちろんです天馬様!

 >絶対応援しにいくよー!

 >現地に行けないけど応援します!SNSで呟いてください!

 >天馬さま以外の優勝とか考えらんない!

 >楽しみにしてます!!

 >天馬様のおかげで将棋指せるようになりました!


「ありがとう!」


 嬉しくもなんともないコメントに笑顔で手を振りながら、天馬はその日の配信を終わりにする。


 そうして、自分の優勝が確実と分かり切っている『霜楓杯』へと向かっていくのだった。


 ※


「……合宿、ですか?」


 WTDTを終えてから3日後の祝日、俺は凱旋道場の祝賀パーティに呼ばれていた。


 もちろん呼ばれたのは俺だけではなく、西ヶ崎の面々と凱旋道場の面々が勢ぞろいしている。


 曰く、WTDT杯の日本防衛勝利記念ということらしい。だから今こうして目の前に並んでいる豪勢な食事の数々は全て沢谷師範の奢りだ。


 なんかすごく高そうなお酒とか、見たことないくらい良い鮮度をしたウニとか、明らかに上の人達が食べてそうな食べ物が出前感覚で並べられている。


 こういう異常な振る舞いをされると、仮に負けた時どうなっていたかを考えてめちゃくちゃ怖くなる。


 まぁ、勝ったから……勝ったからいいけど……。もしかしてWTDT杯、想像以上に色々な問題が絡んでた可能性があるんじゃないか。学生の身ながらとても怖い。


 ……というわけで、この祝賀パーティが開かれた理由は俺と天竜を祝うため、というのが妥当なものなのだろうが、実際には"第十六議会"に関係のある沢谷師範と鈴木会長の面談も兼ねている。


 だが、たとえそのための建前だとしても、普段自主的にこういう場に参加する勇気がない自分にとっては非常に嬉しいイベントだ。


 そして、そんな俺達に鈴木会長が今後の予定を伝えてくれた。


 ──それが『合宿』である。


「えっと、それってもしかして……泊まり……とか……?」

「うむ、その通りだ渡辺君!」


 鈴木会長より早く武林先輩が首肯する。


「西ヶ崎高校将棋部では年に数回、定期で合宿が行われるものだったのだが、皆も知っての通り前任の宗像氏が中々に融通を利かせてくれなくてな、ここ数年ではほとんど実施されなかった。──しかーしっ! 鈴木会長が就任してくれたおかげで定期の合宿が復活することになった! よって次週、黄龍戦の全国大会が始まる前に部員一同で強化合宿を行うことにする!」


 なるほど、それで合宿か……。


 一応泊まり込みは前回の県大会で経験済みだし、さすがにそんな変わらないよな……。


 陰キャのサガというか、あまり未知の体験はしたくない。既知の体験だけして学生生活は平凡に終わらせたい。


 ……なんて言ったら周りから袋叩きにされそうだし、やめておこう。


「おー、合宿か。いいなー青春。俺も学生時代に戻って青春したいわー」


 途中で聞き耳を立てていた天竜が顔を覗かせて話に入ってこようとする。


 しかし、その体は対面している麗奈によって無理やり引き戻された。


「どこ見てんの師匠ー?? アンタは、せ、い、ざ、で、しょ!!」

「はい、すみません」


 あの天竜が為す術もなく尻に敷かれている。麗奈の怒りがよっぽど怖いのか、普段纏っている強者の風格はどこにもない。


 こうなっている原因は……どうやらWTDT杯の時にイップスを無理やり振りほどこうとしたのが赤利経由でバレてしまったらしく、それを医者にも麗奈にも相談していなかったことが明らかとなって、こうして祝賀パーティの最中なのに麗奈から説教をされているというわけだ。


 ごめん、その一件の半分くらいは俺のわがままのせいです。でもここは余計な首を突っ込まず黙っておくことにしよう。


「……えっと、その合宿って費用はいくらぐらいかかるっすか?」


 俺がそんなことを思っていると、葵が合宿について質問をする。


 費用は俺も気になっていたところだ。一応渡された紙には休校している平日の2泊3日と書いてあるが、さすがに万を超える額となると学生ながら厳しい。


「ああ、金銭面に関しては安心してくれていいよ。今回は予算の都合にない非常に急な決定だからね。私と目黒校長の自費だ」


 さすが鈴木会長。太っ腹である。


「マジっすか!? やったっすねミカドっち! この世にタダより価値のあるものはないっす!」

「う、うん。まぁ、俺もそんなにお金があるわけじゃないから……助かります」

「いいんだよ、いいんだよ。真才君は活躍しっぱなしだからね」


 そう言って肩をポンポンと叩いてくる鈴木会長。


 葵の言葉に同意するわけではないが、正直タダなら何でも嬉しい。


 そして、こうして話をしているのに全く会話に入ってこない東城たちはというと、物凄い勢いで口の中に高級な食べ物を突っ込んでいる。


 うん、分かるよ。美味しそうだもんね。そして実際美味しいもんね。でも俺の分まで取って食べないでくれるかな。なんかお皿に分けたお寿司が半分くらい無くなってるんだけど。


 来崎なんかハムスターみたいになってるし。味分かんなくなるでしょそれ。


 もぐもぐと咀嚼しつつ、聞いてるのか聞いてないのか次々と料理を口の中へかっ込んでいく東城たちに思わず呆れた視線を向ける。そして、それと同じ視線が武林先輩から俺の方へと向けられた。


「……ところで、その、なんだ……ひとつ聞いてもいいか?」

「はい?」


 武林先輩は言いづらそうに目を逸らすと、俺の右腕をチラチラと一瞥しながら尋ねてきた。


「さっきからずっと気になっていたのだが、それはー……君の彼女……なのかね?」

「はい?」


 すっとぼける俺の右腕には、満面の笑みで葵が抱き着いている。


「♪」


 いや、なんで俺がご飯食べてないかって、主にこれのせいなんだよ。左手じゃ食えないよ。


 ここに来て葵と顔を合わせた瞬間からなんか凄い力で抱き着いてくるし、離れてと言っても「分かったっす!」と返事しながら全然離れてくれないし。どういうことなんだこれ。


「なにいってんすか部長! レナはミカドっちの彼女じゃないっすよ!」

「だそうです」

「いや、ならなぜそんな恋人みたいに抱き着いているのかね?」

「抱き着いてないっすよどこ見てんすか!」

「もしかして幽体離脱してる?」


 武林先輩が思わずツッコミを入れてしまうほどにがっしりと俺の右腕を羽交い絞めにしてる葵。


 ここまで誰もツッコまずにいたものの、佐久間兄弟は何やってんだと言わんばかりのジト目を向けてくるし、東城は昔から葵の性格を知っているためある程度は容認しているものの、ちょくちょく目線を向けてくる。


 来崎はそんな東城の様子から頑張って色々と察しているようだが、怒りが収まらないのか食べものを口に入れて紛らわそうとしている。


 赤利は沢谷師範と色々話してるし、他の凱旋道場の面々は今後の方針について真剣に話し合っている。


 唯一ツッコミを入れて剥がしてくれそうな天竜は麗奈に説教されている最中だ。


 うん、誰も助けてくれない。


「あ、ほんとに美味い」


 俺は半ば諦めつつ左手で箸を持ちながらウニを食べる。


 横で葵が口をあけながら無言で待機しているため、ガリを放り投げた。


「ん~~っ美味びみっ!」


 何だこの光景。


「──あ、そういえば合宿について言い忘れていたことがあったよ。みんな、ちょっといいかな?」


 鈴木会長が資料を見ながらそう言うと、それまでもぐもぐと食べることに夢中になっていた東城たちが一斉に食べる手を止めた。


「この合宿の主な目的は、基礎的な棋力の向上と心身の疲れを癒すことで万全の状態で全国大会に挑むことにある。そこで、みんなには合宿期間にちょうど開かれる大会に参加して欲しいんだけど、その大会の参加条件が『将棋戦争のアカウントを所有している』ことなんだ。真才君と来崎君は大丈夫だと思うけど、他のみんなにも一応確認を取っておきたくてね」


 将棋戦争のアカウントを所持? そんな大会があるのか。


 いや、もしかして……最近将棋戦争の運営が行っている現地大会のことか? ということは毎年行われているチャンピオンシップ杯に関係のある大会なのか。


 正直、ネット将棋の大会は普通のレート戦と違って自滅狩りに必ず当たるから、俺の優勝率はそんなに高くないんだよな。


 この分野に限っては優勝の冠を大量に所持している来崎の方が一枚上手だ。


「そのことであれば問題ない! 一応我が部では部室を借りられない時などを想定して、部員にはできる限り将棋関係のアプリを入れてもらうようにしているからな!」


 武林先輩がそう言うと、佐久間兄弟らがコクリと頷く。


「そうかい、ならば安心だね」

「ふぁいふぉー」


 すると、頬が膨らんだ状態の来崎が手を上げる。


「ほほおへ、ほほはいはいほははへっへはんふは?」

「来崎君、一旦口の中にあるものを飲み込みなさい」


 ごっくん、とハムスターから元の顔に戻った来崎。


「ところで、その大会の名前ってなんですか?」


 口元を拭きながら来崎が尋ねると、鈴木会長は顎に手を添えて眼鏡を曇らせながら告げた。


「ああ、それに関しては将棋戦争の特設ページにも記載があると思うのだがね。現地である『霜楓町しものかえでまち』で行われる大会──つまりは『霜楓そうふう杯』さ」




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